工夫ヘッダ2

クライアントワークのプロである僕たちが「誰にも頼まれていない雑誌」をつくる理由

焼き鳥屋でする話じゃない!ガスト行きますよ!

こんばんは。コピーライターの森田です。
いや、今回は「工夫の編集長の森田」ですね。
ご存じの方も一部いらっしゃるかとは思いますが、僕は、気心知れた仲間たちを巻き込んで「工夫舎」というサークルを運営し、1年に1冊のペースで「工夫」という同人誌をつくっています。「同人誌」と言っても、アニメやマンガ、ミリタリーや文学といった特定のジャンルがある同人誌ではありません。強いて言うならば、「工夫」というモノに対して異常な執着を見せる。ただそれだけの“同人”が集まった雑誌です。

事の発端はこうです。

僕はロフトワークという会社で広報を担当していた中田一会さん(現在はきてん企画室代表)からの依頼で、同社の会社案内を4分割してフリーペーパー化するプロジェクト「季刊ロフトワーク」の編集番長(最初は編集長をと言われたのですが荷が重いので番長とさせていただいた)をしていました。
このプロジェクトが、本当に楽しかったんですよね。
しかも、そのプロジェクト後、中田さんも、ウチの会社で制作に参加していたスタッフも、それからデザインを担当していた人も、ほぼ同時に転職することになって、なんだかいろいろ思い出深い案件となったんです。

で、それから数年が過ぎ、ある日、中田さんと「久々に飲みせん?」ということになって、ふたりで神楽坂の焼き鳥屋に集合したんですよね。仕事上、相談したいこともいろいろあった。いろいろあったはずなんですけど、話はどんどん広がっていって、中田さんが仕事上、偉い人につめらて泣きながら反論した……みたいな行になって、そのとき、ぽろっと「私が大切にしているのは知恵と工夫なんです!(ちょっとぼかしてますが)」と言った(叫んだ)んですよね。

その瞬間、僕の脳内でぐるぐるといろいろな記憶と思考が巡りまくりました。実はこの「工夫」というキーワードは、長年にわたって僕があたためていたメディアの名前だったんです。あたためまくってしまって、少し忘れかけていた構想でした。

僕は昔から「クリエイティブ」という言葉が苦手でした。一般にクリエイティブ職とされるコピーライターをやってはいますが、「あなたの仕事はクリエイティブですか?」と言われると「うーん……」となる。僕が目指しているもの。僕が提供しているもの。それは多分、「クリエイティブ=創造」みたいな壮大かつ漠然とした枠組みではなくて、もっと身近で、わかりやすい知恵の結晶みたいなものだ。別に英語で言わなくたっていいじゃないか。日本語で、僕が目指している「クリエイティブ」の姿を言い換えたら何になるだろうか……その答えが「工夫」でした。世の中にあるさまざまな「工夫」を集めて、褒め称えるような雑誌がつくりたい。でも、誰とつくろうか……そこで何年も止まっていました。

そうだ。中田さんとつくればいいんだ。

そう思いました。だから間髪入れずに「中田さん、同人誌つくりませんか?」と、唐突に、そして手短に告げました。僕のその超断片的な説明で何かを察した中田さんは、表情を変えました。

僕と中田さんは、もともとプロジェクトでつながった関係です。未だにたまに確認し合いますが、お互いのことを「友だち」だと思ったことが一度もない。でも、だからこそ、僕らは間にプロジェクトを介することで一気に強固な関係性がつくれてしまう。そんな少しアレな2人だったわけです。

そして僕は言ったんです。
「焼き鳥屋でする話じゃない!ガスト行きますよ!」と。


「頼まれていないもの」をつくる興奮と不安

そして、そのとき、一気に描き上げた構想メモがこちらです。

今見返すとわけわからないパッションに満ちあふれていますが、もう、すでにものすごく興奮していました。

このときは上手く言語化できていなかったのですが、この興奮は、ある種のいたずらでもあり、あと、少しだけある不安がスパイスになっていたのだと思います。

不安……そう、あれはたぶん不安だったのだと思います。
当時(2016年の夏かな)の僕は、売り上げだとか、売り上げだとか、売り上げだとか……とにかくいろいろな不安を消し込むことに明け暮れていました。そして、その不安との折り合いがつきはじめてもいた。おぼろげだけれど、会社はなんとかなるだろう。仕事も順調だ。お金だってないわけじゃない。書籍もそこそこ売れはじめた。講演依頼も増えている……もう僕は大丈夫。大丈夫だ。なんてね。

それはフリーランスになってからの約10年間で、泥まみれになって、血みどろになって築き上げた「安心」でした。
お金の稼ぎ方=クライアントワークの達成の仕方が、骨の随まで染みついていたのだと思います。そして、そのことにプライドも持っていた。つまり、「頼まれてなにかをつくるプロフェッショナルであろう」というしていたんですよね(基本的に今も変わりなく持っている部分ではありますけどね)。特に美大上がりで制作業に就いた人間って、反動もあって「自己満足=悪だと知ることが大人なんだ」みたいな感じになりませんか。

だから、「誰にも頼まれていないもの」をつくることへの妙な不安と、その不安が連れてくる妙な興奮があったのだと思います。因みに、これが雑誌のコンセプトであり、毎号、冒頭に掲載しているテキストです。

ね? 誰もこんなこと頼まないでしょ? だからつくるんですよ。


プロがインディースでバンドを再結成するような感じ

結局、神楽坂のガストでスパークした僕と中田さんの「雑誌つくりたい!」という衝動は、周りを巻き添えにするかたちで進みました(共犯っぽく書いてるけど主犯は僕です)。まずFacebookに非公開ページを立ち上げ、手伝ってほしいメンバーをいきなり招待し、後から呼び出して引きずり込む。というやり口で、デザイナー、カメラマン、手品師兼ディレクターなどをずるずると引きずり込みました。

特に初代アートディレクターは、先ほど書いた「季刊ロフトワーク」のアードディレクションも担当していた人物です。なんだか、かつてはメジャーでスポンサーもついていたバンドが、一回解散してからインディースで再結成するような、そんな感じでした。それに、初代アートディレクターは、創刊号をつくった後に、いろいろ話し合った結果、脱退してたりするので、それもなんだかバンドっぽいなあと思ったりします(結局、2号のリリースイベントの会場を彼が貸してくれたりしていて、そういうのも含めてポジティブで大事なエピソードだったりもします)。


「自己満足」と「クオリティ」と「やりたいこと」の
狭間でのたうち回る受託職人たち

さて、当初、薄い本(同人誌界の符丁で、同人誌をそう呼ぶようです)をつくるなんざ、楽勝だと思っていました。なんと言っても僕らは、こういうモノをつくるプロです。それでメシを食っています。

が、これがそんなわけないんですよね。当たり前なんですけど、要件定義が超難しいんですよ。だって、クライアントがいないんですから。

「クライアントのないモノなんだから、好きなようにやろうぜ!」

からの思案がすんげえ長い。フリーランス上がりで会社やってるのが僕ともう1人、それから現役フリーランスが3人、会社員が1人のメンバー構成でした。いずれにしてもそれなりに経験豊富ないい大人です。そんな僕らが、「自由」に対してこんなに戸惑うのが逆に新鮮でおもしろかった。

自己満足を禁じて、クライアントとエンドユーザーのためのものをつくり続けてきた僕たちは、今、本当に自分が満足できるものをつくれるのか。自由と手抜きは違うし、手を抜いたものを世に出したくはない……!というか、自己満足って、結局、読んでくれる人が認めてくれないと、達成できなくないか?

ざっくり平均年齢約33歳のそこそこ忙しい集団が、夜な夜な仕事おわりに集まって議論を繰り返し、七転八倒して完成した創刊号は、B4という特大版で、発送超大変。売るほど400円損するという、ビジネス的には大失敗の一冊に仕上がりました。

でも、そのよくわからない熱量と、バランスがおかしいクオリティと、独特の存在感で、手売りとネット通販のみでほとんどの在庫がなくなるという地味な快挙も達成。大いに反省点は残しつつも、僕らは小さな第一歩を踏み出したわけです。それが2017年の年末のことです。


今回も、まさか(やっぱりな)の広告記事です

というわけで、ここまで、僕ら「工夫舎」がたどってきた道のりをダイジェスト版でご紹介してきましたが、結局何が言いたかったかと言えば、2018年末に冬コミで販売した「工夫第2号」のネット販売の準備がようや整った!ということなんです。

創刊号で大いに反省したサイズもお手頃B5サイズに縮小。内容は盛りだくさんでお送りしております。

◎目次
・工夫宣言
・こどもたちの、(グラビア)
・高尾ビールの工夫を飲みに行く(インタビュー)
・REAL WORK FASHION(ストリートスナップ)
・猫を愛する(コラム)
・ゲーセン女子 おくむらなつこ(インタビュー)
・“学習ジャンキー” 吉田松陰の工夫(コラム)
・白旗をブンブン振り回しながら(コラム)
・落語・講談の世界にあふれる“工夫” (コラム)
・工夫☆兄弟(漫画)
・センパイ同人誌の工夫(コラム)

あとは、中身がすごく雑多。デザインとか広告の話ではなくて、それぞれが興味があることだけを追求することに徹しています。

いやまじで買ってください。会社引っ越しがきまりまして、その前に少しでも在庫を減らさないと……200冊くらい売りましたが初版700冊なので……ぐふ


「雑誌をつくる人生」の豊かさ

と、先ほどまでの話は半分冗談ということにして、少し真面目にまとめに入りますと、「雑誌をつくる」って、すごくいい「ライフワーク」になり得るなって思ったんです。特に40歳にして初参戦したコミケで強く感じたんですけど、雑誌(同人誌)をつくる人生って、雑誌をつくって発表したくなるほどの「テーマ性」があって、取材するくらいの「モチベーション」があって、いっしょにそれをかたちにしたり売ったりする「仲間」がいる人生じゃないですか。

しかも、あまり知られてないんですけど、コミケって、世代もジャンルもものすごいごった煮の世界で、ある意味ものすごく偏っているけど、ある意味、ものすごく偏りがない。

マンガやアニメやゲームだけの世界ではなくて、僕らのようなよくわからない道を追求する「評論」というカテゴリがあったりもします。ただひたすらふすまの研究をしている雑誌、麻婆豆腐のことしか書いていない雑誌、銭湯の専門誌、催眠術のかかり方……などなど、ものすごい一点突破の雑誌がひしめき合っています。

人生100年時代(すげえ唐突ですけど)。

雑誌をつくる人生って、(当然、今だってあるんですけどね)これからどんどんおもしろくなると思うんですよね。そう。編集はもっと開かれた娯楽になる時代がやってくる。なんてことを思ったりしました。

いずれにせよ、クライアントワークで腕を磨いたいい大人が、なんでこんなことをするのか? の答えは、「正直、よくわからない」ままです。でも、「よくわからないけど、しんどいけど、おもしろいから続けようぜ」みたいなふわっとした落としどころが許されるのもまた、「頼まれていないもの」をつくる喜びだったりもします。

僕は「工夫」をつくるたびにすごく満足しています。そして毎回、「でも、次なにすりゃいいんだ……」と頭を抱えます。

それでいい。それがいい。そんなこんなで、2号が売れようが売れまいが、ぼちぼち3号の企画会議がスタートします。

そうそう。デザインとか編集とかライターもゆるやかに募集しているので、興味がある方はご一報くださいませ。

quhoosha [a] gmail.com


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