めめんともり・いち

去年病気がわかってから登録してみたのはいいがなんだか合わず放置。でももう一回ちょっとずつ書いていけたらと思い立った。ぽちぽちやれたらいいなぁ。

病気がわかってから、「死」というものを考える時間が増えたなぁという自覚がある。でも自分の中でそれはマイナスな事ではなくて、まだ見ぬ未来で、自然なことで、なんだったらちょっと楽しみで、頭おかしいんかななんて思ったり。

そんな風に生きてたら感染症でテレビで見ていた人たちがいなくなり、同年代の人が自ら幕引きをしたり。また「死」について考える時間が増えた。本も読んだ(でもあと2〜3回は読まないとダメな気がしてる)。

死を考えるってことは(死というか死に方?どう死にたいか?みたいな)そこに至るまでの生き方を考えることだなぁとふと思って、だから私は死が楽しみなのかもしれない。というかこれまで生きてきた時間で「死」が怖いと思ったことがない。我が身に降りかかることと思ってなかったんだろうし、根本的に「死」は終わりっていうかゴールというか、全部終わるから「楽」だっていう考えがあったから。だからみんな自殺するのだと思う。みんながみんなそうじゃないかもしれないけど。


自殺はダメな事みたいな風潮があって、なんでダメなんだろうと考えてみた。仕方ないじゃん疲れちゃったんだよ。終わりにしたかったんだよ。ほんとに死にたい終わりにしたい消えたいって思った事ないくせにっていつも思ってた。いまでも思う。だからあまり悪いことだとは思ってない。でもとある人の訃報で、彼の周りの人たちのコメントやら投稿やらをみて、自殺は呪いだって思った。残された人はきっと自分を責め続ける。


なんで気づいてあげられなかったんだ

なんで助けられなかったんだ


時間が溶かしてくれるのかもしれないけど、ずっと心には残り続けるよね。そんな呪い。だから自殺は悪と言われるのかと自分の中で解決した。それでも私は悪とは思えないなぁ。でも自分の身内がそういう状況になったら「ばかやろう」って怒るんだろうな。人間って自分勝手だ。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?