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11月生まれの弥生ちゃん

1984年の11月。
とある平凡な家庭に、ひとりの娘が生まれた。
何時に生まれたのかはわからない。ただ、深夜に生まれたということは聞いたことがある気がする。

その子供には母の「本に出てきたキャラクターの、この名前が気に入ったから」という謎の強い理由で、こう名前が付けられた。

「弥生ちゃん」

そう、母のちょっと気まぐれな心が「11月生まれの弥生ちゃん」こと、私を生み出したのである。

この娘は、以降の34年間、初対面の人に「3月生まれではありません」と常に説明しなければならないという、わりとどうでもよい面倒くさい事柄を抱えて生きていくことになるのである。

ただ、この面倒くささというのが、子供心には少々しんどい。
幼い頃は同級生の父母に「3月生まれなの?」としょっちゅう聞かれるし、中学生頃は「11月生まれ? 霜月じゃね? 神無月だっけ? どっち??」と揶揄い交じりに弄られる。

そして、何よりとても女性らしい名前なのに、私自身は女性らしいとか、嫋やかとか、そういう成分を持ち合わせていないことが常々悩みだった。
音楽はロックが好き、ファッションはパンク系が好き、ガーリッシュなものは苦手で、格好いいものが大好きだった。
なのに、「弥生ちゃん」。

当時イケてると思ったハード目のヒョウ柄パンツと、お金がなくてヨレても様になるようなパンクっぽいシャツをキメて着ても。
「弥生ちゃん」である。

当時は自分がイメージする自分と、名前からイメージされる自分の乖離に子供心に苦しんでいたのである。

自分の名前が嫌いだ、だから関係ないあだ名で呼んでほしい。
そんな願いを受けて、高校時代に所属した放送部の先輩や友達に頭を絞ってもらって、どこの国の人かもわからないようなニックネームをつけてもらった。
当時はその名前で呼ばれて、自分が何者なのかをあやふやにすることで安心感を得ていたのである。

しかし、18歳の時。
私は自分の人生を左右するものに出会ってしまった。
それが、地元の演劇団体の一枚のチラシだった。

「劇的集団 転機与砲」

地元でまだ立ち上げられたばかりのその劇団のチラシに、訳もなく私は胸を踊らせ、何かここに私のやりたいことが詰まっているのではないかという期待に胸が踊った。
未来を見た、運命を感じた、月並みな言葉だが、それくらいの強い何かを感じてしまったのである。
このチラシに出会わなければ、私はどんな大人になっていたのかと想像することがあるが、やっぱり転機与砲に出会わない自分は想像がつかないのである。

なにがあるのか、なにができるのかわからない。
そんな18歳の弥生ちゃんは、超人見知りなのに、当時持っていた携帯電話でぽちぽちとメールを打ったのである。

「HTMLの作成ができます、ホームページを作っています。そちらでホームページ作成の人を募集しているそうですが、お話を聞かせていただけませんか?」

文面を正確には覚えてない。
16年前の話である。ご容赦願いたい。
当時、HTMLの面白さにはまり、自宅にPCがないのに学校のPCつかってサイトを運営していた生粋のナニカだった私を、ここなら何者かにしてくれると感じてしまったのだ。

両親は大反対である。
一応専門学校への進学が決まっているとはいえ、2年後には就職がまっている。
演劇なんかにうつつ抜かしよって、は当時酔っ払った父や母から耳がタコになるほど聞いた言葉である。
(尚、二人とも今や転機与砲のメンバーが殆どわかるプチファンになっております)

なにはともあれ。

私は劇的集団 転機与砲の一員となった。
秋頃の話だと思う。
当時の私には野望があったのである。

「ホームページを実際のどこかの団体で作り、それを実績として将来就職の時の成果物にしたい」
その夢は半分叶って、自分から全てかなぐりすてることになる。それはまた、いつかお話したい。

18歳当時、お芝居をしない裏方の制作?スタッフとして、そして放送部時代にかじった映像制作で舞台に関わりつつ、のほほんと楽しく過ごしていた。

そんなある時、私は出会ってしまったのである。
演じたい、という脚本に。
「夏の魔法の作り方」という物語である。

この舞台をきっかけに、私は役者としての半歩を踏み出した。
そして、役者として出るからにはクレジットされる名前が必要になる。

色々考えて、考え抜いた。
格好よい名前がいい? 可愛いのはやだな。カタカナは私の趣味じゃない。
難しいすぎる感じはごちゃごちゃしてて嫌だ。
ほんのちょっとだけ、難しい字を使って、人の印象に残る名前にしたい。
月に纏わる名前にしたい。

そんなこんなごちゃごちゃ考えた末に、私は

「月邑 弥生」

という名前を名乗ることにした。

大嫌いな自分の名前なのに。
それを芸名の半分にすることにした。
当時なぜそんな心境になったのかはわからない。

でも、心の底で、母にもらった名前に自分という名のない魂を守ってもらいたかったのだと思う。

演じるということは、表現するということは、それを人に見てもらうということは、18歳の私にとってはとてもセンシティブなことだった。

18歳の短い人生経験の中で、自分を表現するリスクを嫌というほどわかっていたのだ。

いじめという形で。
陰口という形で。
放送部時代の朗読で、批評されることの怖さもなんとなく感じていた。

だから、父と母は劇団に所属することには反対だったけれど。
それでも、私という名のない魂を守って欲しいと思ったのかもしれない。
なんだかんだで、私の魂は「弥生ちゃん」という言葉で守られていたのだと思う。

どんな役を演じても、どんな批評にあっても、どれだけ魂を傷つけられても。
この名前がある限り、私は私に戻ってこれる。

そして、名字だけを変えることで、私の想像の中でパブリックイメージの自分を作り、「弥生ちゃん」を守ろうとしたのかもしれない。

大嫌いの反対は、大好きだってことだ。
今の私ならわかる。
弥生という名前が好きだからこそ、嫌いだったのだ。
そのイメージ通りに生きられない自分のことが、嫌いだったのだ。

2004年7月。
私は、舞台に立った。

「月邑 弥生」のデビュー戦である。

(気が向いたらそのうち続く)

#演劇 #アマチュア #役者

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弥生

岡山でアマチュア劇団「劇的集団 転機与砲」に所属中。

11月生まれの弥生ちゃん

11月に生まれ、「弥生」と名付けられた私。 なんの変哲も無い人生が、お芝居に出会い、ほんの少しだけ変わっていきました。 そんなセルフストーリーを綴る、超誰得?な自伝マガジンです。
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