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抽象性と相互理解

一般的には抽象的な話を理解できる人の方が具体的な話を理解できる人よりも少ないと考える、
抽象的な概念は具体的な事実や事象より理解が難しいし解釈も様々だ
具体的な話は視覚的な例や具体的な体験に基づくことが多く理解しやすい
抽象的な話は一般的な原則や理論に関連して複雑な思考プロセスが必要になる、これは仮説だが具象的な絵画より抽象的な絵画の方が理解者は少ないのもそういった理由だろう。

抽象系の絵画 Cy Twombly Mondrian

そうなると抽象的な考えを共有したい時により多くの人と対話するには当然具体的な解説を入れなきゃいけない
がしかし本当は抽象的な事を抽象化したまま話したかったりもする
もちろん前提を揃えるためにきちんと最初に説明するというのは必要だが
そこは実は本当に自分がしたい話でもなかったりはする、悪く言えば浅い話に留まってしまう。

聞き手がその分野に精通している場合や、特定の専門的なコミュニティ内でのコミュニケーションの場合は、抽象化したままの話でも十分理解される可能性が高い、
例えば学術的な会議や専門家同士の議論では抽象的な概念が頻繁に使われる

私も理解出来ない話で盛り上がっている場面には時々出くわす、
説明や話し方が悪いという事もたまにはあるだろうが
基本的には自分にそれを理解するだけのリテラシーがないのだ

コミュニケーションは双方向のプロセス
相手がメッセージを理解し、適切に反応することがコミュニケーションなので、相手の理解度や興味に応じて話し方を調整するのは当たり前なのだが
抽象度の高い事を具体的に説明していくっていうのは結構大変だ、
そこまで頑張っても理解されない可能性も高いし本当にしたい話はそこではないという
もちろん理解されないのは相手だけの問題ではなく自分の具体的説明が悪いという事も大いにある

どういう人に説明すべきでどういう人に説明するべきでないか

例えば抽象的な話をこちらが展開して
分からないから何か具体的な説明をくれ、とだけ言われてしまうならその人には説明しない方がいいと考える、その人の理解力の問題や私の説明の問題以前にその人はその事について自発的な関心がないということだろう、相手が受動的に私の具体的説明だけを聞いてくる場合はコミュニケーションにおけて相互性の欠如が発生している、

例え理解出来なくとも「具体的にはつまりこういうことですか?」といった具合に自分で考え推測してくれる人は、幅はともかくその事について能動的に知ろうとしていてその事について少しは関心があるという事だ、積極的に理解しようと努める人、つまり自分の解釈を示してフィードバックを求めるような人に対しては、説明を提供することによりやりがいを感じるだろうし
このような人は情報を自分の知識や経験と結びつけ能動的に学ぼうとしているため説明がより効果的に役立つ可能性が高い。

コミュニケーションは相互作用なので相手が話題に興味を持ち、能動的に関与していると、対話はより実り多いものになる。
相手の態度や反応を考慮に入れてどの程度詳しく説明するか、あるいは説明を放棄するのかを決めるのが合理的なアプローチだ、相手が自分で考え積極的に参加する様子が見られる場合、その努力に報いるような形で説明を提供することがおそらく双方にとって良いだろう、ざっくり言っちゃうと情熱があるかないかという感じだろうか、ただその場合対話出来る人はものすごく限られるだろう。

自己の限界と相手の限界を認識する
常に最善を尽くすことは価値があるが、同時にすべての人がすべての概念を理解するわけではないという現実を改めて受け入れることも大切なのだろう。



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