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父親とのクリスマスの思い出

いよいよクリスマスイブ。子供達はお目当のプレゼントがもらえるかどうか毎日そわそわしている。長女は小学3年生だが(たぶん)サンタクロースの存在を信じている。

今朝起きて最初にしたことはAmazon echoでサンタの居場所がわかるスキルを追加することだった。嬉しそうにサンタの居場所をスマートスピーカーに尋ねる子供たち。

「君たちのプレゼントもAmazonからやってくるんだよ・・・」そんなことを考えながら、ふと自分の子供の頃のクリスマスの思い出を一つ思い出した。

僕がサンタクロースを信じなくなったのは、たぶん小学4年生だったと思う。なぜサンタがいないと気づいたのかは今となっては全く覚えていない。たぶん、友達同士の話で知ったのだと思う。

クリスマスのちょっと前、父親に「サンタはいないんだって」と話した。
父親は頑なに「サンタはいるよ!」と説明してくれたが、僕は信じなかった。なんだかとっても寂しそうな顔を父がしたような気がしたが、さして気にしなかった。

そして迎えたクリスマス当日、僕の枕元にはちゃんとプレゼントがあった。
480円のマクロスのプラモデルだった。ちなみに僕はマクロスを観たことがないし、正直嬉しくなかった。
隣に寝ていた妹はワンピースをもらっていた。子供心に「サンタを信じなかったばかりにプレゼントに差がついた!」と思った。

サンタを信じなかったから、戒めに”480円のマクロスのプラモデル”が置かれていた、と最近までずっと思っていた。

話は少し変わるが、僕の父親は小さな会社を経営していた。販売促進業を生業とする企業で、販促用ノベルティのデザイン、制作なんかをやっていて、割と世の中でも有名になったものもいくつか手掛けていた。企業してから順調に成長していたようだが、僕が小学校4年生の頃は、バブル崩壊直後、不況の真っ只中だったはずだ。

なぜか母親が新聞配達に出たりして、何か変だなとは子供ながらに感じていたが、たぶん父親の会社だって大変な状況だったに違いない。だからサンタを信じなかったから”480円のマクロスのプラモデル”だったわけではなく、
プレゼントを買うお金も大変だったのかもしれないと最近気づいた。

確かめようにも父は20年以上も前に他界しているし、母親に聞くのもなんだか照れくさい。もしかしたら本当に戒めに僕が好きでもないマクロスのプラモを買ってくれた可能性だってある。真意はわからない。

さっき子供達が嬉しそうに「明日は枕元にプレゼントを置いてくれるようにサンタに連絡してくれる?」と伝えてきた。
君たちの欲しいものはきっと明日の朝に枕元にあるよ。

とりあえず、子供達が自分達からサンタについて言及してこない限りは、我が家では平然とサンタはやってくる存在にしておこう。

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