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    きっともう一度触れたくなると思う詩、文章、お話、写真を集めています

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  • けものみち 野藤狂

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最近の記事

賽の目

開花予想をはるかに裏切って 裏山が淡く色づく 今さいころを振って「優」が出たなら 地蔵に赤い帽子を編んだひとの 指の動きを思いたい もうすでに春なのだとは 思いたくないへそ曲がりが 治ることはないけれど きっと良くなるさと まじないをかけるに相応しい 大丈夫だ大丈夫だと繰り返す 何の確証もないその言葉を 好きにも嫌いにもなれないけれど どうあがいても振り出しには戻れない やわらかな目尻に張り付いたひとひら くやしいけれど春なのだ覚悟せよ! すべてを裏切って 次もきっといい目が

    • 春の花束を

      きみに 春の花束を贈りたくなった 薄衣の花びら 強く抱くと くしゃりと潰れてしまうような 緩やかな午睡のような 夢のなかでみる夢のような いきなり花を贈れば きみはそれをどんなふうに受けとり どんな花瓶に飾るのか わたしのことを 思い出すのか わたしの何を思い出すのか そこにあるのは 微かなよろこびか 重々しいとまどいか わたしがきみの中に 居なくてもいい、とは言えない 厚かましくも忘れるな、という おぞましい呪縛 そのために 春の花束を贈る 薄ら寒い冬の洞窟から 抜け出

      • わたしにはひみつがある

        わたしにはひみつがある わたしにはひみつがある と 唱えるとたのしい だれにもいえないことがあると せいかつはたのしい わたしにはひみつがある わたしにはひみつがある ぶどう酒の澱のような カラメルの溶け残ったじゃりりのような ひみつ 冷たい土の中の蝉の死骸のような ちょうちょの最初のはばたき 鱗粉のような わたしにはひみつがあった すてきなひみつがあったのに ひみつがなくなって わたしは し をかかなくなった そんでもって どうなったかというと わたしはわた

        • 六月の訪問者

          そろそろ寝ようか、と思っていると ちいさく扉を叩く音がする こんな時間に、といぶかしく思いながら 扉を開けると そこに居たのは弱く光る蛍だった どうなさったの?と聞くと 蛍はしどろもどろに言った 「あの、お別れの挨拶に。また来年っていうのも ぼくにとっては変な話なんですけど あなたにとってはまた来年があるわけで いや、あるっているか、ある可能性が大きいわけで とにかく いつも川をきれいにしてくれて それに カワニナをありがとう。」 「いえいえ、わたしなんにもしてないのよ。

        賽の目

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        • 花の名は
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        記事

          固体から液体

          「しあわせになるおくすり」とまやかして和三盆糖舌に熔けゆく くれまちす、の響きを貝の空洞の一番奥に隠して眠る 透明な花瓶の中のむつみごと茎の産毛に水泡ひとつ 惹かれあう、の「あう」の二語は偶然に見つけた対のシーグラスかも 頬の内溶けゆく氷を最後まで噛まない覚悟が君にはあるか 連れあって蛍を見るということはふたりにとっては心中だった 紫陽花が木乃伊となってそのままに添えられていて道祖神前 固体から液体になる瞬間をほかの誰にも見せるな君よ

          固体から液体

          抜け殻

          古い家のくちなしの垣根に絡まる抜け殻は 長く細く編まれた銀線細工のようだった 「あら大金持ちになっちゃうわ」と 君の母親はそれをそっとお菓子の箱に寝かせた 押し入れの奥に仕舞われたその箱を こっそりと取り出して 幼い君は抜け殻の持ち主のことを思った  ぬらりとした蛇  ゆっくりと皮が剥がれていく様を  葉陰の青虫が見ている  瞬きはない  葉脈を伝って落ちる水滴  濁ったひとみが澄み切るころ  蛇は艶々した葉の間を潜り抜け  そして消える やがて君の背はくちなしの垣根を

          18の街/花曇りの中で/心中未遂

          先日、18歳のころに住んでいた街に行った。とても懐かしいと思う反面、本当に自分がそこにいたのどうかが疑わしくもある。街はあいかわらずのんびりとしていて空は広い。もし、此処を出ずにいたら自分はもっとゲンジツを生きていたのではないだろうか、などと勝手なことを思う。 花曇りの中で、いちばんうつくしい花はイエイオンだ。太陽がなくてもあれはしっかりと星のかたちをして咲く。薄曇りでも蓄光を塗られたように光る。 心中相手を探しながら、いざそのときが来るとひとりが良い、と思うであろう自分

          18の街/花曇りの中で/心中未遂

          春罪

          「急いでいましたの その日は 誰かに追われて何者かを追っかけていましたの いつものわたくしなら そんなことは断じていたしません そうあの日は  いつも胸につけているブローチを忘れてきてしまって それににわたくしに轢かれたといっても あの方は汚れませんでしょ? 滑らかな白い肌のままでいらっしゃるのでしょ? 悪いひとはたくさんいるのに なんでわたくしばかり」 罪名は 大路に散ったはなびらの轢き逃げ 桜ならばもっと罪は軽かった この匂い立つ足枷は 純白の木蓮であるがゆえ

          明けてしまえば

          枯れたと思っていた枝に 白い珠が連なっている あ、梅のつぼみだ、と思うときの 「あ」という小さな叫びが 冬枯れのわたしにとっての 芽吹きの予感となる ひとつ年が明けてしまえば 新しく始まる、という都合のよさに 寄りかかってはうたた寝をする やみくもに絞めた固い結び目を ほどくための指先をあたためながら 今日は花が ひとつ開くのを見た

          明けてしまえば

          ある午後

          あたたかい水に 蜂蜜を溶かしたような午後でしたので 硬く締めたはずの窓の蝶番が 緩むのは仕方のないこと あの子が吹くリコーダー 高いレの音がうまく出ずとも それが音楽であることは わたくしにも判ります 片方の眼から水があふれて 空白を塗りつぶす それが束の間の錯覚であろうと 栗鼠の鳴き声のはざま 一音一音なぞられていく旋律が トリステ、という呪詛すら煙に巻き わたくしをただひたすらに 甘やかしていくのです

          ある午後

          魔王

          春に違いなかった まだ目覚める前の ずっと霧の中だった くちびるを結んだままの 気怠い午後だった 体ごと宙に漂ってしまいそうな 欲しないおまけのような六時限目 いつも草臥れた背中の先生 シューベルト ドイツリート 荒っぽい黒板の字 昨日の雨で汚れた窓 ぼてりと寝そべった江の島 空の重さに波が唸る 針を落とした先生が振り向く その時 劈いたフィッシャーディスカウ わたしは指ひとつ動かせずに 誰にも気づかれないように 息を止めながら嵐に巻かれた 先生 あなたはきっと ひと

          夜に咲く/3年ぶりの/遠いよしこの

          朝、窓を開けると、山際の濃い緑いろの葉の上に、白い薄紙をきゅっと丸めたようなものが見える。それは烏瓜の花が萎んだものだと本で知る。日が沈むと開花し、日の出前には萎んでしまう。くもの巣に似た幻のようなその花の咲くさまを今夜こそ見よう、という決意は毎日忘れ去られ、また朝が来る。 3年ぶりにふるさとに帰る予定は、はやり病のためになくなった。しょうがないことだと思いながら、胸のうちに空洞と重いつかえが同時に存在してしまったような気がする。 テレビのニュースで3年ぶりの「よしこの」

          夜に咲く/3年ぶりの/遠いよしこの

          Breathless

          午後の水族館で 僕らは見世物になる 水の中のいきものは どれもしなやかで 歪な僕らを瞬きもせず見ては うっすらと笑う なんだかはずかしいね と君は言った 回廊を銀の群れが渦巻いて 硝子の天井を突き向けていく ああ とてもはずかしいね 睦みあっているふりをして いつかその手をこちら側に 引きずり込もうと企みあっているなんて 拍動する無心のいのちに囲まれて 見定められるふたつの心音  爪には何も塗らないの   息が詰まってしまうから 水しぶきを浴びて 僕らはいっそうはず

          Breathless

          卯の花腐し/午後4時過ぎに/ 楽譜売り

          「卯の花腐し」という言葉を知る。「卯の花」は「空木」ともいう。白い花が枝垂れるさまが、山に掛かるレースのようで素朴なうつくしさがある。その花が五月の長雨によって朽ちていくさまを「卯の花腐し」というらしい。「腐」という言葉があるけれど汚さは感じない。一見スマートだけれど、嫌悪する言葉も多々ある。 ゆうべに見た夢を午後4時過ぎくらいに思い出す。靄がかかったような体の奥底がずん、と重くなるような夢だった。どうせなら一日が終わるまで忘れていたかった。 棚を整理して何冊か楽譜を売っ

          卯の花腐し/午後4時過ぎに/ 楽譜売り

          エンドロールまで

          今夜もひとりで  古ぼけた椅子に座って 誰かがつくった 「僕」の居ない映画を観る スクリーンの中の君たちは 永遠に美しく褪せない悲劇だ 溶け切った夜の隅  飲み干せないこの淀み 大事なト書きを  黒く塗りつぶして 迷って壊れて汚れてく  求めて叫んでも  エンドロールが消える そのときまでは 動けやしない もしもそれが幻だとしても 外は雨降りで  そしてひどい土砂降りで 街ゆくひとたち  声も出さず泣いてる この席を立たない僕たちの 永遠に笑えない愚かな喜劇だ 弾かれて

          エンドロールまで

          ここにあらず

          おまえがふらふらと 千鳥足で出掛けていったのはいつだったか ちょっとそこまで、とそわそわして 出掛けていったのはいつのことだったか そういえば おまえがいない 確かにこの身の内で どくんどくんと波打っていていたはずの おまえがいない それからというものは まるで花のない花瓶の淀んだ水のように 時々わずかに震えるばかりで ふいに溢れ出すこともできない有様だ おまえがいなくなってから いくつかの夏が過ぎた 纏った最後の一枚を脱ぐときの 恥じらいも誇らしさも もう失ってしまった

          ここにあらず