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調子に乗ればイイ♪…調子を掴めばイイ♪~「真面目」の本当の意味

「獅子の子落とし」…そのどん底から這い上がってこい!という感覚の指導は、令和の時代となっても、スポーツ強豪校だけではなく、スパルタ教育的な家庭環境でも耳にすることがあります。
「調子に乗ってる場合か!」と、愛のある指導として厳しく接して凹まし、さらに「それで這い上がって来れないようでは、弱肉強食の社会では生き残れない」と追い込むスポーツ指導者や親御さんを散見します。
さて…果たして本当にそうなんでしょうか?

■まず…そんなライオンはいない

「獅子は我が子を千尋(せんじん)の谷に落とす」

この故事からイメージされている…「獅子は自分の子を深い谷に投げ落として、這い上がってくる者のみ育てる」というのは「俗信」であって、とんでもない誤解です。

そもそも、ここで言う「獅子」は、中国の霊獣を指すらしく、ライオンのことではないですし、実際の野生のライオンは、「我が子を深い谷に落とすのか」というと、母親は非常に子煩悩で、父親は見た目によらず意気地がないから、そんなことは出来ないとのこと。

とにかく、この故事の喩えは、谷底に落とされた「子供の姿勢」を問われているのではありません。
この故事が示しているのは、「子供に敢えて試練を与えることが出来るのは、深い道理を持つ人間なのだ」ということ…つまり…親・教育者・指導者のたる『大人』の真の姿勢が問われているということになります。

事情があって、意図して敢えて突き落としたのなら、良い具合のタイミングも含めて、拾い上げる責任も大人に求められるます。
「あいつは這い上がって来られなかったな」と切り捨てるという指導者も、未だに多いというのは、あまりの悲劇であり、言語道断のことなんです。

 

■危険な「弱肉強食」という言葉

「弱肉強食」という言葉が安直に使われることについても、大いに違和感があります。スポーツの世界だけではなく、ビジネス社会でも、教育の場面でも「弱肉強食」という言葉が使われるたびに、違和感があるのです。

この言葉からのメッセージ性には『相手も蹴落としても生き残れ』という、とんでもない誤解も生まれがちです。
「獅子の子落とし」の意味合いと重ねると「どん底からでも、いろんな人を蹴落として勝ち残れ」というメッセージにもなりかねません。

「そういうつもりで使っているわけではない」といくら言い訳しても、安直に使われると、そのように受け取られます。

これは、「スポ根(スポーツ根性物語)」的な表現があたりまえだったボクら昭和世代が、「獅子の子落とし」「弱肉強食の中で生き残る」ことを美徳化して、無意識のうちに次世代に強要している可能性も感じます。

残念ですが、それは本来の「人育ての目的」を忘れ、厳しく接する「手段」と、そうした手段を執る「自分の正当化」に酔っているだけという滑稽な姿が浮き彫りとなります。 

また、学生スポーツの世界では、子供に勝たせたいのではなく、勝ちたいのはチーム関係当事者の「オトナ都合のエゴ」が先立つことがよくあります。
その当事者とは、学校運営側、教師、監督、コーチだけではなく…最も厄介なのが歪んだ愛情を示す「親」の存在です。


■追い詰めると本質を見失う

少年スポーツだけではなく、進学や勉強のことでも同じ状況があります。
良い大学に入れて、有名企業に就職することが目的となってしまうと、どうなるでしょうか?

「自分が何がしたいのか」の主体性によって自分で未来を切り拓き、本気で人生を楽しく過ごすための探求心を育む目的を身近な大人が忘れています。
そうなると、どうしても「社会に出たら弱肉強食だから、今から辛い思いをしろ」という手段に酔っている自分に気づきにくくなるんですよね。

まずは、我々多くの大人達…つまりは社会全体から、子供を育む目的を確認し合い、「勝つことが全て」「生き残ることが全て」という固定観念から払拭していかないといけないのかもしれません。

学びは、人生を楽しむためにあるものです。
もちろん、スポーツはなおさらのことです。

未来の自分に期待したくなるようするために、学ぶことを楽しみ、スポーツによって感性や人間関係も磨くことを楽しめばいいんです。


■調子に乗れば良いじゃないか

人間は、本気で楽しいと感じるからこそ、もっともっと自ら探求したくなるんですね。
探求していくプロセスや辿り着いたものの中から、意味も自分で見出すようになっていくものです。

本気で楽しみたいから、そこには何一つ楽なことがないのですが…
「挑んだものの思うほどの成果が出なかったけれど、それもまた糧にして歩み続けよう!」と思えるような環境を整えることです。

つまり、「そんなことをして何の意味があるんだ?」「進学にどう有利になるんだ?」と問うてしまうから、興ざめするし、やる気も削がれるんです。

それならどうすれば良いのか…調子に乗ればいい。
調子に乗らせればいいんです。

なぜだか、楽しそうにしていると「調子に乗ってんなよ」と…有無を言わさず一刀両断してしまいがちな場面ってたくさん見かけませんか?

もちろん、本人の脇が甘くなったり、周りを見下すなどをしていると、思わぬ怪我をしたり、しっぺ返しがくることはあるでしょうが…そういうことも経験として場数を踏んでもらえばいいんです。

それでも、良くも悪くも場数を踏むことで、自分の本調子や、さらに波に乗れるために自分に合うリズムや人との波長も感じ取れるようになります。
それなのに、楽しそうにしていると、とにかく頭を引っ込めさせられてきた子供時代を思い返してみてください…その時どう感じていましたか?

スポーツにせよ勉学にせよ、もちろん職場であっても「人を育む」という事は、一人ひとりが本来持っている主体性を芽生えさせ、それが「自然と育つ土壌をつくる」ことであり、そこから生まれる価値を楽しむものです。

仲間同士でも切磋琢磨して高め合い、その中から人として、挫けそうな自分に負けまいと挑み…人の痛みも解るからこそ努力が報われない仲間も思いやり、励まし合い、多種多様な価値観を受け入れた上で、自発的に自分の道を切り拓く力を育むことです。

つまり、育てる環境において、谷底に落とすという「手段」に酔い、「弱肉強食」という危機感で煽って鼓舞するのは、いつまでの本人の手応えとなる「本調子」を掴む可能性を閉じさせることと変わりません。

大丈夫!

競争しなくても生きていけます!
むしろ、競争しない方が自分を活かして生きていけます。

それについては【競争の美徳化は子供も大人も疲弊するさせる】というコラムにもしたためました。


■「真面目」の本来の意味

最後に、多くの大人達が誤解しているもう一つの言葉に触れます。

「真面目」という言葉の意味も、子供達だけでなく、とても多くの大人が間違えて認識しています。

真面目とは…

  • ルールや規約をしっかり守ること

  • とても従順であること

  • 言いつけどおりにやること

そういう意味合いだと思い込んでいた人は、今すぐご自身で辞書で調べてみてください。
何一つそんな意味合いは、どの辞書にも書かれていません。

  • 本気であること

  • うそや冗談でないこと

  • まごころをこめること

  • 誠実なこと

  • ありのままであること

そう言った意味しか載っていません。

よく、漫画のセリフなどで見かける「本気と書いてマジと読む」と言う言葉がありますが…それこそ、その通りなのです。

よく、大人が子供に口にする「真面目にしなさい!」というのは、「私の言いつけどおりにしないさい!(私に従順でありなさい)」という意味合いで使っていないでしょうか?

なぜ「真面目」という言葉の誤解にまで触れたかと言うと…

ボクらはどこかで「この世は弱肉強食の社会だから、どん底に落とされても勝ち残るチカラを身に着けることが、真面目で良い子」という感覚を擦り込まれてきたんじゃないかな?ということです。

それが、本来のあなた自身がやりたかったことでしょうか?
あなた自身が歩みたかったイキザマなのでしょうか?

もちろん、幼少の頃から今に至るまでの長い年月での「呪縛」とも言える誤解や固定観念を拭い去さるのは、相当な勇気が要ります。
今までの自分の生きざまも疑わざるを得ない覚悟も要るからです。

それでも、そこに目を背けると、間違いなく次世代も同じ轍を踏ませてしまうことになります。
今からでも遅くありません。
むしろ、今日から変わらないと、環境や状況も変えることができぬまま後悔して棺桶に入ることになりかねません。

美智子上皇后陛下が発せられた以下の有名なお言葉があります。

『幸せな子』を育てるのではなく、どんな境遇に置かれても『幸せになれる子』を育てたい。 

美智子上皇后のお言葉

これは、まさに今の我々大人の姿勢も問われている気がしてなりません。
子供達は大人のウソを見抜く天才です。
我々大人の一人ひとりの背中を彼らが見ています。

大人から「真面目に」「調子に乗る」っていうことをやってみませんか!
「真面目」の本来の意味で生きている大人は、子供達の主体性を奪うこともなくなると思うのです。

Backstage,Inc.
事業文化デザイナー
躍心JAPAN団長
河合 義徳

#競争と切磋琢磨は違う
#競争原理こそが成長を促すという固定観念は危険
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#子供達の意識を変えたければまずは我々大人から
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