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1人の女性がエンジニアになるまで〜りほやんの場合〜

wirohaさんが書いた記事をみて私もエンジニアになるまでを書いてみることにしました。
キラキラしていない私の経緯って需要ないかな…と思っていたのですが、他の方の記事をみると励まされたり、他の人が書くハードルが下がったりすごい女性エンジニアじゃない普通なエンジニアの話が役に立つこともあるのはと思ったので公開してみます。

ちなみに私とりさきゃんでやっているpodcastの第1回の話も似たようなことを話しているのでご興味あればぜひこちらも…😍✨


誕生〜幼稚園

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1991年2月石川県の羽咋市の病院で生まれました。二人兄弟の長女です。プールが大好きで11月でも家庭用プールを出して入っていたそうです。
習い事はエレクトーン・水泳をやっていました。

ウリナリ!というテレビ番組でウッチャンが春よこいを弾く姿をみた父に「春よこいが弾けるようになったらエレクトーン卒業してもいい」みたいなことを言われた覚えがあります。春よこい弾かずに中学校入学前にエレクトーンやめてしまいましたが、春よこい自体は難しい楽曲じゃないので流石に弾けるようになってたんじゃないかな?

小学校: PCとの出会い、タイピング、インターネットにハマる

読書が好きでよく図書館にいって借りれる最大冊数まで借りて読むということを繰り返していました。泉野図書館という大きめの図書館が透明な階段で地下に古い本がおいてあったり、児童図書コーナーに庭があったりとても楽しいワクワクする場所で大好きでした。

小学校高学年の時に父親が富士通のPCを購入したことをきっかけに、パソコンにどハマりしはじめます。最初は全然使い方がわからなかったのでタッチおじさんメールというメーラー?でおじさんを動かしたり一太郎スマイルのタイピングゲームにハマります。

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家にはなかったのですが学校のパソコンや電気屋さんのPCにたまに特打というソフトが入っていてこのソフトがめちゃくちゃ好きでした。

↓このお姉さんが歌うのに合わせてタイピングするのが難しかったなあ…

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当時の先生に進められて小学生のタイピングコンテストに出たところ全国で30位くらいの成績ですごく嬉しかったことを覚えてます。

ずっとタイピングにずっとはまっていたのですが途中から『インターネット』なるものにハマり始めます。ずっとオフラインPCで一人だけの世界だったのですが、世界中いろんな人と繋がれるインターネットに感動しどハマりしました。

最初にはまったのはniftyのデリポップというメッセンジャーでした。

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そこからお絵かき掲示板やキラキラサイトにハマり、途中から自分もホームページを作ってみたい!と思い始め、わからないなりにジオシティーズのアカウントを借りてタグ屋さんでタグをコピーしてホームページを作りました。

この時はダイアルアップ接続という電話線を使ってネットに繋いでいたので、使い終わっても電話線を戻し忘れてなかなか家に電話が繋がらない状態にさせたりそもそもネットを使いすぎて電話代が数万円になって怒られたりしました。

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インターネットは時を忘れてしまうくらい楽しいから将来ずっとインターネットできたらな〜とぼんやり思っていました。

中学生: ふみコミュ、キラキラサイト制作にハマる

中学校は石川県では有数の生徒数が多い学校で1学年8クラスありました。吹奏楽部に入りたかったのですが、親がどうしても運動部に入って欲しい、運動部に入れば携帯を買ってもらえるという話を聞いてバドミントン部に入りました。

中学校は割と治安が悪く、自転車で校内を走る人がいたり万引き、いじめが多発していました。いじめは基本的に1クラスで1つは存在し時間が経つとターゲットが変わりもちろん私の順番のときもありました。

部活内で万引きした子が捕まり、先生が部活の生徒を集めて万引きをしたことがある生徒を手を上げさせたところ同学年の部員1/3程度が万引きをしていた、ということもありました。

インターネット熱は冷めておらず、ふみコミュニティというサイトにハマります。バナーやロゴを作ったりいろんな素材でホームページ(俗に言うキラキラサイト)を作ってふみコミュや0574などのランキングサイトに登録したりしていました。謎のEnterページ、スクロールバーをデコったり…この時が私のエンジニアのスタートで原点だと思います。

途中からはロゴ作成にはまり、プリクラ帳をデコるための素材ホームページのお手伝いをはじめたりしました。まさに↓の記事のような感じです。

また並行して携帯を手に入れたものの、着メロや着うたは有料のサイトに登録しないと手に入らないため、自分で着メロをつくったり音源を着うたにする方法を調べて自分用の着メロ、着うたをつくったりしていました。

高校: 部活にハマってPC活動は一旦休止

運良く進学校に進学することができました。学校の治安が良くなり文化の違いにとても驚いたことを覚えてます。一番驚いたことは悪口を言わないことです。中学生の時は話すことといえば誰かの悪口、それが当たり前だったので(自分で書いていてすごく嫌な奴だなあと思うのですがその時本当に思っていたので素直に書きます)、自分のいた環境が異常だったことに気づきます。

部活は硬式テニス部に入り部活一色の高校生活を送りました。朝練、お昼前に弁当を食べてお昼休みも練習。

写真は学校の中庭。冬は雪が中に積もることも。そして寒い

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部活にハマりすぎてホームページ作成への興味は薄くなりこの頃はあまり触っていなかったと思います。携帯でWebサイトを作ったり、前略プロフなどが流行っていたので作ったりはしていました。

文理選択・受験: 数学と理科が苦手なのに理系に進む

国語と社会が得意科目、数学と理科が苦手科目と典型的な文系だったのですが、将来インターネットに関わることをするのであれば理系のほうが良さそうと思い理系に進みます。選択科目でクラスが分かれるのですが、物理・地理選択の人が多い中、歴史が好きでカタカナが苦手みたいなところがあり、物理・日本史選択と言うなかなかマイナーな科目を選択していました。

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インターネットに関わりたく理系を選んだものの、数学・理系科目(化学・物理)が苦手すぎて物理で人生初めての赤点(16点)をとってめちゃくちゃショックだったことを覚えてます。女性6割男性4割くらいの比率の学校だったのですが理系クラスは女性が10人程度で仲の良い部活の友達がほとんど文系クラスですごく羨ましかったです。

受験は情報科学系を中心に探しました。親が地元の金沢大学への進学を熱望していたのですが情報科学系の学科がなかったため、私は行きたくなく何度も喧嘩したことを覚えています。

当時石川県から関東へ行く方法は新潟を経由していくしかなく、金沢がだめなら関西を選んで欲しい、滑り止めで私立は受けてもいいがお金がかかるから公立にしてほしい、浪人はNG。と言うのが親の願いでした。どうしても行きたかった大学が関東だったため、親と何度も話し合い、前期は志望の大学でもよい、後期はセンターだけ&ボーダーを超えていてほぼ合格なことがわかっていた大学にしました。受験自体は手応えあったのですが不合格でした。つらかった〜〜〜〜

写真は受験期に入り浸っていた自習室。冬は寒すぎてヒーター真横の棚で勉強している友達。

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大学・大学院時代: テスト前詰め込み学生になってしまう

奈良女子大学に進学しました。お茶女子大学と合わせて国立女子大学は2つしかないそうです。意外。学科は情報科学科。情報科学科なのに全員女性という今思えばすごく特殊な環境でした。

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今思えば入るまでふんわり楽しくWebサイトの開発ができる〜くらいに思っていたのですが入ってみると、応用数学、線形代数、 情報理論、論理回路と大嫌いな数学がメインでめげて典型的なテスト前詰め込み学生になってしまいました…いま思えばちゃんと勉強しておけばよかった…

サークルはテニスサークルで、真面目にテニスしたりたこパしたり飲みにいったり、ザ・大学生みたいな生活を謳歌したと思います。

大学3年生の時に就活をするか院にいくか迷ったのですが、流石にもうちょっと情報科学を学びたいなと思い院進学を決めます。

あまり人には言ってないですが私にとって大学院は少し黒歴史です。大好きな友達がいなくなり、研究室では性格的にちょっと浮いてしまい寂しかったです。研究も楽しいのですが、お金がない&終わりがないのでバイトをしながらだと生活リズムを崩してしまい体調もあまりよくない…みたいな時がありました。友達がいなくなりその時からよく遊ぶようになったサークルの同期が今の夫だったりします。

M2のときにLife Is Tech!のメンターをさせてもらったりもしました。

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就活については、大学院1年の12月頃に楽天株式会社に内定をいただきそのまま就職しました。楽天はインターンを応募し面接で落ちてしまったのですが、そのときの面接していただいたエンジニアの方に本採用を推薦していただきました。本当に技術力もない私の話を聞いてくださり推薦してもらい感謝しかないです…!楽天はTOEICが800点以上ないといけないので内定後は英語を勉強する日々でした。

写真は修論提出時に撮ってもらったやつ。お疲れ様でした〜

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社会人になってから・転職

楽天はエンジニア新卒が約50人そのうち日本人が約10人という環境でした。なんとか必死にTOEICの点数は取れたもののスピーキングとリスニングが壊滅的なため最初は本当になにも言っていることが理解できず辛かったです…

部署配属では楽天市場のデータのETL業務を行なっているチームに配属になりたくさんHiveQLを書いていました。いろんな種類のデータにたくさん触れられて楽しかったです。

写真はハロウィンのときにダンボーしていた人がいたので借りて撮った写真

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食堂もこんなかわいいイラストがあったり。

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毎日楽しいし人も優しいし忙しくもないし困ったことはないけど私がいなくてもこの仕事回るよな〜と思って過ごしていた時にふと女性エンジニアコミュニティの勉強会を見つけ参加してみることにしました。そこからコミュニティつながりでいろんな方と話していくうちに、就職時期は同じなのに身についているスキルに大きく差が出てしまっていることに気づき大きなショックと焦りを感じ転職を決意します。

VASILYにdots.女子部のメンバーと見学に行った時の写真。懐かしすぎる…

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そこからRuby on Railsを書いたことのない私をCTOのきゅんさんが採用してくださりVASILYに転職します。こんな私を採用して育ててくれたきゅんさん、VASILYの皆さんには本当に感謝しかありません…!!!私は知識も実装力も不足していたのですごく焦りながら勉強してたのを覚えてます。
VASILYでのエンジニア生活はとても楽しかったな〜〜〜〜。優秀で癖が強い人が多くて刺激的でした。いろんな失敗もトラウマもありましたが優秀で尊敬できるエンジニアと一緒に働くってめちゃめちゃ楽しいな…と思ってました。

VASILYのハロウィンはクセが強かったな〜

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VASILYが買収されZOZOテクノロジーズになってからは、オフィスが五反田から表参道・幕張になったりWEARリプレース業務したりしてました。5年遠距離していたパートナーと結婚し大阪に移住することとなりめちゃくちゃ迷いましたがZOZOテクノロジーズをやめてフリーランスになりました。

大阪に移住してフリーランスになってから

大阪に来てから1年くらいは、エンジニアの友達が激減&東京の時にはいた『いつでも飲みに行けるような友達』が一人もいなくなり寂しい日々を過ごしていました。そのせいで夫にあたってしまったりしたこともあります。自分は直接人と会ったり話したりすることが好きなんだなあと改めて知ることができました。そこからは夫とできる趣味(ワイン・読書)を増やしてみたり結婚式したりなんだかんだ楽しく過ごしてます!

いまは主にSHE(https://she-inc.co.jp/)とフィヨルドブートキャンプ( https://bootcamp.fjord.jp/)のお手伝いさせてもらってます。どちらもやりがいがあり楽しい…!

長くなってしまいました!こんな私ですが楽しくエンジニアしてます。

モノづくりは本当に楽しいです。設計して、悩んで、書いたコードがWebサービスとしてユーザーに使われて人の役に立てるって本当に素敵なことだなあと日々思っています。

男女関わらずもっとエンジニアが増えたらいいなあ…と常々思いこんな記事を書いてみました。何か気になることや聞いてみたいことがあればいつでもTwitterでDMください!

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