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会議は踊る、されど、ただ一度だけ。|短編小説


目が焼けそうなほど真っ白なホワイトボード。
そこに、主任がキュッと丸みを帯びた三角形を描いた。
真ん中あたりを黒く塗りつぶし、それから少しだけ考えた後、いくつかの図形を描く。
シンプルな丸、少し平べったい丸、俵のような形、そして星。
主任はその5つの絵を描いた後、おもむろに振り返り、口を開いた。

「理想的なおにぎりの形を、我々は考えるべきだと思うんだ」

会議室は一瞬、ざわっとした。
決して会議室に集まっている人数は多くない。
小さなチームでの会議だ。全員合わせても4人ほどしかいない。
しかし、主任のその一言は会議室チームに思わぬ波風を立てるほどの一言だったらしい。

「主任……。それは……」
会議室に集まった中の一人、角田米太郎は言いにくそうに口を開いた。

「それを話すということはつまり、戦えと。そういうことなんですね」

主任は角田の言葉に、重々しく頷いた。

角田はチームの中では最も若い青年だ。
入社三年目。社内でも少しずつ存在感を放ち始めている、若きエース風の男である。角田は「そういうことか…」と小さくつぶやき、何かを考え始めた。

「そんな話し合いに意味あります?」
そう声をあげたのは俵ヨネコだ。
俵は髪の毛のちょっとした乱れを気にするように前髪をなでながら言った。
退屈そうに……しかし、その言葉とは裏腹に、ヨネコの目は強い光を帯びている。

「今更話してもどうしようもないことを、今この会議で話す必要あるんですか?」

主任はうむ、と重々しい返事をする。

「しかし、この話は今確実に全員の同意を得ないといけないと思うんだ」
「理想的な、おにぎりの形をですか?」
「ああ。大したことに思わないかもしれない。だが、この話し合いをすることで、我々のチームが残す結果が変わる。俺はそう信じている」
「……主任が、そうおっしゃるのならかまいませんが……。彼女がなんていうか……」

そういって、俵は隣に座る飯田玉子のほうに視線をやる。
飯田は、それまでキーボードを叩いていた手をとめ、ふっと全員の顔を見た。

「私に意義はありません。ただし、会議室は30分でとっています。それまでに、すべてが終わるのであれば……という条件付きですが」
「角田くん、あと何分あるかな」
「ええと5分前に全員がそろったので……あと、20分少々というところです」
「ありがとう」

主任である浅米星夫はそう答えると、スーツのジャケットを脱ぎ、ホワイトボードにもう一度むかいあった。
25分。可能だろうか?
このチームの命運を握るこの会議のなかで、『理想的なおにぎりの形』を話し合う必要があるのだろうか。

「主任、どうされます」

答えを催促するように、飯田は問いかけた。
浅米は決断する。

「大丈夫だ。必ず25分以内に、今話し合うべきチームの課題をすべて解決する」

浅米は全員が不安に思わないよう、ことさら力を込めて言い切った。
角田、俵、飯田の3人はその答えに頷いた。

「まず僕から提示したいデータがあります」
角田はそういって、朝米が書いた図形の下に数字を書く。
三角68%、俵9%、平たい丸型14%、丸型8%、星型1%。

「これは、普段食べるおにぎりの形のアンケート結果です。大手の海苔メーカーが、2018年に調査したアンケート結果では、このような回答になりました」

「2018年…」
俵は苦々しく顔をゆがめた。角田はそんな俵を見て、ふっと笑う。

「データ的に言えば、おにぎりという単語を聞いた多くの人が三角形を思い浮かべるのはあきらかです。理想のおにぎりという単語には、三角形が最も適している。僕はそういう風に考えます」
「なるほど、そういう考えもあるな」
角田のデータをもとにした主張に、浅米が頷く。角田は、それを見て薄っすらと笑みを浮かべ、満足そうに椅子に座り足を組んだ。
「僕からは以上です。俵さんはどう思います?」
俵は満足そうな角田をきっとにらむと、立ち上がる。
「主任、私からも提案したいデータがあります」
そういって俵は赤いペンを手に取った。
きゅきゅっと軽快に音を立てながら、数字を書き込んでいく。
俵はその出来上がりに満足そうに微笑んで、チームメンバーのほうへ振り返った。
「先ほど角田さんが提案したデータには偏りがあります。こちらの赤の数字をご覧ください。これは、同じ会社が西日本地区のユーザーを対象に収集したデータです」
モノクロのホワイトボードの中に鮮烈な赤が光る。
俵はそれぞれの数字をひとつひとつ指さしていく。
「まず、西日本地区ではおにぎりとは俵型が57%、時点で三角形が37%。つづいて平たい丸型、球体が3%のの内訳となっています。角田さんが提唱したデータは東日本地区でのデータであり、これを日本全国のアンケート結果とするには無理があるかと」
痛いところを突かれたと言うように角田は顔をゆがめる。俵はその表情を満足そうに見つめた。そして、この場の決定権を持つ主任の浅米にアピールするかのように続けた。
「確かにデータ上では三角形のおにぎりがおにぎりである。ということができます。非常に一般的な形ですし、多くの人が目にしている組み合わせです。代表的な例はコンビニのおにぎり。あれは3角形、ですよね? 角田さん」
「ああ。その通りだ」
「私は思うのです。一般的な形が、果たして理想形なのか? と」
「つまり、どういうことだ?」
俵のもったいぶった言い回しに、浅米はそう問いかけた。
俵はそんな浅米の行動に、にっこりと笑う。
「一般的な形が理想形とは限らない、と私は提案したいのです」
「議事録が長くなります。俵さん、結論をお願いします」

「私は理想形のおにぎりに俵型を提案します」

俵のその一言に、角田が思わず椅子から立ち上がる。

「俵、お前っ……」

角田は俵の主張に自分の発言が利用されたことに怒りを隠せないようだ。

「あら、何かしら角田さん」

俵は自分が優位に立っていることをアピールするように言い放つ。
その勢いに負けて角田は思わず口ごもった。
その瞬間、俵は浅米のほうへ向き、畳みかける。

「主任、主任はいまおいくつですか」
「え? ……38、だけど」
「なるほど。でしたら主任は、俵型のおにぎりをまだギリギリみたことがあるんじゃないかと思うのですが。いかがでしょうか」
「あー……そういえば。田舎の爺さんちに行ったとき、そんなのが出てきたような……」
「なるほど。では、その田舎に遊びに行ったとき。どんな思い出がありますか?」
「思い出? 思い出ねぇ……」

浅米の目線がぼぅっと遠くを見つめ始める。まるで30年前の幼少期を思い出すかのように。
俵は浅米の返答を真剣に、祈るような気持ちで待っている。

「あれは小学校の夏休みだったかなぁ。盆休みに1週間、里帰りした時があったんだ」
「田舎はどちらなんですか?」
「ああ、岡山だよ」
「なるほど、岡山ですか……自然が豊かでいい場所だと聞いたことがあります」
「うん。開けた場所もあるんだけどね。田舎のほうは山のふもとに民家が立ってる感じなんだよ。だから、夏休みの間中、本家の裏山でずっと虫取りしてたり、夜には花火したり。近所のおじさんに分けてもらったスイカを食べたり。あれは、すごくいい体験だったよ」
「その体験の中で、俵おにぎりに出会ったんですね。主任は」
「そう。確かね、おばあさんが握ってくれたんだよ。星夫、おなかすいただろって。塩気が効いててうまかったなぁー……」
30年前に食べたおにぎりの味を思い出すように、浅米は遠くを見つめている。
角田は、俵がそんな浅米を見ながら、安堵したように笑うのが見えた。

「主任、それです。理想のおにぎりは、それなんです」
「え?」
「理想のおにぎりとは、『今、手に入らない形』なんです」

なるほど、と角田は呆然とつぶやいた。そして、自分の発言に驚いたように口を手でふさぎ、きっと俵をにらみつける。
俵はそんな角田の敵意を表す視線に、にっこりと笑い余裕の態度で受け止める。
そして、追い打ちをかけるように口を開いた。

「理想には数字では語れない要素が必要なんです。その形である意義、その形に込められたストーリー、その形から連想される無数のイメージ。主任が俵型のおにぎりという要素で、幼いころの子供の夏休みのエピソードを語りましたよね。その時、きっと思い出したと思うんです。田舎の古いお爺さんの家、駆け回った山の中の香り、おなかがすいて帰ってきたときに、笑顔のおばあさんが出してくれた……俵型のおにぎりと、麦茶。他の形では、こんなイメージや想像を訴えることはできません。ゆえに、私たちが理想とするおにぎりは、そう。俵型」
俵は目をつむり、おぼろげに浮かぶ何かをつなぎ合わせながら言葉を紡ぐ。その真剣さとストーリーに全員が飲み込まれる。
俵は会議室全員のそんな様子を横目で見ながら、これだと思う言葉で締め来る」

「私は、俵型でしか、私たちの理想は具現化できないと考えています。……私からは、以上です」

会議室には俵の語りの余韻が残った。その余韻を壊さないように、俵はそっと音をたてないように椅子に座る。
角田は先ほどまで悔しそうな顔をしていたが、今ではその悔しさを忘れたように落ち着いた顔をしている。
浅米は、俵のイメージと感情をたっぷりと混ぜた語りに、まだ酔っているような呆けた顔をしている。
しかし、飯田だけは、パソコンのディスプレイにさえぎられて、その顔を見ることができない。
多数決では、おそらくこのまま俵型で決まる。けれど、飯田の存在。俵は唯一それだけが、気にかかった。
先ほどからキーボードを叩く音が聞こえない。全くの沈黙を貫いている。
それは、俵のイメージに心を奪われているのか。それとも……。

カタッ

沈黙していた会議室に、無機質な音が響く。
角田も浅米も、はっと現実に引き戻される。それから周囲を見渡し、何の音なのかを探ろうとしていた。
俵だけはわかっていた。
飯田が、かけていた眼鏡を机に置いた音だということに。そして、強烈に不安な気持ちを抱いた。
おそらく飯田は、変える。俵が作ったこの流れを。

「私の田舎は、北海道です」
ぽつり、と飯田は言った。
「私の田舎……いえ、実家では、おにぎりは三角でも俵型でもありませんでした。平べったい、丸型です」

飯田の発言を待つ空気が流れる。しん、と会議室が静まっている。

「平べったい丸型には、利点があります」

飯田は、その沈黙を利用するように、言葉少なにゆっくりと話している。その語りは、俵の創造やイメージを使う情熱的な語りよりも、理性的なイメージを与えていた。

「どこから食べても、具にたどり着く距離が、一緒なんです」

それだけ言うと飯田は再びパソコンのキーボードをたたき始めた。どうやら、話したい内容はそれだけだったようだ。
全員がその言葉をどう受け止めるべきなのか迷っているようだった。
角田は、ぽかんとした顔をしていたし、浅米もうんうんと頷いてはいるがどこか掴みかねているようだ。
俵だけはその発言の力を理解していた。俵が作ったイメージと情熱の世界が、飯田の少ない言葉ですべて、打ち壊されてしまったのだ。
俵は答えを説得したが、飯田は全員に考えさせている。

平べったい丸型のおにぎりが、『理想』たりうる理由を。
全員に、考えさせているのだ。
俵は考える。これは飯田の天然なのか、それとも策略なのか……。

「そうか、そうだね。具にたどり着く距離が一緒って、いいかもしれないよね」
浅米が口を開いた。
「ね、角田くん。そう思わない?」
「え? そう、かもしれないっすね」
「こう、具がさ。距離が違うとお米とバランスが崩れちゃって、残念だな―って時、あるもんね」
「あー、なるほど」
「そういえば、平べったい丸型のおにぎりってコンビニにもあったよね、俵さん」
「えっ! ええ、そうですね。和風シーチキンとか、チャーハンとか、赤飯とか。変わり種の種類に多いかもしれないですね」
「あれってなんでだろうね。なんか知ってる? 飯田さん」
浅米が飯田に話を振る。飯田は、キーボードをたたく手を止め、浅米の顔を見つめて答えた。
「詳しくは知りませんが、実家の母はふっくらする、と言っていました」
「ふっくらかぁ……」

三角、俵、平べったい丸。
地域差があるとはいえ、代表的な3つのおにぎりの形に対する意見が出そろった。
浅米はこの3つの形の中から『理想的なおにぎり』の形をどう決めるべきか、迷っていた。
どの発言にも一定の筋があり、ベクトルが違うとは言え、それぞれの主張に力強さもある。
果たしてどの形が最も『理想』に近いのか。

「主任。お言葉ですが」

飯田が口を開いた。

「時間があと10分しかありません。このままのペースだとこの会議だけですべてを決めることができません」

はっとして全員が時計に目を向ける。
おにぎりの話に15分も費やしていた。

「主任、決めましょう。今すぐ多数決で。全社あげてのお花見は、もう明後日です。今日中に発注を決めないと……」
角田は浅米に決断を迫る。

そう、この会議は明後日開催されるお花見大会の幹事チームだった。
うっかり幹事を決め忘れていたことに気づいた社長がかき集めた各部の精鋭を集めたのだ。
彼らのミッションは2日後の花見大会を、恙なく開催すること。
決して、急造の花見大会であることを社員に悟られてはならない。そして当然、社長の顔をつぶしてはならない。
精鋭である、特別であるという証明を、彼らは何の変哲もない『花見大会』で試されている――……!

浅米は考え込んでいた。
我々のミッションは、『花見大会を開催すること』だ。
しかし、ただ間に合ったでは、このチームの成果としては及第点以下だ。
各課の精鋭を集めたチームが2日間で花見を手配する。
社員からはこれだけの人員を確保できたのだから当然だ、と理解するだろう。
それではだめだ。このチームに加わったメンバー全員が、どういう形であれ『評価』されなければ。
チームメンバーの、未来が……変わってしまう。

(どうする。どうすれば、このチームの最大の成果を出すことができる……?)

結果は例年の花見大会を大きく上回らなければならない。
その結果は、誰もが驚き、喜び、称賛し――そして、感動できるものでなければならない。
残り10分。この10分で花見の段取りをすべて、決めなければならない。
だが……。
酒が苦手な人がいる。
子供を連れてくる社員もいる。
そして、新入社員は気を使って肉やオードブルにはきっと手が出せない。

全員が、食べられる確率が高いもの。そして、満腹までのコストが最も低いもの。
それが――おにぎり。
おにぎり、なのだ。花見は、おにぎりが肝なのだ。
おにぎりがすべてを決めるのだ。
社員たちはおにぎりに、驚き、喜び、称賛し――そして、感動するのだ。

普段、チームリーダーとしての浅米は決して、自分の意見を言わない。
全員の意見を聞き、筋が通っているか、データの裏付けがあるか。そして、その提案に将来性があるのかを判断する。
平等な判断のために、自分が意見を持ち発言することを禁じ手としてきた。
主任職についてから3年。浅米は自分の意見は言わない、出さないを自分のルールとしてずっと守り抜いてきた。

……だが、今回はそのチーム運用では、全員のポテンシャルを発揮できない。
このチームでは、全員が対等に議論を交わし、戦いあって、一つの新しく優れたアイディアを生み出す。
そういう運用が向いている。
浅米は決意した。
新しいアイディアを出すには、議論を深めるには……。
今まで禁じ手としてきた、自分の意見を言うことが、何よりも大事だ。

「……僕は、おにぎりが……」

浅米の雰囲気が変わったことを全員が察し、その一言に固唾を飲んだ。

「僕は、おにぎりが、星型だと。皆、感動すると思う」

「おにぎりが」
角田は、大きく口を開けて、かすれる声で言った

「ほし、がた……」
俵は頬を紅潮させながら、興奮の声を上げた。

飯田は、ノートパソコンのディスプレイを閉じ、ガタッと、立ち上がる。
そしてスマートフォンを耳にあて、どこかに電話をかけている。

「い、飯田君?」
浅米が飯田の行動に戸惑っていたが、俵はその様子を見守っていた。
彼らにはわかっていたのだ。
飯田が一瞬の間に、スマートフォンに弁当屋の電話番号を打ち込んだことを……。

「お忙しいところ恐れ入ります。五ツ菱商社の飯田と申します。いつも大変お世話になっております。今年の花見弁当の件なのですが……おにぎりの形を当社のロゴである五ツ菱にすることは可能でしょうか」

「そうか、星型……五ツ菱っ!」
角田は我に返って声を出した。
「五ツ菱は当社のシンボル……! そうか、そうだ。クライアントである社長も、サービスを受け取る社員も、満足する。社長には会社への帰属意識をアピールする機会になるし、社員はネタとして写真をとってSNSに掲載するだろう。五ツ菱の弁当で自然発生のプロモーションができる……! 主任、まさかあなたはここまで考えて……」

「静かにして。角田。交渉中よ」
俵は興奮した角田を止める。だが、その頬はさらに紅潮し、顔が真っ赤だ。
優れたアイディアに出会った時の興奮と、自分がそれに気づけなかった悔しさ。複雑な感情が彼女の顔を赤く染めている。

「難しそうかな、飯田さん」
浅米は飯田に小さな声で問いかけた。
「現在、工場長につないでもらっています」
「ありがとう」

「主任!」
角田は紙に書きなぐった何かの絵を見せた。
走り書きの少々見づらい図形だったが、浅米はそれを見て驚いた。
「これは……花見位置の?」
「はい。今グーグルマップで調べたんですが、会場になる花津公演には桜の木がちょうど星型になっている箇所がありました」
「いいね」
「なので、今回はビュッフェ形式で。机を中央から放射線状に配置します。そして、ブルーシートはこんな風に配置をして……」
「なるほど、五ツ菱。会場の配置も、星形に。いいね。これでやろう」
「わかりました。すぐに現地に向かって、どの程度の資材が必要か計算してきます」
角田はそういうと、すぐに身支度を整えて会議室を飛び出した。

「主任、ドリンクの件ですが……」
「その顔は、いいのがみつかったかな? 俵さん」
「ええ。ビールは2種類。サッポロビールを8割。残りの2割をビンタンで」
「ビンタン?」
「インドネシア産のビールです。なかなか日本では見かけませんし、ビール特有のクセも少なくあっさりとしています。これなら、ビールが苦手と感じている最近の新入社員たちも、面白がって飲めるのではないかと思います」
「なるほど、面白そうだね、ビンタン。やってみよう」
「ノンアルコールのカクテルとビールもいくつか用意しておきます」
「そうだね。さすがだよ、俵さん。買い出しはどうする? 重たいから俵さんだけじゃ……」
心配そうな声を出す浅米に、俵は余裕の笑みを浮かべる。
「問題ありません。Amazonで現地に送ります。ではいったんデスクに戻って、すぐに購入物のリストと費用をお送りしますね」
「頼もしいよ。ありがとう」
俵も颯爽と会議室から去っていく。
若手が、それぞれの仕事を自覚し、動き始める。
浅米はその背中を見送るのが、何よりも好きだった。
二人の背中には覇気が宿っていた。きっと、彼らは浅米が期待している以上の成果を出すに間違いない。

問題は、おにぎりだ。
星形のおにぎりだ。
飯田が電話口で少し交渉に手間取っているようだ。これはサポートが必要かもしれない。

「ええ、ですから……明後日までになんとか150名分を……。いえ、三角でも俵型でも、つぶれた丸でもダメなんです。星形でなければ……」
飯田にジェスチャーでスピーカーにすることを指示する。
飯田は戸惑いながら、スマートフォンを机に置き、スピーカーモードにした。

「ってますよ。毎年お世話になっていますし、御社とはこれからも長いお付き合いでやっていきたい。ですがね、明後日急に星形のおにぎりを作れっていうのは……常識的に考えて、難しいと思いませんか」
「……お話の途中、失礼いたします。主任の浅米と申します」
「え? あー……はい。ホッカモット花津工場長の桜田ですが……」
「すみません、少々前からお話を伺わせていただいていたのですが。1点質問がございまして。お忙しいところ申し訳ないのですが、お答えいただけませんか」
「はあ。なんでしょう」

「どうして、星形のおにぎりを作るのが大変なんですか?」
「はぁー……。ですから、普通に考えてみてくださいよ。おにぎりってのは、三角とか俵とかつぶれた丸でしょう。あれなら、作りやすいんですよ。型抜きでプレスすれば、その形にできますし、ラッピングして、そちらにお届けも簡単だ。でもね、星形だと、型がありませんし、角がつぶれちまうんですよ。万が一作れたとしても、運んでいるうちに、ぺちゃんこになって。丸になってしまう」
「……なるほど」
「うちも、あなたの会社とは長い付き合いですし、なんとか協力はしたい。ですが、今回の発注は無理です。申し訳ないのですが」

「型があれば、できますか」
「まあ、うちのおにぎり製造機の機械に合う型があるんなら、ですけど」
「なるほど。では、型崩れを防ぐ方法はなにかありませんか」
「ラッピングじゃあ無理ですねぇ……まあ、弁当の箱に入れれば……大丈夫かもしれませんけど。それでも輸送中に動けば、崩れますよ」
「なるほど」

浅米は一瞬考えて、口を開いた。

「型はご用意できます。当社の新製品で、そちらのプレス機に合わせられる商品がございます。こちらは商品の性能を確かめるためにも、今回サンプルで提供をさせていただきます。そして、おにぎりの件ですが……」

「弁当の真ん中におにぎりを配置してください。そして、隙間におかずを入れてください」
「特注弁当、ですか」
「ええ。予算はいかほどかかりますでしょうか」

飯田は浅米の提案に一瞬、驚いた顔をした。
予算は大丈夫なのか。パソコンの予算書を開く。
メールを確認すると、俵からの購入品リストと個数、その金額が送られてきていた。
そして、角田からは、用意してほしい消耗品リストが送られている。
飯田は、角田の消耗品リストに掲載されている商品の値段を調べ上げ、予算書をその場で作成していく。

花見の総予算、45万。
どうやってでも、この予算内にすべてを納めなければならない。

飲み物代と消耗品で、予算の60%を占めている。
リストを確認していくと、いくつか過剰と思われる購入品があったため、飯田はそれを適正な個数に調整していく。
飯田は事務のスペシャリストだ、現場の人間が万全を期すために多少多めの発注をすることを理解している。
予算の40%程度に抑え込めるように、商品の内訳、飲み物の発注数を調整した。

残りは、27万円。弁当だけではだめだ。オードブルやおつまみの用意も必要になる。
22万5千円。1500円で、150人。ここが弁当に割ける予算だ。
これ以上飲み物を削ることはできない。
じっと飯田は予算書をにらみながら待つ。
相手の出方次第では、オードブルのランクを下げ、弁当の演出のために、ほかを犠牲にするよりほかない。
飯田は緊張のあまり息を詰めている。

浅米は、そんな彼女を見て頬を緩ませた。
若い。そして、まだ場数が彼女には足りない。
けれどそれを埋めてもまだ余るほど、彼女には隠された情熱が見える。
彼女がその緊張から解き放たれた時、本当の彼女の才能が輝くに違いない。
ふと飯田と目が合う。
飯田は緊張していた自分に気づいたのか、少し恥ずかしそうにディスプレイの向こうに顔を隠した。

「お待たせしました。今回の特注弁当なんですが……」

「ありがとうございます。どのくらいになりますでしょうか?」

「そうですねぇ……特上弁当扱いになりますので、24万円でのお見積りにはなるんですが……」

飯田は「あっ!」と声を上げて、パソコンをたたき出した。
浅米はその行動ですべてを悟る。想定していた予算を超えたのだ。
で、あれば……

「飯田さん、ちょっと見せてくれる?」
浅米は飯田の予算書をのぞき込み、それから親指を立てた。
飯田は浅米の行動が理解できないようで、ぽかんとそれを見つめていた。

「なるほど、24万ですか。なるほど。それはもう特注の上ランクということですね」
「ええ、そうなります」
「例年だと、オードブル込みで20万くらいですね。発注が」
「はぁ、まあ……そうなんですが……」
「お弁当のおかずをですね、オードブルのような内容にしていただくことはできますか」
「えっ? ええ、そりゃまあ……」
「それで24万で抑えてください。今回、オードブルに関しては発注しないので」

「えっ!」
飯田は驚きの声をあげた。

「とにかくお弁当に星形のおにぎりと、オードブルの定番を入れてください。いわゆるお弁当的なおかずは不要です」

浅米はメモに「カトラリー系の消耗品不要。紙皿削除。紙コップだけにして」と書いて飯田に渡す。
飯田は、ぽかんとしていた。

「わかりました。ああ、なるほど。そうか、花見ですもんね」
工場長は何かを納得したように、答えた。
「ええ。花見ですから。それでは、よろしくお願いいたします」
「わかりました。ではご予約承ります。ありがとうございます」

浅米は携帯を切る。飯田は「主任!?」と思わず声を上げた。

「オードブル、注文しないんですか?」
まだ驚いている飯田は、ようやくそれだけを口にした。

「うん。弁当に入れるからね。今回はいらないよ」
「で、でも……」
「弁当に全部集約するんだ。感動も、体験も。つまりは、そういうこと」

浅米は言葉少なにそう答えると、立ち上がった。

「どうしてもこうじゃなきゃいけない、なんてものは……まあ世の中それなりにあるけど。オードブルが花見に絶対必要ってわけじゃ、ないからね」

飯田はまだ納得できないかのように、はぁとだけ答えて予算書に数字を反映させた。

その週末の日曜日、花津公園で五ツ菱商社の盛大な花見が開かれた。
その花見が盛り上がったのか。それとも、盛大に滑り散らかしたのか……それは、読者の方の想像にお任せする。

しかし私が唯一、彼らに関して語れることがあるならば。

その後4人は五ツ菱商社で、前代未聞の売り上げと実績を誇るエースチームとして。
社内・社外問わずその名が知れ渡っていくのであった。

連想元:ホワイトボード、限りある、ルーローの三角形
https://tango-gacha.com/

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