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シリアルキラーの存在意義

精神的に辛くなったとき、みなさんが心を落ち着けるためにやっているルーティンはなんですか?甘いものいっぱい食べるとか?映画観て泣くとか?残念ながら私は落ち込んでいるときに、そんな能動的なことは一切できません。

私のルーティンは、インターネットで残酷殺人事件や未解決事件を調べることです。私は(自分でいうのもなんですが)社会的地位もそれなりないい大人ですので、ちょっと特別ぶってサイコパスなオレかっこい〜みたいな感じで言っているわけではまったくなくて、かなり本気で殺人鬼を必要としています。殺人鬼のウィキペディアなんかを読むと、本当に、心の底から、スーッとドス黒く渦巻くなにかが消えて、気持ちが軽くなったように思えるのです。きもちが落ち着くまで何日でも貪るように読んでしまいます。調べてみると連続殺人鬼や残酷な殺人事件についてまとめたサイトは結構あって、世の中にはそれなりに需要があることがわかります。ディアゴスティーニとかも出してましたね。

どういう話が特に精神の向上効果があるかというと、これはあくまでも私の場合ですが、妙に脚色されたものや殺人鬼をヒーロー扱いして感情移入させるようなものよりも、事実を淡々とまとめてくれたものの方がいいです。家族間や痴情のもつれなどあいだに感情があるようなものより、場当たり的なものや屍姦やカニバリズムを含む猟奇的なもののほうがよりよいです。戦争犯罪とかもいい。昔の残酷な拷問、処刑なんかもいいですね。ディアドロフ峠とか、もはや犯人がわからなくてもいい。小説や映画でもいいのですが、どうしてもドラマチックになる傾向があるので、その場合はWikipediaであらすじをみるか、SCPみたいな書き方でないといけません。

なぜ殺人鬼を必要とするのか。私はずっと自分が穏やかに生きていく上で押し込めていた残虐性を、どこかで解放するためかなと思っていました。しかし最近よくよく考えてみると、私は他人を殺したいとか食べたいとか思ったことがありません。これから先絶対にないとは言い切れないまでも、どうしようもなく摂取が必要なほどは渇望してないんですよね。そもそもこの、たまに殺人鬼情報を無性に読みたくなることさえ、実在の事件を対象にすると被害者とか遺族とかに申し訳ないなあと思い、なるべくSCPですませたり、海外や昔の事件(被害者になるべく失礼のないように)を選んだりしてるくらいなんだから、自身で他人を傷つけようなんて思うわけがない。じゃあ私はなんでこんなに殺人鬼を必要としてるんだ、と思ったときに。気づいたんですよ。

私は、人間がモノのように扱われ、無意味に死んでいく情報を欲しているのだ、と。

同時にもう一つ思い出したことがあります。まだ私が精神病(双極性障害があります)と診断される前、当然薬も飲んでなかったので精神状態がめちゃくちゃに落ちたりしてかなり辛かったのです。そんな時、なぜだか急に、今どんな状態であれ人間はいつかは死ぬ、何事も永遠には続かない、ということに気付き、本当に、心の底から安心した、ということがありました。特に積極的に死にたい、みたいなのはないですが、死ぬこと終わりがあることが生き物みんなに平等な、救いであり、ゴールが与えられている、ということに安堵したのです。ゴールのない闘いは辛いですからね。

個人としての人間性を奪われ、ただの肉塊として殺人鬼に次から次へと平等に殺される話を読むと、いつか自分にもその救いの手が差し伸べられ、苦しみに終わりがくるのだ、そんな風に感じられて、私は聖書に救いを求めるようにシリアルキラーに救済を求めているのかもしれません。直接救って貰えなくても、人間というものが、世の中でいわれているような大層なものではなくて、誕生日パーティーに連れ出されてそのままローストにされて食べられてしまうような、そんなとるにたらないような存在だと思い知らされるだけで、人間として果たさなければならない責務から解放され、肩の荷が降りた晴れやかな心持ちになるのです。

殺人事件の話、よかったら是非読んでみてください。私のお気に入りはアルバート=フィッシュです。

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