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11月生まれの弥生ちゃん(6)〜激動の演出・作家デビュー戦〜

GAIAで激闘の独り相撲をした私は、その後一年ほど、劇団員としてのお休みをいただいた。

私はその一年の間に、実家を出て、彼氏ちゃんと二人暮らしを始めた。

転機与砲では、お休みをとっている劇団員でも参加できる公演が立ち上がりはじめた。
少し元気が出てきた私はいそいそと会議に出ていった。

劇的集団 転機与砲 アナザー公演 vol.5
秘密基地公演 Secret[] Home/Days
(http://tenkiyohou.net/rireki/rireki_detail.php?id=SE)

GAIAが始まって間もなく、転機与砲はアトリエを構えた。
名前は「転基地」。
倉敷インターの麓にある倉庫を借り、平台で舞台を組み、稽古場兼倉庫として使えるアトリエ。
壁の防音・防熱のために壁の補強材をいただいたり。
劇団員で棚を作ったり、階段を作ったり。
まさしく、私たちの秘密基地だった。

その転基地を、劇場として使い、アナザー公演を打つ。
その時は「楽しそうだなぁー」とぽけーと考えていたのだが。

今思えば、実に大変なプロジェクトだった。

当時、転基地にあったのは、仮舞台の平台だけだった。
照明もなく、客席も整備されておらず、本当にただの稽古場だった。
照明を吊り、配線をし、幕をつくり、客席を整備する。

劇場に詳しい先輩役者が、頭を捻りながらアトリエを、劇場に変えていった。
今思えば、彼女の手腕がなければ、アトリエが劇場になるという奇跡のような瞬間を迎えることは出来なかったと断言できる。
当時の私はわかっているようで、全然わかっちゃいなかったけれど。

何はともあれ、私はこの公演で、DAYSの演出をとることになった。

話の発端はただの勘違いから始まったことだったのだが。
いつのまにか、演出をとることになってしまったのである。

訳がわからないままに、本を読み、あーでもないこうでもないと作り始めた。

HOMEの演出担当と殴り合い寸前の喧嘩の末に欲しいキャストを獲得し、訳も分からないままに、演出をつけ始めた。
軽快な会話劇なのにギャグを面白く演出できないので、そこは彼氏ちゃんに助けてもらった。

私の演出はとてもシンプルだと思う。
見た人に「これは芝居ではない。演じていない。役者の個性のまま舞台にあげてるだけだ」と厳しい批評をもらうほど、何もつけてなかった。

いいとも、悪いとも判断できない。
芯の通らない演出に、役者の苛立ちが見えた。

「お前何したいの」と何度となく問われ。
答えられない場面がたくさんあった。

幕が上がるまで、不安だった。
でも、もっと不安だったのは、役者さん達の方だと思う。

今ならわかることが少しだけある。
「これでいいのか、悪いのか」
そこをはっきりさせることができたら、ようやく演出としての一歩、なのだと思う。

なので、この演出デビュー戦は、またしても半歩踏み出しただけだった。

なのに。
舞台が始まって、私は本当に驚いていた。

皆不安でいっぱいだったのに。

役者って、すごい。
直前まであんなに不安そうな顔をしてても、幕が上がった瞬間、そこにはお芝居があった。
生きた物語が、そこに出来上がっていたのだ。

びっくりした。
感動した。
胸がいっぱいになった。

凄い。
皆、凄い。
本気でそう思った。

物語でひっぱりきれないシーンでは自分の力をフルに使って人を楽しませ。
キャラクターの役割を演じ、物語のバランスを崩さないように注意を払い。
物語の核心に迫るポイントは、決して外さない。
きっちりキメてくる。

私、ヤバイ奴らとお芝居してたんだと、その時に実感した。

もっと、安心して舞台に立っていたら、もっと、皆、たくさん凄いことをできたのに。
そういう強い悔いは残った。
でも、演出したこと自体は悔いに思わなかった。

またやろう、また挑戦しよう、と密かに思った。
もっとたくさん、色々なものを見よう。
勉強しよう。
そう思えた。

紆余曲折ありながら、秘密基地公演はひとまずの成功を収めた。

そして、私は演出したことを機会に、劇団に復帰する。
演出したことで、役者としてみえるものがあると確信したからなのかもしれない。
単純に、元気が出たのかもしれない。
ただ、なんとなくノリだったのかもしれない。

多分、苦しいけど、楽しかった。

それだけなんだと思う。


秘密基地公演の1ヶ月後、2013年11月。
倉敷市のお隣の福山で、一つの小さな公演が幕をあける。

「Trash Box 〜5人の笑える男たち〜」
作・月邑 弥生

なお、劇団名などは公表の許可をいただいてないので、伏せさせていただく。
処女作となる脚本が、奇妙な縁をたどって、福山市で上演されたのである。

興味のある方は、是非検索してみてほしい。
なぜなら、フライヤーとパンフレットは未だネットの海を漂っており、そのデザインが非常にクールだからである。
最高に格好いいのである。

今思うとまだ拙い台本だった。
けれど、舞台の出来は最高だった。

2013年の社会復帰プロジェクトは散々な有様だった。
派遣の会社が残業多すぎて勤められずに遅刻欠勤繰り返し、最後は部屋に引きこもって3ヶ月で退職。
営業のバイトは会社にもお客さんにも怒られるダブルバインドの結果、仕事中にトイレに引きこもって泣き喚いた結果、2ヶ月で退職。
そして私は、ふたたびラーメン屋のバイト店員に戻った。

社会復帰は、三歩進んで二歩下がって、さらに一歩下がってまた最初からやり直し。

なのに、なぜか演劇方面はちょっとずつ、一歩前進していたのである。
人生って不思議だなぁ、と本当に思う。
いいことばっかりの年はないし、悪いことばっかりの年もない。

いいこと、悪いこと、半分ずつ。
そうやって人は生きていくものなのかもしれない。
そうやって、人は少しずつ成長していくのかもしれない。

次回「20代最後の戦と、30歳の挫折」。

#演劇 #小劇場 #役者 #演出 #劇団 #岡山

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弥生

岡山でアマチュア劇団「劇的集団 転機与砲」に所属中。

11月生まれの弥生ちゃん

11月に生まれ、「弥生」と名付けられた私。 なんの変哲も無い人生が、お芝居に出会い、ほんの少しだけ変わっていきました。 そんなセルフストーリーを綴る、超誰得?な自伝マガジンです。
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