見出し画像

時の彼方で ~第3章・紗央里(さおり)~

『いつか僕たち結婚しよう』

彼は、私の1番お気に入りの笑顔でそう言った。同じ大学の1年先輩。背が高くてスポーツが得意なのに、頭も良くて顔も良い。文武両道とは彼のためにある言葉だと思った。おまけに柔らかい声と優しい気遣い。キャンパス内の大半の女子は彼のファンだった。3年生になってキャンパスが1~2年とは別の場所になって初めて彼に出逢った。彼は4年生で既に就職活動を終えている。ほとんど大学に顔を出すことはなかったのに、たまたま私が専攻していた学部の教授に、何かの報告に来た時だった。完璧に一目ぼれだった。アイドルのようにキラキラしていて、同じ学生だとは思えないほど輝いていた。

すぐに情報通の友達に調べてもらったら、大学でも1、2位を争うイケメンで有名人だった。

(そんな雲の上の人、絶対無理だわ)

半ば諦め、ほんの一瞬彼を遠くからでも見られたら、その日は特別ラッキーな1日だと思うことにしていた。彼とは連絡先を交換するどころか、ほとんど口もきかないまま彼は卒業してお別れとなってしまった。

(やっぱりあんなイケメンと縁があるわけないよね)

数年後、転職した会社に彼はいた。大学を卒業してから3年。私はずっと恋人もできず、最初に就職した会社も何だか性に合わず退職していた。次に選んだ会社はこじんまりとしてさほど忙しくもなさそうだけど、アットホームな感じが良いなぁと思って決めた。そこに、ナント彼が移動してきたのだ!何と言う偶然!いやこれは必然だ!私はやっぱり彼と出逢う運命だったんだ!キャーと大声を出してしまいそうな衝動を何とか抑えて声を掛けた。

「先輩!私、先輩と同じ大学だったんですよ」

彼はほとんど私の事なんて覚えていなかった。当たり前だ。大勢いる取り巻きの1人でもなく、それよりもずーっと遠くから見ていただけなんだから。それでも彼は相変わらず優しかった。

『そっか、同じ大学の人が一緒の部署なんて嬉しいよ。よろしくね』

彼の爽やかな笑顔は健在だった。ちょっと右の頬にできるえくぼも。

それから2度目の冬を迎え、私達は結婚を前提にお付き合いをしていた。大学の友達からは失神するほど驚かれ(私自身が失神しそうだったが)、うらやましがられ、幸せ一杯の毎日を過ごしていた。私の27歳の誕生日に、彼は小さな可愛らしい石のついた指輪をプレゼントしてくれた。

『今はまだ一人前じゃないから。でも、いつか僕たち結婚しよう』

私は幸せの絶頂だった。一生忘れられない記念日だった。

その数か月後、彼は突然私の前から姿を消した。新しいプロジェクトのために得意先に向かう途中、加害運転手のわき見運転による信号無視。ほぼ即死だったと聞いた。彼の同僚から電話が入り、その後の事はもう全く覚えていない。ただ静かに横たわった彼の顔は、信じられないくらい綺麗だった。それだけを鮮明に覚えていた。家族や友人に支えられ、やっとの思いで出席した告別式。どうやって家にたどり着いたかも覚えていない。

あれから3年。私は彼の年をとうに越してしまった。ただ生きる屍のように、生活のためだけに仕事をし、食べたくもない食事を無理やり頬ばり、ただ息をして目を閉じるだけだった。彼と幸せになるはずだった。一緒に時を刻んでいくはずだった。私だけ幸せになんてなっちゃいけない…。あの、誕生日にくれた小さな指輪。もう薬指にはめてくれる人はいない。

コトン。玄関の扉に備え付けのポストから音がする。郵便物か。カードの請求書かな。ネットで見る請求書って、いまだに慣れない。紙の方が見やすいし。

何通かのダイレクトメールや請求書に混じって薄緑の封筒。「紗央里さま」

……どうして。どうして?どうして!封筒の裏には、見慣れた懐かしい文字が…。


【紗央里、30歳のお誕生日おめでとう。紗央里も大台だな(笑) 紗央里が30歳、僕が31歳。きっと真ん中には僕たちの愛しい子供がいるんだろうな。これは、僕が紗央里の27歳の誕生日にプロポーズ(仮)する決心をしたので、改めて手紙を書いています。どうしてか…うーん。紗央里も知っている通り、僕の親父が亡くなった時、母がとても落ち込んで「お父さんに何もお返しできなかった。これから先もずっとお父さんの事だけを考えて生きていく」って僕たち子供に話したって言ったよね。母は幼い僕たちを女手一つで育ててくれて大学まで行かせてくれた。でも僕は母が自分の幸せを考えられなかったことを悔やんでいるんだ。だから、僕たちが結婚するにあたって、この手紙を書こうと思った。

これを紗央里が30歳の誕生日に読む時には、もちろん僕は隣にいて、二人の子供も一緒にいて、笑いながら見ることになるだろうけど…。万が一、もし万が一僕が君達を残して逝ってしまったら…。君には幸せになって欲しい。自分は幸せになっちゃいけないなんて思わないで欲しい。僕は君が笑っているところが大好きなんだ。君には泣いて過ごすより、笑って過ごしてもらいたい。もちろん僕が君を笑顔にすると約束する。一生かけて君を幸せにする。でも、もし…もし僕ができなかったら…その時は、僕の事は思い出にして新しい人生を見つけて欲しい。僕が出来なかった分、誰かと幸せになって欲しい。

もし万が一僕が先に逝ってしまったら、紗央里は自分の人生を目一杯楽しんで寿命を全うして、そして僕に会いに来て。僕は君がいくつになっても、おばあちゃんになっても、きっと君を見つける。そして、またもう1度、時の彼方で出逢おう。ずっとずっと大好きだよ、紗央里。31歳の僕から30歳の愛しい奥さんへ】


その後も何枚か彼のちょっと癖のある文字が並んでいる。だけど、もう涙で霞んでしまって読めない。あれから3年経ったこの手紙が、なぜ私の誕生日に届いたのか、その理由も経緯もわからない。でも…彼が私を愛してくれていた事実が確かにここにあった。

ありがとう。ありがとう。私も大好きだよ。あなたが最期に見せてくれた笑顔が私の1番のお気に入りのように、あなたの大好きな私でいよう。元気に、幸せに生きていく。そして、自分の人生を目一杯楽しんだら…迎えに来てね。私がシワシワのおばあちゃんになっても、必ず見つけてね。また時の彼方で再び逢おう。その時まで…その時まで、ちょっとだけバイバイ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?