誤字を愛でる⑥ 伸ばすか、伸ばさないか、そこが問題だ

理工系の大学に勤めていた時、「コンピューター」ではなく「コンピュータ」というふうに、最後の棒がない形で表現する人が多いことに気づいた。文字数が一つ減る方がいいんだろうか。「コンピューター」と表記するものだと思っていた私には、ちょっと違和感があった。

ユーザーなのか、ユーザなのか。
ルーターなのか、ルータなのか。
サーバーなのか、サーバなのか。
どちらが正しいのか。どちらも正しいのか?

じゃあ、馴染み深い野球用語の最後の棒をとったら、どうなるだろうか。

キャッチャーは、キャッチャ。
ピッチャーは、ピッチャ。
バッターは、バッタ。

違和感がすごい。
バッタに至っては、もう、人間ですらない。

普段使う言葉から、もう少し考えてみる。

コーヒーサーバ

「サーバ」はIT用語として容認できても、「コーヒーサーバ」になると、なんだかおかしく感じられる。

コーヒーメーカ

これもおかしい。そもそも「メーカー」という言葉はまだまだ現役で、「メーカ」という表記は私はまだ見たことがない(存在するのかもしれないが)。「メーカ」というと限りなく「メカ」に近くなっていく気もするし、なんだかヤギの鳴き声みたいで間抜けな感じだ。

ミキサーは、ミキサ。
キーは、キ。
カーは、カ。

短い言葉ほど、意味をなさなくなっていく。「キ」とか「カ」とか、もうなんだかわからないし、「木」とか「蚊」などの別の単語にしか見えない。
伸ばす棒が言葉全体に占める比率が高いほど(つまり、短い言葉になればなるほど)、棒がなくなった時に言葉の意味が伝わらなくなっていくのかもしれない。

しかし、昔の本ではバターを「バタ」と表記しているものがあったような気がする。最後の棒をつけるかつけないかは、外来語の歴史の中では、変わりやすい部分なのだろうか。

私も、仕事で馴染みのあった「学術リポジトリ」などは、最後の棒をつけないのが普通だと感じられる。結局、自分が「見慣れているもの」が「普通だと感じられるもの」なのだろう。
そうなると、何が誤字で、何が誤字でないのか、決めるのは難しくなってくる。もともと、外国語の音をカタカナで表記したものだから、唯一の書き方というのもないのかもしれない。
今後、最後の棒がない言葉が多くなっていったら、それが普通だ、と感じるようになっていくのだろう。

最後の棒のありなし問題。
あなたは、どちらがお好きですか?

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