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広告、コンテンツ、収益

ステルスマーケティング
記事広告
ネイティブアド
何に関する、何を根拠とした信頼か?
包括的信頼の対象としてのブランド
広告モデルと課金モデル

広告モデルのメディアがこれまで曲がりなりにも信頼されていたのは、有名で伝統的で大規模な組織であるメディアが不誠実なことをするはずがないという(振り返ってみれば楽観的に過ぎる)判断、与信があったから。そしてこれまで曲がりなりにもメディアがそのような信頼を勝ち得ていたのは、身も蓋もない言い方をすれば「儲かっていた」から。スポンサーにある程度距離を置き、「広告の場所貸し」だけでビジネスを成立させる余裕があったのである。

余裕がなくなると、あるいは初めから余裕のないネットメディアの場合、そうはいかなくなる。なぜならば、もとよりメディアが広告モデルである限り(あるいは許認可制も含めた広義の外部リソース依存モデルである限り)、(政府・主務官庁・族議員を含めた広義の)スポンサーの影響を受けるのは当たり前だからである。スポンサーはメディアに対して、コンテンツのコントロール権までよこせ、と要求するようになり、メディアはそれを徐々に受け入れざるを得なくなる。

そしてあえて極論を言えば、冒頭の「ステルスマーケティング」「記事広告」「ネイティブアド」の定義や区分などというものは「どうでもいいこと」であり、原則的にはメディアはそもそも「何でもあり」で構わないのである。構わないというよりむしろ、本質的に「何でもあり」なのであると言ったほうが適切かもしれない。

つまるところ、質が高く信頼できる情報を入手するにはユーザーがコンテンツに相応のカネを払うしかない。一回に高額の対価を払うか、対価を払う回数を多くするか、いずれかである。
それができないとなると、メディアで紹介される一つ一つの商品を、自分で情報を集めて失敗しながら試行錯誤を繰り返して検証していくしかない。

この検証コストは極めて大きい。高いリテラシーが要求される。現実問題として、ほとんどのユーザーには高すぎるハードル。場合によっては消費行動からの大規模な撤退、もしくは「自棄的消費行動」が生じる。

そうなるとメディアもスポンサーも共倒れである。やはり曲がりなりにもメディア周りのビジネスが成り立つためには「包括的信頼の対象としてのブランド」が必要なのである。ゆえにメディアは自衛のために倫理綱領をつくり、自らを統制しようとする。

一方、この一連のプロセスに対するユーザーにによる評価は、一般に、当該商品、ならびに当該商品の「広告」掲載メディアの購入の可否、そしてそれらに関する評判の伝達によって行われる。

これに加えて今後は、そのようなメディアに広告を掲載するスポンサーからの商品の購入の可否、という形で評価が行うことが効果的であろう。これは典型的には広告出稿企業の商品に対する「不買運動」として実現されがちだが、むしろ逆に、良質なメディアに出向している企業の商品を(相対的に)高確率で購入することにより、スポンサーによる良質なメディアへの広告出稿価値(レバレッジ)を高めることになる。スポンサーはメディアにその対価として高い出稿量を支払い、メディアのビジネスを成功へと導くことになる。
もちろん、これもまた極めて高い負荷を要求ざれる制御手法ではあるが。

いずれにせよこれらもまた、ユーザーがカネによってメディアをコントロールする、という、先ほどの話のバリエーションに過ぎない。スポンサーがユーザーの不利益を招くなら、ユーザー自身がスポンサーになり、メディアには専らユーザーに貢献すべく働いてもらうしかない。そうして、チェック&バランスのフィードバックループによる持続可能なシステムを構築していくしかないのである。

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