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えむわん

M-1グランプリ

今日決勝が放送される。
今年は敗者復活戦から7時間のぶっ通しらしい。

僕も今年のM-1グランプリに参加した。

2,000円のエントリーフィーを払い、2分の漫才をさせてもらった。
1回戦で落ちた。

再エントリーもさせてもらった。
2,000円のエントリーフィーを払い、2分の漫才をさせてもらった。
またまた落ちた。

来年頑張るしかない。

僕が芸人になったきっかけはM-1グランプリだ。
M-1グランプリは1番結果を出したい賞レースだ。

初めてM-1グランプリに出場したのは、社会人2年目の2019年だった。

社会人1年目の2018年にM-1グランプリを観た。
めちゃくちゃ面白かった。
そして何より漫才師がカッコ良すぎた。

漫才をやりたいと思った。

その時は漠然と漫才師がカッコいい、漫才をやりたいという思いだった。

大晦日に高校時代の友人に何の気無しに電話をかけた。

そこから20分、30分ほど世間話をしている際に、M-1グランプリを観たか?という話になった。

そこでお互いに感想を話している際に、M-1グランプリで漫才をしたい、とポロッと言った。

すると、その同級生も漫才をやってみたいと言った。

じゃあ2019年のM-1グランプリに2人で出てみようかの流れとなった。

その友人は、兵庫県でアパレル店員をしており、東京にいる僕とはそう簡単に会える距離ではなかった。

3月に休みを使って僕が兵庫に会いに行った。
本当にM-1グランプリに出てくれるのか確認を取りに行った。

電話のノリでそう言っただけで、本当はそんなに乗り気ではないかもしれないと思っていた。

だが、友人は出たいと言ってくれた。
じゃあこれから漫才を作っていこうとなった。

だが、2人とも社会人をしていた為、ネタ作りはなかなか進まず、気付いたら7月になっていた。

7月に友人が東京に来てくれて、そこでエントリー用紙の記入とコンビ名を決めた。

9月30日にエントリーをした。
1回戦の日程もあと数日しかないギリギリにエントリーをした。

次は8月に僕が兵庫に行き、お互い考えたネタを見せ合った。
お互いに初めて作る漫才の為、めちゃくちゃなものだった。

フリやオチなんてものは無く、老夫婦の会話なのかと思うような平和なしゃべくり漫才だった。

分からないなりに2人で面白くしようと手探りでネタ作りをした。

多少の方向性を決め、次会うのは1回戦の前日となった。

前日の夜もずっと試行錯誤をしてネタ作りをした。
ネタができたのは当日の明け方になっていた。

ライブに1度もかけず、ネタ合わせもほとんどできていない状態で臨んだ。

初めて人前で漫才をする。
緊張でしかなかった。
今までの人生で、袖にいたあの時間が1番緊張をしただろう。

たったの2分。

お客さんは何組も観ているからアマチュアの僕たちに何も思っていないだろう。
そう思ってもかなり緊張した。

いざ、僕たちの番になった。

客席を見る余裕や、自然な立ち振る舞いなどできなかった。

当日の朝まで2人で考えた台本を緊張の中思い出すだけで精一杯だった。

前列にいたお客さんが1つ目のボケで笑ってくれた。

誰が笑ってくれたのか分からないぐらいに余裕は無かったが、静寂の中、微かに前列の方から笑い声が聞こえた。

あっ、笑ってくれた!

そう思った瞬間、頭が真っ白になった。

ネタが飛んでしまった。

当たり前の話だが、観ている人を笑わせる為に漫才をしている。
だが、初めて人前でネタをする僕はそこまで考えられていなかった。

笑ってもらえる想定で漫才をしていなかった。
だから、僕からしたら予想外の出来事が起こり、頭が真っ白になった。

2秒ほど間が空き、すぐにネタを思い出し続けた。
体感では10秒以上沈黙が流れていた。

その後はなんとか台本通りにできた。
ただ、1つ目のボケ以降1度もウケなかった。

たったの2分だったが、すごく長く感じた。

漫才が終わり、一緒に出てくれた友人に、
"ごめん飛ばした"、と言うと、
"え、どこ?ごめん、緊張しててどこ飛ばしたか分かんなかった"と言われた。

お互いギリギリの状態で初漫才を終えた。

結果は案の定、敗退となった。
さすがに僕たちが通過できるほど甘い大会ではなかった。

僕の初めてのM-1グランプリは、やっと夏の暑さも落ち着いてきた9月末に終わった。

またこれからのことは電話でもしようと翌日に友人は兵庫に帰った。

M-1グランプリに2人で出ると決めてから、僕の中では今年度で仕事を辞め、芸人になりたいという思いがあった。

その友人と一緒にNSCに行きたいと思っていた。

数日後、一緒に出てくれた友人に電話をした。

初めてのM-1グランプリは悲惨な結果となったが、それでも僕は芸人をやりたいという気持ちが益々増えていた。

僕たちが面白いと思ったものが1つでもお客さんに伝わったことが嬉しかった。

笑ってもらえた!と思って頭が真っ白になった後はダメダメだったが、それでもあのたった1つの笑いだけで芸人をやりたいと思えた。

たが、友人はNSCに入るのを躊躇っていた。
芸人をやりたいという思いはあっても、それ以上に不安がある。

芸人は売れるまでは下積みのバイト生活だ。
生活が安定しているとは到底言えない。

友人は芸人の道を選ばず、社会人を続けると言った。

大人の考えだった。

好きなことや楽しいことだけをして飯が食えるのなら、みんな好き勝手するだろう。

野球が好きというだけで、何万人も大谷翔平になれているだろう。

だが多くの人はそんな夢を押し殺して、ちゃんとした大人になっている。

友人もそうだった。
芸人をやりたいという思いはあっても、将来を考えた時に不安しかない。だから友人はそのまま社会人を続ける道を選んだ。

だから僕も、社会人を辞めて東京で一緒に芸人をしよう、と強引には誘えなかった。

僕は1人でNSCに入ることに決めた。

不安はあったが、それ以上に楽しみが勝っていた。
このまま社会人を続けたらいずれ後悔すると思った。

2020年にNSCに入学して、それから芸人を続けている。

たまたま大晦日に電話を掛けたら、M-1グランプリの話になり、人生経験として出てみようとなり、1つ笑ってもらえたことで芸人を目指した。

M-1グランプリがあったから僕は芸人になった。

だから、1番結果を出したい賞レースである。

芸人を始めるキッカケとなったM-1グランプリを次は売れるキッカケにしたい。

お笑いで飯を食べていきたい。

だが、今のままではいつまで経っても質素な飯のままだ。
お笑いで飯を食べるからには、もっと豪華な飯にしたい。

その為に、来年は漫才協会枠で決勝に行かせて欲しい。

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