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ひとつの時代ではない、歴史の終わり

 本日、鳥養祐矢選手の放出が発表されました。

 これについてTwitter連投で語り切ることは到底かなわず、久しぶりにnoteを更新することに。

「私がこれから申し上げることは、極めて非人道的な事です。もしお気に召さなければ、その銃を私に対してお使いください。」(チュン・ウー・チェン)

 この発表を受けて思わずこんなツイートをしてしまいしたが…

 去来したものは怒りというよりも、嘆きです。

 それはなぜか。気持ちを整理しながら書き進めてみましょう。今の気分は、上野さんの記事を書いた時に近いものがあります…。

選手・鳥養祐矢

 鳥養祐矢はずっと「届かなかった」選手だった。
 ジェフユナイテッド千葉のジュニアユース、ユースを経ながら、トップチームへの昇格は叶わず。ジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズ(ジェフリザーブズ)で5年、SAGAWA SHIGA FCで2年を『JFLリーガー』として過ごす。

 2013年にはFC琉球(当時JFL)へ移籍するも、負傷によりシーズンの大半を棒に振ることに。その年の11月19日、FC琉球はJリーグへの入会が承認され翌年から新設されるJ3への参加が決定、Jリーグクラブとなった。だが翌週の26日、鳥養の契約満了が発表される。鳥養はまたしても届かなかった。

 そして2014年、鳥養はJFLに昇格したレノファ山口へ加入し、再びJFLリーガーとなった。ここからはようやく、プレーについて語れる。

 2014~2016シーズンの3年間、鳥養は主に右のサイドハーフとして活躍した。正直なところ、決して「抜群に上手い」選手ではなかった。単純なボールスキルではJFL時代でも抜けた存在ではなかったし、カテゴリを上げる毎に通用度合いは苦しくなっていった。ただ鳥養には、運動量とオフ・ザ・ボールという武器があった。戦術遂行能力が高く、味方のために走り回り、ボールを引き出し、味方のためにスペースをつくり、自らも裏のスペースをついて飛び出すことが出来た。裏抜けの美しさは岸田と並び一級品で、綺麗な飛び出しから3年間で17のゴールを挙げた。決して上手い選手ではないので、庄司悦大(現・京都)が「生涯最高のスルーパス」と回想したパスを外してしまったように、チャンスを逃すことも多かった。それでも裏取りの後のシュート練習を黙々と続け、少しずつ上手くなっていった。そして何より、山口でJ3昇格を果たし「プロ」になった。夢をかなえた場所となったことで、山口への思い入れは確たるものになったのだろう。

 2017年にはキャプテンに就任するが、苦難のシーズンとなった。昨季オフに崩壊したチームは序盤から大苦戦。自らも負傷し長期欠場となる。そして監督交代…。

 復帰後はなぜか、ボランチとして出場。見るからに不慣れなポジションだったが、「戦える選手だから」という理由で?マジョール新監督の評価は高かったようだ。しかしながら不慣れゆえに、ポジション適性なので本人のせいではないのだが、ミスを多発して(主に私に)叩かれる羽目になった。
何とか残留を果たし、山口で4年目のシーズンを終える。この頃からだろうか、選手としてよりも、人間・鳥養祐矢のほうが大きくピックアップされるようになってきたような気がする。

人間・鳥養祐矢

 2018シーズンは体制が一新され、キャプテンの座からも下りることに。メンバーも入れ替わり、序列もあからさまに低くなってきた。気が付けば、JFL~J3~J2を駆け抜けた「奇跡」を知る選手は、鳥養と岸田だけになっていた。開幕からベンチ入りを果たすも、序盤は出番も少なく「精神的支柱」という意味合いが強かったと思われる。

 それでも腐らなかったから、チャンスがやってきた。左サイドバックとして期待されていた新戦力、瀬川和樹(現・栃木)の不調もあり、12節にして今季初のスタメン出場を果たす。サイドバックでの出場は、レノファ5年目にして初のことだった。ジェフリザーブス時代以来だという。
 おっかなびっくりながら、サイドバックにも適応していく。バラつきがありながらもハマった際にはピンポイントな「名良橋クロス」で、2アシストを挙げてみせた。20節岐阜戦では(私の個人的)マン・オブ・ザ・マッチにも選出する大活躍。気が付けば「左右のウイング/ウイングバック/サイドバックの6ポジションは全部任せろ」的なユーティリティ性を発揮し、なんやかんやでスタメン19試合、途中出場8試合、そして全試合にベンチ入りを果たしチームを支えた。

 山口に移り住んでから、鳥養祐矢はずっと、ピッチ上の味方を、サブのメンバーを、ファンを、地域を、スポンサーを鼓舞し続けてきた。

 年齢もあり、試合で輝く場面は年々少しづつ減少していったが、それと反比例して、鳥養祐矢の存在というものは大きくなってきたように思う。これは山口に住んでいるかなど、肌感としてわかるわからないが別れると思うが「将来はレノファで引退して、フロント入り。果ては市議会議員。」みたいのが既定のイメージになっていた気がする。

 ただ、その夢は夢と消えた。

 これは私の勝手な感想だが、退団コメントから最も読み取れる感情は「悔しさ」である。仮に選手として必要とされなくても…貢献できることがある。山口に貢献したい。山口で終わりたい。そんな山口への深い愛も、クラブには届かなかった。

 今回の移籍について、単純なチーム編成としての判断に異論はない。今季に限って言えば全くの戦力外扱いで、影響も少ないだろう(高木大輔の移籍でやや怪しくはなったが)。それではクラブとしてはどうか?

 動員が頭打ちの状態で、その母数を揺るがすような放出…。鳥養祐矢という人間の人間力・気配りはファン人気だけでなく、スポンサーを呼び寄せる、繋ぎとめる力もあった。ピッチ上は当然のこと、さらにお金を産めるのがプロである。

 クラブはあるべき将来と大きな夢を失った。ひとつの時代が終わり…いや、歴史が終わる。あらたな物語を紡いでいかなければならないが、これには相当な労力と年月、そして奇跡が必要だ。

 選手・鳥養祐矢が山口で終わることは無くなった。これはもう仕方がないので、新たな地でもう一度「選手」として挑戦する姿を応援したい。

 そしていつの日か、本当に運命が幾重にも交わらなければ難しいかもしれないが、人間・鳥養祐矢がもう一度山口に戻ってくる日を心待ちにしたい。いつでも良い、気軽に帰ってきて欲しい。山口は貴方の家なのだから。


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