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わたしは長女

長女に生まれて・・・


何だか分からないけど
たまたま長女に生まれた。


5歳の時に
妹が生まれて

その時までは
一人っ子だったのに

妹が生まれたので
お姉さんになった。

妹が
生まれる前日の夜
ドキドキして
眠れなかった。

やさしいおばさまが
わたしに
子守唄をうたって
寝かしつけてくれた。

妹が
生まれた日

母上さまは
とても
きれいだった。

生まれた妹の
顔を
のぞきこんでみた。

ちいさな手が
とても
可愛かった。

目が
いつ開くのかなと
楽しみに
していた。

「家族がふえたんだ」

お姉さんに
なったのだと
実感した。

うれしいのと
何ともいえない
感情が
わいてきた。

お姉さんは
一生、お姉さんなのだ。

両親の前では
お姉さんらしく
しっかりしなくては
‥と思い

妹の
面倒を
みてあげなくては
と思い

甘えたいけど
お姉さんだから
小さい妹のために
父や母を
取ってはならないと

どこかで
我慢していた。

いい子でいなくては
いい子にならなくては

長女なんだから
しっかりしなくては

真面目に
模範にならなくては

いつも
その思いが
わたしを支配していた。

妹や弟は

だいたい
自由奔放で
天真爛漫で
やりたいことを
自由にできている。

なんだか
うらやましかった。

まだ
女の子だから
良かった。

長男だったら
もっと
背負うものが
あっただろう。

妹には
妹の思いが
あったに違いない。

お姉ちゃんだけ
写真が多い・・とか

自分は
お洋服も
お下がりだったり

ずるい・・と
思ったことも
あったに違いない。

その点
両親は
持ち物に関しては
いつも
おなじものを
供給して
くれていた。

食べ物もそうだった。

おなじように
分け与えてくれていた。

えらいと思った。

えこひいきを
しないのは
こどもにとって
一番のしあわせだ。

どちらかばかりが
可愛がられていたら
ひがんだりして
不幸になる。

長女ということで

わたしは
いい子を
演じていたので

母上さまに
頼りにされていた。


東京にいる時も
よく電話が
かかってきた。

今まで
いろいろと
話を
聞いていたので

聞いて
欲しかったのかも
しれない。

父上と母上は
仲が
良かったが

本音を
言い合って
分かりあって
いたのかは
わからない。

おたがいに
どこか
見せない部分が
あったように
思う。

両親のことは
両親にしか
わからないのだ。

もう両親は
亡くなって
いないけれど

お葬式の時も

父と母の
両方の
喪主を
務めたのは

長女の
わたしだ。

涙ひとつ見せず
喪主を
務めたので

「気丈に
 良く務めたね」

親戚に言われたが

自分が
長女として
親にしてあげられる
最後の
お務めだと
思っていたのと

ひととは
死生観が
ちがうので

涙は出ず

来て下さった方に
ココロをこめて
対応することが
出来たのだ。

亡くなったら
悲しい・・ではなく

精一杯
生きられて
良かったね・・
という思いの方が
強かったのだ。

両親ともに
昔は
身体が弱く
病気ばかり
していたので

長生きが
出来た方だと
思う。

もちろん
妹が
陰で支えて
くれていたから

すべて
うまくいったのだと
思う。

両親が亡き今
肉親は
妹だけになった。

長女としての
プレッシャーは
なくなり

とても
楽になった。

姉妹だが
もはや
上下はない。

しんどい時は
妹にあまえて

話も
聞いてもらおうと
思う。

姉だから
しっかりしなくては

そう思うことは
もうやめた。

無理をせず
自分らしく
ありのままで
いたいと
思った。

そう
ありのままが一番。

・・・・・・・・・・・・・

親せき付き合い


両親がなくなり
何となく
親せきとも
疎遠になった。

もとより
親せき付き合いは
苦手だった。

毎年
お盆と
年末年始は

親戚中で
集まっていたが

本当は
苦痛だった。

コドモながらに
誰と誰が
仲が良くて

誰と誰が
仲が悪いか
分かっていたので

あまり
好ましい
集まりでは
なかった。

餅つきは
ネコが
お餅を
よろこんで
食べるので

すこしは
楽しみだった。

今は
集まることが
なくなったので

こころから
ホッとしている(笑)

✨✨✨✨✨✨✨✨

もう
すっかり春です。

なんだかうれしいですね💛

ポカポカ日和が
すごくなごみます。

新入社員が
4名きました。

初々しくて
微笑ましいです。

きょうも一日
良い日でありますように!😊














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