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「善き意図」と<善き意図>

「善き意図」は、必ずしも良き帰結を保証するわけではない。それどころか、意図が良きものであるがゆえに望ましくない帰結をもたらすようなダイナミクスもまた、存在する。意図が善きものであるか否かに関わらず、良き帰結、少なくとも、“最悪ではない”帰結をもたらすような「システムの設計」が必要とされる所以である。

それでは、そのようなシステムの設計を誰が行うのか。設計者は、システムを設計する能力はもちろんのこと、良き帰結をもたらすようなシステムを設計すべく努力する、<善き意図>を持たなければならない(ここで言う<善き意図>は、前段の「善き意図」とは階層の異なる概念である)。それと同時に設計者は、自らの<善き意図>の限界がもたらす望ましくない帰結をあらかじめ予測し、それを防ぐための仕組みをシステムの設計に組み込もうとする者でなければならない。社会は、そのような資質を持った設計者を生み出す土壌を醸成しなければならない。

ここで、「設計者」は必ずしも一個人、もしくはごく少数の人間であることを意味するわけではない。民主主義社会においては、すべての市民が何らかの意味でシステムの設計者であり、それぞれがどのような設計役割を分担するかという問いが立てられるだろう。とはいえ、複雑な社会を運営していく以上、そこに役割の濃淡があることは否定できない。つまり、上記のような機能を果たす「設計者システム」をいかに設計するかという難問に答えなければならない。

一方、(主たる)設計者以外の人々に全く善き意図が必要ないかと言えば、そうではない。人々の「善き意図」が全く存在しなければ、いかなるシステムもコスト負担に耐えられず、機能しないだろう。たとえ機能したとしても、そもそもそのようなシステムを我々が維持してまで生きる意味が失われてしまうだろう。善き意図が望ましくない帰結をもたらすようなダイナミクスを慎重に避けつつ、人々が備えるべき善き意図の(あるいはむしろ備えるべきでない意図の)性質と範囲はどのようなものであるかを見極めなければならない。ここにも、誰がそれを見極め、醸成する資格と能力を持つのかという難問が生じる。

いずれにせよ我々は、「善き意図」と、<善き意図>、この二つの意図の区別を前提とした上で、単純な「善き意図」のみに依拠せず、“最悪ではない”帰結をもたらすようなシステムを築いていかなければならない。

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