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11月生まれの弥生ちゃん(2)デビュー戦

2004年7月。
倉敷の芸文館アイシアターにて、一つの舞台が上演された。
劇的集団 転機与砲 第6弾公演
「夏の魔法の作り方」
http://tenkiyohou.net/rireki/rireki_detail.php?id=NM

後に劇団員は「なつま」と呼ぶ作品は、転機与砲には珍しい現代劇の作品だった。

この作品は、作者の「なにかになりたい」「何者かになりたい」という、叫びが詰まった作品だった。
10代・20代の些細で、けれどなによりも強い衝動。
人生の短いモラトリアムの中に居る多くの人が持つ、見えない未来に抗いたいという思い。
その思いや、感情に、思い切り感情移入していたのだ。

私の役は「あかね」という一人の少女の役だった。
彼女は、夏の魔法の作り方の主人公だった。
今ならちょっとだけ、そのキャストをもらえた理由がわかるかもしれない。
本当に、私はなんの変哲もない「普通の人」だった。
技術的に手垢がついてないから、演技としての普通の人ではなく、本当にただ、普通の人として舞台の、物語の上に立つことを望まれた結果の配役だったのだ。

つまり私は、技術的になんの経験もない、ただキャラクターに感情移入した気持ちだけで、私は舞台に立つことになったのである。

簡単に言おう。
初舞台は、辛さとプレッシャーのキツさで稽古中、心が何度か折れた。
今思えば、演出さんは伝わらない表現技法に苛立っていたのではないかと思うし、共演者は常に不安な素人の役者を相手にするわけである。

今の私がもし、当時の私と共演できるか?と問われたら、多分「難しいっすね」と答えると思う。
理由は、当時の私は役者の一番必要なスキルを持ち合わせていないから。

持論にはなるが、役者にはたった一つだけ、絶対に持っていないといけないスキルがあると思っている。
「他者を信じる力」である。

他者には色々含まれる。
演出、台本の作者、共演者、スタッフの皆さん、そして、会場まで来てくれたお客さん。そして、なにより努力してきた過去の自分。

関わっている全ての人を信じて、物語を信じて、体も心も舞台に委ねる。

これが、できなかったのだ。
今も完全にできているとは言い難いのだが、初めての舞台は、とにかく自分さえも信じられないと感じていた。
まあ、簡単に言えば ビビってたのだ。
尋常じゃないほどに。

数年前、DVDで夏の魔法の作り方をもう一度見る機会があったのだが、声は震え、体は緊張し、四肢が伸びない。
見ているこっちが疲れた。
役者の過緊張のいい例として教材になるレベルだった。
共演者にもお客さんにも物凄いストレスを与える役者だった。

すごく端的に表現するなら、「いつ過呼吸でぶっ倒れるかわかんない人を見守る緊張感」。
その一言に尽きる。
だから、この舞台は、役者として半歩踏み出すキッカケだったと今は認識しているのである。

舞台が終わった後、達成感なのかなんなのかわからない感情に包まれた。
安心した、とも違う。
自信を持った、とも違う。
数ヶ月かけて作った舞台が終わった時、私が感じたのは、ぽっかり穴が空いたような寂しさと焦り。
舞台が終わって、満たされていなかった。
むしろ、逆に飢えていた。

超人見知りで、コミュニケーションがうまく取れない人間が演劇に出会うと、私は同じ思いを抱くのではないかと思う。
演出と、共演者と、スタッフさんと、そして上演時間中はお客さんと、物語というベースの上で私はコミュニケーション欲を満たしていた。
(それは今もそうなんだけど)

10代の私は、自分がコミュニケーションに飢えているなんて、全然わからなかったのだ。
人付き合いも悪く、私は鼻持ちならない子供だった。
傷ついている自尊心を、人に対して高圧的になることで押し隠すような人間だった。
友達付きあいが本当にヘッタクソで、自分の好きなものを追いかけることで、人の輪の中に入ることを拒否していた。

だから当時の私は、妙な飢餓感が一体何なのか。自分が本当は何を求めているかもわからずに、右往左往した。

私を振り回したのは、自己承認欲求と呼ばれるものだと思う。
言葉にするととても卑しい欲のように思えるが、人が人として生きるために備えられた生存本能。
この欲は誤解されがちだけど、別にすげえって認められたい気持ちじゃないのだ。
そこに居ていいよ。
そこで考えていていいよ。
そこで言葉を出していいよ。
自分の考えを話していいよ。
もう、たったこれだけの欲求なのだ。本当に簡単に言えば、の話なんだけど。

話はそれたが、そんなコミュニケーション不全の私が演劇に出会ってしまったことで、生存本能が満たされて、心がざわめいていたのだ。
満たされたい、もっと欲しい、ここで生きていたい。
でも、何に満たされたいのか、何を欲しがっているのか、どこで生きたいと思ったのか。

それがわかるのは20代の後半の話である。
またその話はいずれしたいと思う。
よくある話だけど、私にとっては大事な話なのだ。

自覚のない、役者としての半歩。
そして、弥生ちゃんが、踏み出した、小さな半歩。
この小さな一歩がなければ、私は今の私にはなれてないと思う。

そんな小さな半歩とは気づかずに、デビュー戦は無事、幕を閉じた。
当時の共演者、演出さん、作家さんには言い尽くせない感謝の気持ちがある。

反対しながらも「やると決めたからには頑張れ」と言ってくれた父、母。
そして演劇の基礎を教えて、読みの稽古に付き合ってくれた妹。
初舞台を見に来てくれた数少ない友人。

もう、なんだろうな。

言っても詮無いことなんだけど。
たくさんの人が側にいてくれてることに気づけよな?!
10代の私!!

翌年、2005年にはDH3という舞台に参加する。
ただ、この公演を語るのは難しい。
思い出の舞台であり、役者としての明確な一歩であり、そして、かけがえのない舞台だった。
でも、まだ語ることができない。

ということで、次回「11月生まれの弥生ちゃん、弥生ちゃんと呼ばれない20代前半編」です。

#役者 #舞台人 #演劇


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ご覧いただきありがとうございます。

弥生

岡山でアマチュア劇団「劇的集団 転機与砲」に所属中。

11月生まれの弥生ちゃん

11月に生まれ、「弥生」と名付けられた私。 なんの変哲も無い人生が、お芝居に出会い、ほんの少しだけ変わっていきました。 そんなセルフストーリーを綴る、超誰得?な自伝マガジンです。
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