11月生まれの弥生ちゃん

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ノート

11月生まれの弥生ちゃん(7)〜20代最後の挑戦・30歳の挫折〜

転機与砲のアトリエ「転基地」で、演出を経験した私。

劇団内、初の女性劇作家が描いた本公演に役者で参加した。
20代最後から、30歳になる時、「たぶん、大役をもらえるのは最後だろうな」という予感があった。

劇的集団 転機与砲 第16弾公演
「空を見る人」

今まで登板した舞台で求められてきたのは、所謂オンナノコ的な若さのある演技ばかりだったので、そろそろ方向転換というか、役者として求められるもの

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11月生まれの弥生ちゃん(6)〜激動の演出・作家デビュー戦〜

GAIAで激闘の独り相撲をした私は、その後一年ほど、劇団員としてのお休みをいただいた。

私はその一年の間に、実家を出て、彼氏ちゃんと二人暮らしを始めた。

転機与砲では、お休みをとっている劇団員でも参加できる公演が立ち上がりはじめた。
少し元気が出てきた私はいそいそと会議に出ていった。

劇的集団 転機与砲 アナザー公演 vol.5
秘密基地公演 Secret[] Home/Days
(http

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11月生まれの弥生ちゃん(5)〜激闘! GAIA編〜

空の向こうの作り方の公演で、「月邑 弥生」を取り戻した私。

少しずつ一人で出かけられるようになり、自宅から徒歩5分の小さな会社にバイトとして入った。

社会復帰のために、時給制で週3回、4時間の出勤条件で入社。

が、あえなく1ヶ月で挫折した。
理由は、些細な行き違いで上司に従業員の前で怒鳴られ、叱責された事だった。
作業は事前に確認をとっていたし、自分ができることはしたつもりだった。

「やる

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11月生まれの弥生ちゃん(4)〜弥生ちゃんを取り戻す・復帰戦〜

家族や、夫ちゃんの助けを借り、ようやく岡山に帰って来れた私は、ひどい倦怠感・不眠・被害妄想・無気力etcで、食事をとり、薬を飲み、眠り続けた。

唯一、外出するのは当時、転機与砲が手がけていた市民舞台「STAR」の稽古。

「何もしないよりはマシでしょ?」と、夫ちゃん(当時はまだ彼氏ちゃん)が、音効オペレーションとしてスタッフに組み込んでくれたのだ。

なんとなく現実感のない日々だった。
薬でぼー

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11月生まれの弥生ちゃん(3)〜弥生ちゃんと呼ばれない日々〜

2005年、1月にあった第7弾公演「D・H・3」に私は出演した。
http://tenkiyohou.net/rireki/rireki_detail.php?id=DH

専門学校の卒業制作に、映像の小品を出展した私は、学校では何も作業できず、稽古して、家に帰って、卒業制作の映像とDH3の効果映像を死ぬ気で作った。
そして、本番2日前にインフルエンザでダウン。
本番を熱を出しながらようよう乗

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11月生まれの弥生ちゃん(2)デビュー戦

2004年7月。
倉敷の芸文館アイシアターにて、一つの舞台が上演された。
劇的集団 転機与砲 第6弾公演
「夏の魔法の作り方」
http://tenkiyohou.net/rireki/rireki_detail.php?id=NM

後に劇団員は「なつま」と呼ぶ作品は、転機与砲には珍しい現代劇の作品だった。

この作品は、作者の「なにかになりたい」「何者かになりたい」という、叫びが詰まった作品だ

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11月生まれの弥生ちゃん

1984年の11月。
とある平凡な家庭に、ひとりの娘が生まれた。
何時に生まれたのかはわからない。ただ、深夜に生まれたということは聞いたことがある気がする。

その子供には母の「本に出てきたキャラクターの、この名前が気に入ったから」という謎の強い理由で、こう名前が付けられた。

「弥生ちゃん」

そう、母のちょっと気まぐれな心が「11月生まれの弥生ちゃん」こと、私を生み出したのである。

この娘は

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