ネクロマンティック1 完全版

ネクロフィリアを題材としたスプラッタB級ムービーとして紹介されることが多い本作。本国ドイツでの上映禁止、フィルム廃棄などばかり取り上げられるが、内容について書かれたレビューが少ない。
私はネクロフィリアでもスプラッタ映画が好きなわけでもないが、とても良い映画だったと思うので共感した方には是非見てもらいたい。

ご存じない方にあらすじを紹介する。
死体処理を仕事とするロベルトは死体愛好家。同じく死体愛好家のベティと、死体のコレクションに囲まれ暮らしていたが、ある日仕事を首になってしまう。新しい死体が手に入らなくなるとわかると、ベティは死体とともに家を出てしまう。
残されたロベルトは途方にくれ、空しさを埋めるために、飼っていた猫を殺し、娼婦を乱暴し、殺人を犯す。しかし満たされない彼は、遂に自らの腹を何度も刺し、射精する。

腐乱していく死体の表現、過激な性描写、などは苦手な人も多いと思われる。しかし、この監督が一環して描いている「死」は、この映画ではかなり映像的に美化されているので、食事時でなければ見られる。
この映画のなかで最も素晴らしいシーンは、有名なラストの自殺シーンと、草原で天使と生首でキャッチボールをするというロベルトの夢、そして要所要所にはさまれるウサギを殺して皮を剥いでいくシーンだと思う。
草原のシーンでは、凄惨な死体と牧歌的な音楽の対比に、私は、彼らがたまたまネクロフィリアだったためにスプラッタムービーになっているが、そうでなければラブストーリーだったのだと気づく。
そして、ロベルトの虚無感はベティを失った為ではなく、自らの存在の中に、例え社会的なモラルやルールを超えたとしてもなお残る矛盾を抱えていることが原因だったのではないかと考える。つまり、彼は草原の夢を求めているだけなのに現実に与えられるのは、暴行、殺人、自らの死であって、次のベティではない。彼の性は(生と置き換えてもよいと思うが)他の人と同じように死に相対するものではなく、死と表裏一体となっていた。ただ、ネクロフィリアだったばかりに。
ロベルトの自殺のシーンの後、それまで何度か挿入されていたウサギのシーンが、纏めて逆まわしで(つまり、屍骸だったウサギが、肉付けされ、皮が戻り、生き返る)入るのが印象的だ。ロベルトは死を選んだのではなく、生を選んだ結果として死んだのだ。

哀しい話だと思わないだろうか?
そんな自己矛盾を、彼はどうすればよかったのだろうか?
私はしょっちゅうそんなことを考えているのだが、未だに答えがわからないのだ。

https://www.amazon.co.jp/ネクロマンティック1-完全版-DVD-ダクタリ・ロレンツ/dp/B00005HTP2/ref=as_sl_pc_tf_til?tag=violashobo-22&linkCode=w00&linkId=&creativeASIN=B00005HTP2

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?