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仏領レユニオン島旅行2012

2012.11.17-26
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エミレーツ航空、エアーモーリシャス

レユニオン島へ行こうと思ったわけ

会社のリフレッシュ休暇制度で、私はこの年がその対象だった。1週間の休みを年度内に取らないといけない。純粋な性格なので本当に仕事のことは一切忘れて、ここぞとばかり普段行けない場所に行こうと思っていたところに、TBSの世界遺産番組で仏領レユニオン島を紹介していた。深津絵里がナレーションをしていた頃だ。
インド洋に浮かぶ絶海の孤島。それでいて、フランス領だけあってインフラは整っていて、料理も美味しい。次第に行きたい気持ちが募ってきて、思い切って行くことにした。

レユニオン島への行き方(2012年時点)

仏領レユニオン島がどこにあるか?地理感のない人がいきなり世界地図を開いても、この島を見つけ出すのはなかなか難しい。島全体で佐賀県程度の面積しかないため、世界地図の縮尺では豆粒ぐらいの大きさでしか載っていないからだ。
もったいぶるつもりもないので早々に種明かしをすると、インド洋にある。インド洋も広い。そこで、アフリカの東岸にあるマダガスカル(マダガスカルは面積が世界第4位の広さの島なので、 世界地図でも容易に見つけることができるはずだ)を目印にする。マダガスカルから東に800km、東経55度30分 、この位置にレユニオン島がある。モーリシャスまで行ってしまうと(東へ)行き過ぎである。ちなみに仏領レユニオン島とモーリシャスの間は約230kmである。
仏領レユニオン島の位置をまず確認したのは、ここに出てくるような地名が、行き方のヒントになるからだ。
(2012年当時)ガイドブックなどでオーソドックスな行き方として紹介されているのは、マダガスカル航空のバンコクとマダガスカルを結ぶ便が「途中で」仏領レユニオン島に立ち寄るのを利用する方法だ。日本からバンコクまで行く飛行機からの乗り継ぎも良いらしい。 ただ、この方法は週に2便しか飛んでおらず、私の場合は休暇の予定と合わないことがわかっていたため、最初から候補から 外した。
そこで考えたのが、モーリシャス経由の便だ。「西にある」マダガスカルがだめなら、「手前(東)にある」モーリシャスに目を付けたというわけだ。確認するとモーリシャスと仏領レユニオン島の間には日に5、6往復は航空便があり、モーリシャスまでたどり着けば、後は どうにかなりそうだ。モーリシャスはインド洋のリゾート地としての知名度もあり、同国の航空会社・エアー モーリシャスはマレーシアや香港にも就航している。検索していくと上海便もできたとある。だが、やはりネックになったのは就航日だ。
モーリシャスへ毎日(デイリーで)飛んでいるフライト、そこで浮かび上がってきたのが、ドバイ経由便だった。しかもドバイを本拠地とするエミレーツ航空がドバイ~モーリシャスも運航している。ドバイで同じエミレーツ航空同士の乗り継ぎになり、 いざ遅延などのトラブルが発生したときを考えるとこれは心強い。それに、ドバイは、発展著しい都市国家、砂漠の中にいきなりビル群が出現し、挙句は世界で一番高いビル(=ブルジュ・ハリファ)も建ててしまった。トランジットを利用して見物するのも楽しそうだ。
こうして、エミレーツ航空利用でドバイ、モーリシャス経由仏領レユニオン島行きという計画の骨格が出来上がった。 ちなみにドバイは東経55度17分に位置する。レユニオン島は東経55度30分だから、日本とドバイの間で東西移動をして、ドバイとモーリシャスの間で南北移動している格好になる。
他のルートでの行き方としては、同じフランスということもあって、パリ経由というのもある。毎日(デイリー)で就航という条件は 満たされるのだが、さすがに遠回りすぎて選択はしなかった。

さて、旅程は着々と組み上がって行くのだが、肝心の休暇の予定がなかなか決定しなかった。仕事は仕事でいろいろな事情があるのだが、最終的に日程が決定して、もう何が何でも休むと宣言したのが、候補日としていた1週間前。その日家に戻り急いでエミレーツ航空のホームページから予約を入れようとしたら、入らない。
モーリシャス行きの便の予約が可能なのは、旅程の2日後の日程からになっている。これはもしや…。試しに日本とドバイの間を単独で検索してみると、旅程の日で予約が入れられそうである。
となると、エミレーツ航空がドバイ~モーリシャス間の予約をホームページからブロックしているとしか考えられない。
ここに至るまでにいろいろ調べ挙げていたこともあって、ドバイ~モーリシャス間の便はエアーモーリシャスとの共同運航便であることがわかっている。残る手段は、エアーモーリシャスの便として予約を入れることである。急いで同社の ホームページへ行き予約をいれると、これが希望の旅程で入るのである。問題は解決した…?
いや、ここで最後の葛藤である。希望の旅程でフライトを確保しようとすると、チケットがエミレーツ航空と エアーモーリシャスに分かれてしまう。つまりかなり割高になる。同じエミレーツ航空にしようとすると、希望の旅程では叶わず、2日遅れになる。それはとりもなおさず、仏領レユニオン島の滞在を2日間削ることを意味する。それでは意味がない。 2日間分の時間をお金で買う。これが、正しい大人の選択である。
往復の飛行機代は合計:270,000円(空港使用料、出国税の類、燃料サーチャージ等を含む)だった。

成田空港まで行くのが面倒だったので羽田出発として、HND-KIX-DXB-MRU-RUNという経路で飛んだ。 これは確かに便利だったけれど、エミレーツ航空の誇るA380が日本で就航しているのは成田便だけだったので、A380に 搭乗する機会を逃してしまったのは惜しかったかな。どっちにしてもエコノミー・クラスなので、最新鋭機にするメリットはなかっただろうけれど。

情報はすべて2012年当時のものです。

モーリシャス航空のATR72-500、当時の日本ではATR社の機体は飛んでいなかった。モーリシャスからこのプロペラ機に乗って仏領レユニオン島へと向かった(モーリシャス・サー シーウーサガーラングーラム国際空港にて)

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仏領レユニオン島に関する情報の入手方法(2012年時点)

日本語で出版されているガイドブックとしては『地球の歩き方 マダガスカル、モーリシャス、セイシェル、レユニオン、コモロ』が ある。5つの国・地域の中の1つの扱いである。376ページある中で、仏領レユニオン島に割かれている分量は22ページ。絶対的な情報量が少ないうえに、そのくせ全く逆のことが 違うページに書いてあったり、地名の表記がぶれていたり、頼りない。
英語だと、これまたガイドブックの定番"Lonely Planet"にMauritius, Reunion and Seychellesという号がある。 ビザについてなどの日本人固有の情報はないが、今回現地情報は主に同書に依った。特にネージュ山登山の基本情報は役に立った。

1日目(11月17日)夜:羽田空港→関西空港→

羽田空港から出発して、まずは関西空港まで飛ぶ。そこで出国審査をしてドバイに向かう。
機内食のオムレツは美味しかった。

2日目(11月18日)未明:ドバイ着、ドバイ市内観光(1)

ドバイ観光

世界一高いビルであるブルジュ・ハリファの展望台に登ってみる。写真左手に自分の影が落ちている。

時間が余ったのでモールの中でスケートもしてみた。ドバイはで、スケートリンクだけでなくスキー場や水族館もモールの中にある。

モールの中に紀伊国屋書店があったので入ってみた。
砂漠のオフロードコースのガイド本を、買ってみたり。
買ったは良いものの、これ実際にやるとしたらオフロードカーを調達しないといけないし、もし何かあった場合に備えるとすると1台というわけには行かないだろうから信頼できる同行者を探さないといけないし、実現可能性はとてつもなく低いのだが、でもつい買ってしまった。それもvol.1とvol.2のセットで。これ今も家の本棚にあるけど。そう言えばドバイで買ったなと思い出しながら、数年に1度開くアイテムになっている。

夕方になると、空一面が黄色くなって、砂漠の国ということを実感する。

3日目(11月19日)未明:ドバイ→モーリシャス、午後:モーリシャス→仏領レユニオン島

いよいよ仏領レユニオン島へ

フランス領なので日本人はビザ不要のはずが、入国審査の係官が戸惑って、隣の係官に確認したりしている。最終的には問題なく入国できたけどよほど日本人が来ない所に来たんだなと実感する。
お金はATMから引き出す予定だったのだけど、最近メインのクレジットカードを替えたばかりでそちらにはキャッシングの設定をしていなくてお金を引き出すことができず、慌てて予備のクレジットカードの方を使ってユーロを入手。
バスで空港から市内のターミナルまで移動。
とりあえず入国初日に確保していた宿はボロ宿で、蚊が出て困ったので、フロントに言って殺虫スプレーを用意してもらったり。

4日目(11月20日)仏領レユニオン島滞在:フルネーズ山へ、サン・ピエール泊

レンタカーは空港でしか見つけることができなかったので、レユニオン島滞在2日目は空港まで戻って車をピックアップすることから始まる。
レンタカーを確保して出発だ。運転免許証はマニュアル対応だが、マニュアル車を運転するのは久しぶり、しかも借りたばかりのレンタカーでいきなり標高2,300mも登るというのだから、今思えばなかなかチャレンジングなことをしていた。

フランス領らしくレンタカーはプジョーだった

さっそくフルネーズ山へ向かう。
レンパーツ渓谷(Rivière des Remparts)。谷底まで約800mはある大渓谷。いきなりこの絶景である。レユニオン島恐るべし。

フルネーズ山は二重外輪山に囲まれた火山でまずは外側の外輪山を越える。ここは九十九折りの車道が付いているので車で越えることができる。

カルデラの中の道路はダートになっていて、白く土煙を上げながら車が通り抜けていく。その様子を外輪山から見下ろしながら、その後を追いかける。

内側の外輪山の手前に駐車場があり、そこから先は徒歩になる。外輪山から眺めると正面にフルネーズ山が見え、カルデラ内は溶岩で埋め尽くされてなだらかな斜面になっている。フルネーズ山は今も活発に噴火を繰り返していて、新しい溶岩流の痕が黒々としている。
手前には、溶岩平原の中にスコリア丘が顔を出している。
車で来たので実感はあまりないが、この外輪山の縁で標高2,300m程ある。

外輪山はまさに断崖絶壁。ここを降りていく。カルデラ内の溶岩平原の標高は約2,200mだから100m程下ることになる(帰りはこれを登らないといけないが)

カルデラ内の溶岩平原にたどり着いたが、ここは溶岩観察のパラダイスだ。
粘度の低い(=サラサラしている)溶岩が冷えて固まる時に皺が寄ってできる縄目状溶岩。

これも縄目状溶岩で、両方に対称的に広がっている。

これは溶岩流が盛り上がったものだが、実は中に空洞ができている。

外は固まっても、中の溶岩はまだ溶けていて、それが外に抜け出てできたのがこの空洞だ。流れ出る時にこうした襞を作るのだが、まるで何かの生き物の内臓に入り込んだような気味悪さがある。

溶岩流の跡で、スケールは小さいながらも、両脇に溶岩堤防を作って流れた様子がわかる。溶岩の、外側から固まる、熱い溶岩の供給が止まったら固まるという特性がよくわかる。

外輪山から見えていたスコリア丘にも登ってみた。ここは、これまで見てきたような溶岩が「流れた」のとは違って、小さな小石が積もってできているのが質感からもわかる。

詳しく見てみるとこんな感じ。小石、一つ一つに、細かな孔が空いているのがわかる。これはガスが抜けた穴だ。
噴出して飛び散った溶岩が積もったのがスコリア丘だ。

フルネーズ山のカルデラは、ほんと、いくら時間があっても足りない。写真のタイムスタンプを見ると3時間30分ぐらいはひたすら溶岩を観察していたようだ。
時刻は午後3時前。先ほども書いたように標高が2,300mもあるから山岳気象で、雲が湧いて、ガスが出てきた。フルネーズ山の火口へも行きたかったが、時間的に厳しく、登山は諦めた。
この日の昼食の写真が見当たらなくて、ルート的にも途中にレストランや屋台があるような場所ではないから、おそらくお昼ご飯を食べるのも忘れて溶岩原をうろついていたのだろう。

さて今日の宿だが、とりあえずLonely Planet記載の宿に向かってみる。予約なしだったが、幸運なことに管理人さんがいるタイミングでその場で宿泊交渉ができた。これを電話でやるのと、直接目の前で話ができるのでは大違いだ。2階の角部屋の一番値段の高い部屋しか空いていないというが、それでOK。レンタカーはガレージに入れて、ガレージの鍵も貸してもらえた。

宿泊地:サン・ピエール

写真は次の日の朝に撮影

5日目(11月21日)仏領レユニオン島滞在:サン・ピエール泊

宿の目の前にはパン屋がある。フランス語はアン(1)、デュ(2)、トロワ(3)と1つ飛んでサンク(5)しか話せないが、買い物をするにはこれで十分(?)。クロワッサンをさしてデュと言って2つ確保。
仏領レユニオンではほぼフランス語しか通じない。宿屋の主人は英語が話せたけど(だから"Lonely Planet"に載っていたとも言える)、これは例外だ。私が話せるフランス語と言えるものと言えば、数字の5までと、ボンジュール、メルシ、ムッシュー、マダム、マドモアゼルぐらいだ。とにかくこれで乗り切るしかない。

この日は、お昼過ぎまでレンタカーで観光をした後、一旦空港にレンタカーを返しに行って、その後バスでサン・ピエールに戻るという強硬日程。

シラオの圏谷を見にレ・マク Les Makes の展望台まで車で登る。
火山が雨で削られて大きな窪みになっている。侵食は今も進行中で、険しい谷が入り込んでいる。そんな場所なのに、少し平らな土地を見つけては人が棲みついて集落を形成している。すごい景色だ。
明日はそのシラオまで行って、さらにネージュ山にも登る予定だ。これは気持ちが昂ってくる。

険しい表情の圏谷と比較して、「外輪山」の外側には緩やかな斜面が広がっている。火山麓緩斜面と呼ばれ、火山噴出物が自然と形成する斜面だ。海も見えている。斜面に広がるさとうきび畑の中をバスが行く。のどかな景色だ。

もう一つ西側ののマファト圏谷(Cirque de Mafate)も見てみようとマイド峰(Piton Maido)の展望台まで行くが、お昼過ぎでもう雲が発生していて真っ白になっていた。圏谷の風景を見ることができなかったのは残念だが、「外輪山」に沿って立ち上がる雲を見ることができて、それはそれで迫力があった。

宿泊地:サン・ピエール(前日と同じ)

6日目(11月22日)仏領レユニオン島滞在:ネージュ山登山、山小屋泊

前日レンタカーを返却しに行ったのは、この日からネージュ山に登山するため。そのため今日の移動手段はバスだ。ネージュ山に登山するには拠点となるシラオという村に行かなければならない。サン・ピエールからまずサン・ルイにバスで向かい、そこでシラオ行きのバスに乗り換える。

シラオ行きのバス(サン・ルイのバスターミナルにて)

シラオはネージュ山の火山体を雨が侵食した圏谷の中にある。「外輪山」を越えて行く必要があり、途中にはこんな狭小なトンネルもある。片側交互で譲り合って通る。ここを、上の写真のバスが通っていくところを想像してほしい。乗客として乗っているだけで(自分で運転しているわけでもないのに)ハラハラドキドキしてしまう。レンタカーを返却してバス移動にしたのは正解だったなと思う。

シラオに着いたら運試しが一つ待っている。それは観光協会に立ち寄って山小屋のベッドの予約をしてもらうことだ。もし満床だったらネージュ山の登山自体を諦めるしかない。結果は、幸いなことに空きがあった。大きな荷物はシラオの観光協会で預かってもらって、登山用のザッグで登る。

昼食を確保するためにバスターミナルの目の前のグロッサリーでサンドイッチを頼むけど、店にいた旦那さんは英語がわからず、英語がわかる奥さんが戻るまで待ってくれと言う(というのを片言の英語で説明された)。程なく奥さんが戻って来て、無事サンドイッチを確保。サンドイッチと言ってもフランスパンに挟んであるので、見た目は細長い棒だ。水も確保する。準備は万端だ。

ネージュ山を背景にシラオの教会が見えていた。シラオは温泉も湧いていてそれだけで十分リゾート地なのだが、今回はゆっくり見て回る時間がないのが残念だ。

ネージュ山の標高は3,000mあるが、登山口から頂上までの標高差は1,800m。今日はその手前の山小屋までだから登らないといけない標高差はもっと小さくなる。特に岩場とか鎖場はなく、雨さえ降らなければ登山としてはイージーな方だろう。
実際のタイムテーブルはこんな感じだった。
09:10 シラオからバスで登山口のあるLe Blocへ向かう
09:30 Le Blocの登山口から登山開始
11:25 水場に到着。11:36出発
13:47 外輪山の尾根に到着。まわりはガスっている。
14:10 山小屋到着

受付で観光協会で発行してもらったバウチャーを渡して、ベッドを割り当ててもらう。そのままベッドで爆睡。写真は、寝具が乱れているから、これ、爆睡して起きた後に撮ったものだな。

山小屋の夕食はレユニオン島の地元料理だった。豆の煮込みとソーセージの煮込み。ソーセージの煮込みは香辛料が効いていて肉臭さがなく、おいしい。唐辛子のペーストを付けてピリカラ味にすることもできる。ご飯が出てくるので日本人としては口に合いやすくて助かる。

宿泊地:ネージュ山の山小屋

7日目(11月23日) 仏領レユニオン島滞在:ネージュ山から下山、サン・デニ泊

03:04 山小屋出発
05:26 山頂到着
日の出前には山頂に到達できて、ネージュ山で御来光を拝む。

一瞬岩肌が赤く染まる。モルゲンロートと呼ばれる現象だ。

山頂も赤く染まっている。大勢の登山者が山頂に集まっている。

明るくなって次第に周囲を見渡せるようになる。赤茶けた火山噴出物の中に細長く岩脈が走っている。これは、予習のつもりで登った富士山の宝永火口でも見かけたから、すぐにわかった。

山頂から降りてくるころには、日はすっかり登って青空が広がっていた。この青空も今だけのもので、お昼頃には上昇気流が雲を作ってガスってしまう。

御来光を拝んで7:56に山小屋に帰還した。
私はむしろ遅い方で、あらかたの登山者は既に朝食を終えてて、山小屋の方ももう仕舞いモードだった。朝食はパンとミルクティー。味はよく覚えていないけど、今写真を見返すとパンをモグモグしながらミルクティーで押し流す感じだったんじゃないかな。

外輪山からネージュ山の山頂を望む。絶景だ。昨日はお昼過ぎにここにたどり着いたため、既に周囲はガスに包まれていて何も見えなかった。リベンジできてよかった。

山頂の崩れていない方(圏谷とは反対側)の景色。灌木が茂っている。
山頂に近いのに思ったより傾斜が緩やかだ。成層火山の富士山を思い浮かべると、裾野は緩やかだけど頂上に近づくにつれて勾配が立ってくる。それと比較するとネージュ山のでき方は異なっていたのかもしれない。

シラオ圏谷を見下ろす。

だいぶん下ってきた。シラオの集落がどんどん大きくなってくるのが楽しい。時間が経てば経つほど雲が湧いて、青空が雲に覆われていっている様子がわかる。

シラオに戻って、昨日サンドイッチを頼んだ店にもう一度行って、また同じものを頼んで今日の昼食にする。

シラオからのバスは昨日の逆向きで、細いトンネルをくぐって、坂道を下って行く。サン・ルイのバスターミナルからサン・デニ行きのバスに乗る。
明日はもう帰国日なので、その日のうちにサン・デニまで戻っておく。

サンデニと西海岸の都市との間にはこのような断崖絶壁の場所があり、レユニオン島の振興策として建設された La Nouvelle Route du Littoral という高速道路がその崖下を通っている。レユニオン島の親不知だ。

登山後で疲れているだろうしレユニオン島最後の夜はゆっくり過ごしたいと思って、高めのホテルにしたら、バスルームにビデが付いていた。

8日目(11月24日) 午前:仏領レユニオン島→モーリシャス経由→

散歩から帰って来てシャワーを浴びて、チェックアウトまであと30分ぐらいごろごろしていようと素っ裸でベッドに寝転がっていたら、いきなりルームキーパーのおばちゃんが入ってくるというようなハプニングもあったけど、ホテル滞在は快適に過ごすことができた。

空港で、レユニオン島最後の思い出にと、ビールで乾杯。

レユニオン島滞在中の全行程(GPSログ)は次の通り。標高で色分け。

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9日目(11月25日)未明:ドバイ着、ドバイ市内観光(2)

もしかしたらその日のうちに乗り継ぎができて、1日早く帰国できていた(もう1日長くレユニオン島に滞在できていた)かもしれないのだが、飛行機が遅れた場合を想定して24時間後のフライトを予約しておいた。そのため、今日一日、またドバイの滞在時間がある。
ブルジュ・ハリファの展望台は行きのトランジットの時に行ったし、モールも一通り回ったし、ドバイ博物館も行ったし、時間の過ごし方に頭を悩ませる。

Al Shandagah の見張り塔。まるで人の顔みたい。

10日目(11月26日)未明:ドバイ→関西空港→羽田空港

無事帰国



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