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周りの人から「魂の意識で生きる」ということを学ぶ。

これまで出会ってきた人たちの中に、自分に不思議な印象を残し、「その不思議な感覚はどこから来ているのだろう?」という疑問を残した方はいらっしゃいませんか?

私の場合は、学生時代のクラスメイトです。

静かで穏やかで、吸い込まれるような不思議な雰囲気を感じ、「私とは何か違うな。何が違うのだろう。」とずっと疑問に思っていました。



ヨガ八支則の訓戒「無害であること」について考えていたときでした。

急に彼女のことを思い出し、長年の疑問を解く鍵が見つかったような気がしました。




彼女はおおらかで楽天的で、私は彼女が怒ったところを見たことがありません。また、彼女に対して怒りの気持ちを持ったこともありません(それで、「無害」という言葉から彼女を思い出したのかもしれません)。

彼女はいつも、人の話を聞いて「そうだね」「いいんじゃない」と相槌を打ち、あまり自分の意見を言わず、他のクラスメイトのようによく喋るタイプではありませんでした。

私は人と話すのが苦手で、孤独やいじめられることが怖くて、「会話が続かないと、つまらないと思われて友達が出来なかったらどうしよう」とか「何か面白いことを言って人を笑わせなきゃ」と思っていました。

だから、一生懸命、馬鹿なことを話し、ふざけたことをやってみたり、調子に乗って受け狙いで同級生や先輩に対して失礼なことをしていました。

自分では笑いを取ったと喜んで、周りには冷やかな目で「なんだあいつ」と見られていたような輩でした。

だから、彼女に対して「刺激がなくて物足りない」、「自分は話さないでつまらなくないのかな?」とふと思ったり、彼女と一緒にいて居心地が悪いと感じたりすることもありました。人としての品性が違っていたからでしょう。


そんな私でも何故か一緒にいる機会が多く、色んな思い出がありました。


毎日昼ご飯を食べながら明るい楽しい雰囲気で話していたときのこと

私が怒って机を叩くと彼女が大笑いするので拍子抜けして怒りが吹き飛んでしまったこと

彼女の部屋に泊まって仕事や結婚など将来の話を聞いた時に感じた彼女の芯の強さや優しさ

結婚は、、、面倒をみる相手がいるっていいよね、と言う彼女

私の母の葬式で静かに泣いた彼女

彼女のお母さんが医療事故で亡くなったときの彼女の言葉と態度  etc.



こうして彼女との思い出を振り返ってみると、彼女が如何に知的かつ冷静に、包容力と愛を持って人と接してきたことに気がつきました。


彼女の持つ知性、静けさ、包容力、人に対する愛。

私はそれを彼女に感じながらも、それが何であるかがわからなかったので、「その吸い込まれるような不思議な感覚はなんだろう?どこから来ているのだろう?」という答えを探し続けていたのかもしれません。



ヨーガ・スートラでは、人間は魂と繋り、自分自身にある魂(真我)を知り、魂の意志や理性、愛をこの世に表現して生きるように進化していくものであると伝えています。

彼女はそれを「こうやってやるんだよ」と私にあるべき姿を教えてくれたようにも思えました。

それなら、日々、自分の言動、心の在り方に意識を向けて、彼女を手本に歩を進めればよいのです。

大切なことを教えてくれた彼女に感謝です。