私が政治に興味を持つまで~①無関心と無欲感

<政権交代の熱狂と公務員のリアル>
覚えているだろうか?
かつて、自民党が政権から脱落し、民主党が政権を握っていたことを。
連日TVで「事業仕分け」が放映、メンバーの蓮舫の顔が映っていた頃のことを。

ちょうどその頃、官公庁の外郭機関で仕事をしていた。
まさに「政権交代→自民復活のドタバタ」の現場最前線、私はその中にいた。
正規でない定期雇用だったので、正直あまり自分事とは思ってなかった。
でも、周りの国家公務員の方々は「大変だ!給与が…」「大変だ!〇〇助成が…」と日々慌てふためいていたのがとても印象的だった。

公務員は概ね自民党支持。何故なら勝手が分かってる相手でやり易い、つまり仕事が楽だから。

一方、私はアンチ自民だった。
投票は20歳から欠かさず行って、投票するのは決まって共産党。
なぜなら共産党は、ブレることのない福祉・平和第一の政党。
そして絶対に与党にも第一野党にもならない政党。
『権力を集中させるのは嫌だ』という理由から、いつも共産党に票を入れていた。

そんな私も、あの時は『政権を自民党から絶対に奪取する!』との気持ちで民主党に投票した。
もちろん同僚たちには一切言わない…というか、言えなかった。
「民主党政権で、自分たちの仕事と生活はどうなるの?」と戦々恐々としている公務員たちを前にとても言える空気ではない。
「あなたももちろん自民党支持よね?」って真正面から確認されたこともあった。
まるで「自民支持じゃないと受け入れないわよ」って言われてるみたいだった。

<自分は自分で守る。社会や政治に関心も期待もない。>
そんなこともあって、人前で政治の話は禁忌だと思うようになった。
結局、政権のドタバタ、震災、野田元首相が安倍さんに騙されただのなんだの、そんなニュースを耳にするうちに、かつては「政権交代を応援する」気持ちだった私だけど、政権って何なのか分からなくなってしまった。
当事者の国民を放っておいて、あーでもないこーでもないと日々何を問答することがあるのだろう?
国民さえちゃんと見てくれれば、やるべきことは明確に分かるはずなのに。
なんて下らないのだろう。
私は諦めてしまった、政治家という生き物、政治という世界に。
政治家に何かを期待する、なんと無意味なことか。
政治に期待して自分たちの暮らしが良くなることなんてない。

公務員なんて、目の前のオペレーションを効率悪くこなすだけの集団だ。
国民のために尽くす公務員なんてわずか、安定を求めて公務員になった人ばかりだ。
震災の後『自分には影響がなくて良かった』と笑顔で話す人たちにゾッとした。
『心を痛めてる』と表面を装いながら、震災復興活動に全く参加しない人も多かった。

人間、誰しも嘘をつくし、取り繕う。
公務員も政治家も、大義名分を掲げてはいても、所詮ただの人間なのだ。
政治家の汚職・詐称そんなの当然。
むしろクリーンな政治家なんて皆無だと諦めた。

ただただ無欲。
何も期待しない。
信じられるのは自分だけ。
だから、生活を良くしたければ働く。
増税の分、働く。

自分を守れるのは自分だけ。
興味の対象は自分や家族だけとなり、他者については無関心。
もちろん、政治にも無関心。
自ずと利己主義に偏っていた。

『政治のために、自分の貴重な時間を使って投票に行くなんてバカみたい』
そう思って欠かさず行ってた投票にも行かなくなった。

国民として、課せられた税金を納め、法を犯さずにいればいいだけなのだ。
私はあくまでも一国民、ただの税収源なんだから。

そして10年近くが経った今、わずか1か月前に目にした山本太郎の街頭演説がきっかけで、目が覚めた。
私は、今やれいわ新選組、山本太郎を熱く応援している頼まれてもいない自称サポーターだ。
理由は追って少しずつ。

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