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掌編「花唄屋」

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星語《ホシガタ》掌編集*6葉目

(696字/読み切り)

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「コイツに話しかけると”はじまりのたね”をいい声で唄うってんで、
地球《あおやね》町、人気の苗でさァ」「お兄さんなら、どの苗だろうね」

柄にもなく花唄屋の口車に乗って、三色すみれを、ひと鉢、連れて帰ることにした。

確かに花唄屋は繁盛しているようで、路地や軒先のそこかしこ、住人が植えた花だらけの町だった。

花唄屋の話をまるっと信じたわけではないけど

「俺は音痴だから羨ましいなぁ」と一言ぼそり。鉢の上の何の変哲もないような黄色の花と目が合った。


地球《あおやね》町は、電車で通りがかってはいたけど、初めて降りる町だった。昼下がりの陽が頬を照らした。

今日は休日出勤で、散らかった6畳間にそのまま帰るのも癪に障るから、ひと駅前で降りた。土手の遊歩道をたどり、そのままとなり駅まで歩いて帰ろうという、冴えない俺の小さな抵抗だった。

大樂《おおら》川の表面を、風が払って駆けていく。眼下には揺れる花々。若草の香りが鼻先をスゥと抜けていった。なんだか手を広げたら飛べそうな午後だった。

(すみれの花、咲く頃…)

なんとはなしにガキの頃の思い出。台所からリズミカルな包丁の音を引き連れながら響く、あたたかなソプラノの唄声が胸いっぱい広がった。

(おふくろは達者でやってるだろうか)

そういえば、長らく帰ってなかった。今年いくつになるだろう。

首の後ろから、南南西の風が、俺のただでさえボサボサな髪を散らかし、空の青を指して吹きぬけた。鉢の上の黄色い花ともう一回目があった。

「いくかァ…」

俺は苗を手に持ったまま、久しぶりに実家に顔を見せることにした。

何故そんな気分になったのかは、わからないけれど。

藍晶月13の日のことだった。



*了*


母の日のプレゼントとして書きおろしたもの。

(c)mamisuke-ueki/2018
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お母さんに自作のハーバリウムをプレゼントしたら、とんでもなくオシャンティなのではないか…。という試みで今年の母の日は、このようなものを作った。花材詰めるの難しすぎて、結局思ったようには全然作れなかった。

ちいさな頃、「パンジーって、和名は三色すみれなんよ」という話をお母さんからよく聞いた。

高校の頃、合唱部だったお母さんは、唱歌ばかり台所で歌っていたので、「すみれの花咲くころ」はサビばかりやたら聴いた。(※サビ以外歌ってくれない)晩御飯の支度の音とともにサビが流れるたび(パンジーは三色すみれっていうんだっけ…)と何回も思いだしたりしていたので、じゃあ、贈るなら三色すみれのハーバリウムと、それになぞらえた詩かSSにしよう。と

この話をすると「まぁお母さんはいつもフンフンよく歌ってるからねぇ」と、三色すみれの話は、いまいち覚えてなさそうだった。SSは首をかしげつつも、「あんたのセカイはちょっと不思議なとこがいいねぇ」と笑った。

お母さんいつもありがとう。