越川芳明@キューバ・ヨルバ文化協会公認最高司祭、明治大学名誉教授

キューバ・ヨルバ文化協会公認最高司祭(占い師)

越川芳明@キューバ・ヨルバ文化協会公認最高司祭、明治大学名誉教授

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ハワイ紀行 (1)  越川芳明

カハラオプナの絵:Kahalaopuna – Mele Murials – ©Foto Gérard Koch, 2017 マノア渓谷 二〇二一年の秋、僕は成田からホノルルに飛んだ。 滞在は六ヶ月の予定だった。深刻な新型コロナ禍のなか、出発七十二時間前のPCR検査を義務づけられていた。帰国の際にも、ハワイと日本でPCR検査をしなければならなかった。そんなわけで、ハワイには日本からの観光客はほとんどいなかった。 僕が住んでいたのは、ワイキキビーチからゆるい傾斜地を登って

    • ハワイ紀行(2)

      越川芳明   ハワイには身寄りも知り合いもいなかった。半年間滞在のビザを取得するために、どこの馬の骨かもわからない僕のために煩わしい労をとってくれたD教授は、コロナ禍でめったに大学のキャンパスを訪れることはなく、自宅で遠隔授業をしていた。  D教授は僕がハワイに到着して二週間ぐらいたってから、マノア渓谷にあるベトナム料理店に招待してくれた。  申し訳ないが、二ヶ月後には、学生たちを引率してイタリアに行くつもりだ、とD教授は言った。  とんでもない、ハワイに来られたのは

      • ヤンバルの村言葉(しまくとぅば)でも語れない沖縄戦の記憶 ――目取真俊の最新短編集『魂魄(こんぱく)の道』を読む

        待望の新作短編集である。二〇一四年三月から二〇二二年五月までに商業誌に載った短編五つが収録されている。どれひとつを取ってみても、何度も推敲を繰り返したことがうかがわれる、エドガー・アラン・ポーの心理ミステリーばりの無駄のないハイブリッド(日本語と沖縄語)の文章で描かれた目取真ワールドが展開する。 共通するテーマは、沖縄戦の記憶だ。 北部ヤンバルの少年少女がかつて経験した沖縄戦を、目取真俊はどのように書いているのだろうか。 本作の掉尾を飾る「斥候」は、沖縄戦というお馴染み

        • 口に骨を咥(くわ)えた犬

                                      「口に骨を咥(くわ)えた犬は、吠えることができない」   これは、僕がおこなうキューバのアフロ信仰の占いの、とある運勢に出てくることわざの一つである。   口に骨を咥えた犬といえば、イソップの寓話があまりに有名だ。 犬が橋の上から川を覗きこむと、川面に骨を咥えたもう1匹の犬の姿が映っていた。 それで、その犬の骨まで欲しくなり、ワンと吠えると、咥えていた骨が川に落ちてしまったという。 この寓話の教訓とは、「人間はあま

        マガジン

        • エッセイ
          16本
        • オリチャ占い
          2本
        • 部長のメッセージ
          4本

        記事

          口が何かを喋らないかぎり                                

             「口が何かを喋らないかぎり、言葉は人を傷つけない」 これは、キューバのイファ占いの、とある運勢に出てくる格言である。 確かに黙っていれば、誰も傷つけることもない。 でも、人は黙っていられないから、つい余計なことを言ったりして、問題が起こる。 衝突が起こる。戦争が起こる。 まさに、「口は災いの元」だ。 あるとき、僕は就活で苦戦していた(そう本人が語った)4年生ゼミのN君をある会社に紹介したことがある。 N君とは3年生のときからの付き合いで、気心は知れていた

          口が何かを喋らないかぎり                                

          "Aunque ahora se desconoce"

          "Aunque ahora se desconoce" por Yoshiaki Koshiakawa, awo ni Orunmila Ifá Ashé “Aunque ahora se desconoce, es parte de lo que sabremos a partir de ahora” es una de las máximas que aparece en la adivinación afrocubana de Ifá. Es un mensaje

          幹が曲がって生まれた木

          「幹が曲がって生まれた木、それを真っ直ぐにすることはできない」とは、アフロキューバの占いの中に出てくることわざである。 日本語でも「なくて七癖」ということわざがある。どんな人でも「癖」はある。人それぞれに「癖」はちがう。それは他人がどうこういって変えられるものではない。 だから、この運勢(ことわざ)が出たら、わたしは他人や自分の「癖」を変えようなどと思ってはいけない、と伝えるだろう。 あるとき、ハバナの宿に泊まっていた。 日本を離れる前に、東京・麻布にあるキューバ大使

          「いま未知のことでも」

          「いま未知のことでも、これから知ることの一部」とは、アフロキューバ信仰の占いに出てくる格言の一つだ。 いまはわからないことでも、いずれはわかるようになるという、占いの神・オルーラのお告げである。わたしは、この格言を含む運勢が出てくれることを願っている。 すでに前回に書いたが、2000年の初めに、わたしはロサンジェルスのエコパーク地区のセルヒオのアトリエを訪れていた。 だいたい夕方から夜にかけて、スーパーマーケットでビールの6パックを買いもとめ、それをお土産に寄る。特に用

          「老人の知恵は」

          「老人の知恵は、泥んこ道のようなもの」とは、アフロキューバ宗教の占いに出てくる格言である。 これは前段で、そのあとに「あなたがそれを侮(あなど)って踏みつけると、滑って頭を打つ」というオチがつづく。 2000年代の初めに、わたしはよくロサンジェルスに出かけていた。ダウンタウンの東側にメキシカン・バリオ(地区)があったからだ。 「イーストLA(エルエイ)」と呼ばれる地区には、メキシコ系をはじめとするラティーノ(ラテンアメリカからの移民)、ベトナム人をはじめとするアジア系移民

          文学の値段

          文学の値段(越川芳明)  キューバのハバナへの旅は長期滞在になってしまうが、旅の目的が特殊なだけに仕方ない。二〇一三年にアフロキューバの信仰のひとつ、サンテリアのババラウォ(最高司祭)になるための修行をしてから、その技を磨くべく自分の師匠のもとに通っている。 ところで、最近になって師匠がハバナの中心街から遠く離れたマリアナオという地区に引っ越ししてしまったので、僕もそちらに寄宿することになり、なかなか繁華街に行けなくなってしまった。 ハバナ市街の散歩 それでも、悲しい

          どんな大樹でも

          「どんな大樹でも、一本だけでは森にならない」とは、アフロキューバ宗教の占いに出てくる格言である。  大樹といえば、2016年4月に武道館でおこなわれた明治大学の入学式のさいの、土屋恵一郎学長の告辞が思い出される。 通常、こういう儀式の挨拶などは、聞いていて退屈なものだ。 だが、土屋学長のそれは一味も二味もちがっていた。 まず挨拶の前段で、グローバル時代における明治大学の建学の精神「権利自由・独立自治」の持つ意味に触れ、18世紀イギリスの思想家、デイヴィッド・ヒュームの

          「見ているだけでは」

          「見ているだけでは、鳥は殺せない」とは、アフロキューバの占いの中に出てくる格言だ。 じっと見ているだけでは鳥(獲物)は捕まえられない。矢を放つとか罠を仕掛けるとか、なんらかの行動を起こす必要がある。 いま、懸案(けんあん)事項になっているプロジェクトがあり、皆であれこれ意見を交わしたり、メリットやデメリットをめぐって議論を重ねているとしよう。 あるいは、あなたが恋愛中の相手と結婚するかどうか、迷っているとしよう。 もしこの格言が含まれる運勢が出たとしたら、私は今こそ実

          象は強いが

          「象は強いが、風には勝てない」とは、アフロキューバの占いにでてくる格言である。 アフリカの百獣の王は象である。一般に言われているようにライオンではない。さすがのライオンも、巨体の象には勝てない。 とはいえ、その象でさえも万能ではない。弱点はある。 もちろん、われわれ人間だって同じだ。そのことを忘れずに、謙虚になりましょうという教えである。 あるとき、僕は師匠と一緒にハバナ市街からバスに乗り、ハバナ湾の対岸にあるグアナバコアという町に出かけていった。信者の家で厄払いの儀

          「吠える犬は噛まない」

          「吠える犬は噛まない」とは、アフロキューバ信仰の占いにでてくる格言である。 吠える犬は、怖いが、実際には人間を噛んだりしない。本当に怖いのは、吠えずにいきなり襲ってくる犬のほうだ。 人間だって、同じかもしれない。うるさいと思うかもしれないが、あれこれ忠告してくれる人が、案外、あなたのことを思ってくれていることだってある。 あるとき、キューバの東部の町サンティアゴで、私の守護霊のためのベンベをしてもらったことがある。サンティアゴの市街地から20キロほど内陸に入ったところに

          「倒れている樹は」(2)

          前回、「倒れている木は道端の占い師」という、アフロキューバ宗教の格言について触れたが、今回はその続きである。 1917年にジョゼフ・ロックという生物学者によってインドネシアのモロッカ諸島からカウアイ島に植えられたアルビジアという木が、嵐や風などで簡単に倒れて、ハワイ諸島の民家や自治体に甚大な被害をもらしている。 前回はそういう話をした。確かに、人間から見ると、厄介な木である。 だが、物事を人間の都合だけ見ていいものだろうか。今回は木の立場から考えてみよう。 この木が倒

          「倒れている樹は」

          「倒れている樹は、道端の占い師」とは、キューバのアフロ占いの運勢に出てくる格言だ。 実は、この格言には前段がある。「強い風は大空の占い師、弱い風は地上の占い師」とあって、その後に、この句がつづく。 いまは、宇宙に飛ばされた気象衛星が地上にさまざまなデータを送ってくるが、昔の人たちだって、外に出て風の向きや強さ、雲の動きなどを見て、明日の天気がどうなるかぐらい、予想することができた。 身近なところに、貴重な情報が隠されている。いや、隠されているのではなく、わたしたちが気づ