都城(みやこのじょう)旅行記(13) 昭和天皇が泊まられた島津邸

画像1 昭和48年4月8日、昭和天皇・皇后 両陛下がお召列車で都城に到着、この家に泊まられたそうです。 「耐え難きをを耐え、忍び難きを忍び~」と終戦の玉音放送をされた天皇です。
画像2 都城 島津家は鹿児島 島津家の分家の位置づけですが、色々あったようで「実は都城 島津家が本筋で発祥の家なのだ」という都城の主張。 鹿児島 島津家がこれをどう思っているのか、調べても分かりませんでした。
画像3 都城 島津邸の案内板
画像4 奥まで見渡せるよう襖が開けてありました。 今回は、これと次の2枚は、 MORIMORI(K-Morita)様の写真を使わせて頂いています。
画像5 天皇陛下の夕食のメニューと食事のレプリカが展示されていました。 とても食べきれる量ではないので、少しずつ摘んだのだと思います。
画像6 両陛下が使われたベッド。 1晩だけ使われた後50年間、一度も使うことなく保管されているそうです。 そっと触ってみると㊙、割と固めで寝やすそうなベッドでした。
画像7 大邸宅のお庭(庭園)です。 中央に石碑が見えます
画像8 昭和天皇・皇后 両陛下が宿泊されたことを記した記念碑(昭和48年4月8日) 石碑の主、島津久厚氏(都城島津家第28代当主)、2014年に95歳で亡くなりました。
画像9 庭から島津邸全体を臨む。昭和48年(1973年)昭和天皇を迎えるため全面的な改修工事をし、そのまま保存されているそうです。。
画像10 教育委員会の説明版。 手入れがされないためか一番風化が進んでました(どこでもよくある話ですよね)

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