あの長い雪道の続きを、今も歩いている

数年前まで、私たちは家族6人で雪国に住んでいました。夫と4人の子どもたちとの毎日は、時々喧嘩しながらも、やはり賑やかで楽しいものでした。

ある冬のこと、雪が大量に降って、道の除雪が間に合わず、車で出勤できなくなりました。仕方なく、私は歩いて職場まで行きました。

車なら15分あれば着く道のりが、徒歩では55分かかりました。歩道にたくさん積もった雪の中に、大きなゴム長靴で、ぼすっぼすっと踏みこみながら、一歩一歩歩いて行きました。

帰りも歩いて帰りました。帰りは疲れたせいか、1時間半かかりました。
もう陽は落ちて暗くなっていましたが、街灯もあるし、商店もある広い道でしたので、それほど怖くはありませんでした。途中のコンビニで肉まんを買って食べながら歩き、疲れたら立ち止まって休んだりもしました。
家族が待っている家を目指して、のんびりと、雪の積もった道を一人で歩いて行きました。

寒かったので、肉まんの温かさはそれほど保ちませんでしたが、少しでも温かくて美味しいものを食べながら歩くのは、やはり嬉しいものでした。

長い長い道のりでした。歩きながら、いろんなことを考えました。
いつものように車で移動するのではなく、自分の足で一歩一歩進むことで、謙虚な気持ちになれました。

私にできることは少ないし、歩けるスピードも速くない。
でも、不器用でも、遅くても、よろけても、転んでも、自分なりに歩いて行こう。

数ヶ月後、東日本大震災が起こりました。
原発事故を受けて、私たち家族は、母子避難することを選びました。
子どもたちは、いつも一緒にいてくれた父親と離れて暮らすことになりました。

避難した後は、内部被曝を恐れて、食べ物にもものすごく注意を払うようになりました。
西日本の産地の食べ物を選び、産地がはっきりわからないものは、極力食べないことにしています。お菓子などの加工品も、原料の産地がわからないものは基本的にダメです。海産物も家では食べません。
コンビニの肉まんも、もう食べることはなくなりました。

食べ物に気を遣う毎日は、本当に苦しい。
原発事故は、今でも毎日、毎日、私たちを苦しめています。
夫も、遠く離れた場所で、一人で頑張り続けています。本当はもっと、子どもたちと一緒に居られるはずだったのに。

原発さえなければ良かったのに。
何度も、何度も、繰り返しそう思っています。
何度そう思ったか、わからないくらい。

でも、久しぶりに、肉まんのことを思い出して、こう思ったのです。

あの日、肉まんで温まりながら歩いた、長い長い雪道の続きを、私は今も生きている。
寒くても、遠くても、寂しくても、もちろん、楽しい時も、嬉しい時も、ずっとこれからも歩いていく。
肉まんのように、体や心を温めてくれるものを探して、それに励まされながら。

これからも、ずっと。どこまで歩いていけるかな。

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