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pussy chat

新宿のIRAでpussy chatという魔女とアクティビティについてのトークショーがあり、お話を聴きに行ってきました。私はアクティビティスト、というか活動家?というのがどうも苦手で、それというのもスピリチュアルもフェミニズムも動物愛護も自然保護も他人に強要することでなくない?と思っているからです。そもそも私は物心ついた頃からのフェミニストなのですが、一周回ってフェミニズムていう概念そのものがもはや古くって(女性という概念にとらわれているから)、より多様化した現代に必要なものは個人主義だと思っているんですけど、世の中的にはまだまだ啓蒙活動が必要だということなんでしょうね…。

その中で、アニメーション作家で占い師でもある円香さんのフェミニズムアートの話になるほどと思う点があったので書いておこうと思います。円香さんのお話はチャートを使った超盛りだくさんなフェミニズムアートの歴史についてのボリューミーな内容で、私は前書きにも書いた理由でそのあたりの話については全くの無知であり、新鮮な気持ちで興味深く伺うことができました。円香さんのお話も中盤、女性の霊性ムーブメント、女性の身体の神秘性、超自然性を主張する女神崇拝の一派が出てきて、あれ?また母性を尊ぶやつですか??フェミニズムで??と正直辟易としたのです。ところが円香さんの話は続き、女性の霊性ムーブメントはジェンダーの役割固定につながるからおかしいよね!と主張する一派が出てきます。結局、フェミニズムって一言で言っても人間の数だけ考え方や主張があって、一括りにはできない、という考えてみれば当たり前な、でも一般的に見えるところで行われている、表面的で針小棒大な論争からはなかなかたどり着けない結論に至りました。言葉とか、概念とか、そういったものは、最初に作られた時には全てのケースをカバーできていたとしても、時間が経つにつれ条件が変わったり、必ずしも全事象をカバーできなくなったりする。だから例外があってもいいし、その例外を弾圧するようなことはあってはいけない。少なくてもマイノリティ同士で弾圧し合うなんて、アホみたいじゃないですか?私は円香さんのお話により、よかった!自分と同じようなことを考えている人はいるのだな、という安心感をえるとともに、これからも他人とか気にせず好きかって自分の考えを主張するぞ、と思いました。

このことを影の書に残しておこうと考えたのは、そのフェミニズムアートの歴史と同様に、そもそもの崇拝の対象である自然の捉え方が、時代が進んでその自然の正体が明らかになってくるにつれて4大元素とか女神崇拝みたいなやつからビッグバンを崇拝する、みたいなものに変わっていってもいいし、そのフォーマットも自由でいいのでは、と気づいたからです。これもまた当たり前のことかもしれないんですけど、他の人が信仰しているものを改変するのだからそれ相当の敬意を払いたいし、ノリとか雰囲気とかで真似したくはなかったので、なんだか熟考してしまいました。

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