見出し画像

ころがるえんぴつ/某コピーライターの独立とかの話_09

第9話/会社を辞めたことを家族に伝えるってどうよ。


 さてさてさてさて、回りくどいお膳立ては経たものの、いよいよもって、僕は「Rockaku」なる屋号を掲げて、フリーランスのコピーライターとして第一歩を踏み出さざるを得ない状況になった。が、もうひとつ超えなければならない壁というか、クリアしなければならない試練のようなものが残されていた。
 同居人のK氏からはじまり、旧友の犬養、Web会社の社長・Nさん、ハローワークの職員氏、大先輩ライターのMさん、文章の神様(的な何か)……と、ここまででもう、お腹いっぱいにいろいろな関門をくぐってきたけれど、最後まで避けて通ってきたもの。というか、ここまでの関門くぐっておかないと、対峙する覚悟が固まらなかった存在。それは……家族である。


 「いえーい!会社を辞めて独立することにしたんだー!」なんて、さらっと親に言えるほど、僕の心臓も実家での立場も、そんなに強くはなかったのだ。因みに、僕は妹、弟が一人ずついる長男である。できれば仕事が軌道に乗るまで黙っておきたかった。というのが本音だったけれど、なんとなく共通の友人・知人経由で妹にはバレているっぽかったこともあり、「密告される前に申告を」が急務となってしまった。そんなわけで、僕は麻布からバイクに乗り込み、一路、実家がある八王子市の郊外に向かうことになった。


 平日で、昼下がりである。「思い立ったが吉日」とはよく言うが、この場合、全く以て「吉日」ではなかったのだ。もう少し冷静に、早く気づくべきだった。28歳の働き盛りの長男が実家に帰るには、ちょっと違和感がありすぎる日和だった。

「どうしたの急に?」と、母は不思議そうだった。
「いや、別に、うん、休みで……まあ、親父が帰ったら……」と、視線を泳がせてぼそぼそ喋る息子を気にする様子もなく、「今夜なに食べたい?」などといいながら、台所へと消えていった。

 「ああ、うどんを打つな。おれの意見とか特に関係なく、自分が食べたいから」なんてことを思いながら、母の背中を眺めた。

 夕食はやはりうどんだった。栃木出身の母がつくるうどんは、水でしめた麺を、ネギやキノコや肉を炒めてつくる出し汁で食べるスタイルが基本。今の流行で言えば「武蔵野うどん」に近い。祖母、母、父と茶の間の掘りごたつを囲み、ズルズルとうどんをすすりながら、話すタイミングをうかがっていたのだが、5分くらいでその不毛さに気がついた。そもそも「会社辞めちゃった☆」みたいな話を切り出すのに、グッドなタイミングなんてありはしないのだ。

 太めのうどんをよく噛んで飲み込み、お椀を卓に置く。なんとなく、家族の視線が僕に向けられた。

「あのさ、会社辞めたんだよね」
「ふーん」と母。
「へえ」と祖母。
「またか」と父。

 拍子抜けするような返事だったが、「またか」という父の言葉に合点がいった。だってこれまでも何回となく転職を繰り返してはいたのだから。
「で?」と、最小限の言葉で、まあ、それほど興味もなさそうな父に、核心を告げるときがきた。

「独立して、フリーランスになるんだよね」

 意味深な一瞬の間……が、あったような気もするけど、それはまあ、「家族へのカミングアウト」というこの決定的シーンに闇雲に緊張感を高め、無意識にドラマ性を求めてしまった僕の感覚でしかなかっただろう。

「ふーん。やってけるの?」
 間髪入れずに母が言った。
「うん、まあ、いくつかもう仕事は決まってるから」
「そう」

 とまあ、多少記憶の齟齬は多少あるかも知れないが、僕が妙に覚悟を決めた「発表」は、こうしてあっさりと幕を下ろした。
 一泊して翌朝。祖父に線香を上げようと、仏壇がある祖母の部屋に行った。線香を上げ、りんをならし、静かに合掌すると、ラジオを聞きながら読書していた祖母が何となく話しかけてきた。

「フリーランス?とか、よくわからないけど、あれだろ?今やっている仕事をきちんとやれば、次の仕事がまた来る……みたいな、そういうあれだろ? がんばんな」
 昭和元年生まれの祖母の言葉に衝撃を受けていると、祖母は1万円札をそっと握らせてくれた。28歳。情けないけど、ありがたくそれを受け取り、麻布へと戻ることにした。

 「これでようやっと最後の関門を突破したな。しみったれた話を長ったらしく書きやがって」……とお思いのみなさん、それは甘い。実はまだ“ラスボス”がいるのだ。

 それは現在の僕のおくさん、つまり当時の彼女。これは、言いづらさという点では、実家の家族の比ではなかった。この時点で交際歴6年くらい。結婚するでもなく、彼女の実家(現在の自宅)には週3日は帰ってくる生活。結婚に踏み切れない要因の1つは、「仕事と収入の不安定さ」だったりしたわけで。かつ、この数ヶ月、会社辞めたいストレスで、さんざん愚痴をこぼし、弱音を吐き、情けない姿をさらしてきた相手に、何をどう言うべきか。これはもう、本当に情けないほどに気が重かった。でも、気が重いまま長い期間を過ごせるほどハートも強くないので、早々に言ってしまおうと心に決め、ある晩、極力何気なく、さりげなく言ってみた。

「みよこさん、ぼく、会社辞めましてですね」
「ふーん」
「で、もう転職とかせずにフリーでやっていこうかなって思ってまして……」
「そーなんだー」
「う、うん」

 ……あれ? 世の中の20代後半の女性って、付き合ってる相手の収入源とか安定性とか、もうちょっと気にするものなんじゃないの? まあ、そういうことに頓着のない人だと思っていたけど、もうちょっと呆れたり、とがめたりとかあるよね。あれほど愚痴ったのに相談もせずにわりと重要なことを勝手に決めて、さらっと言いましたよ、この男は。もう終わり? 聞き流されてる? え?

 実家の家族に続き、そのあっさり目の反応に拍子抜けしながら様々な思考を巡らせること約0.5秒。最後に彼女(つまりおくさん)はさらっと核心をえぐるようなことを言った。


「まあ、向いてなかったよね。会社勤めとか」

 その一言に、僕は思いのほか揺さぶられた。正直、最初の5秒くらいは「心外」だと感じている自分がいたものの、7秒目くらいから、なんだかジワジワとした何かがしみ出してくるのがわかった。これはなんだろう。ああ、そうか。安堵感だ。


 どちらかと言えば会社員として上手くやれているつもりでいた。

 どちらかと言えば主体性や野望を持って独立するような人間とは遠い所にいると自覚していた。

 どちらかと言うまでもなく「苦渋の選択」として「独立」を選んだはずだ。

 けど、どうだろうか。この人は。

 さらっと、当然のように言った。

 「フリーの方が向いてると思う」と言われるよりも、よほど背中を押す効果があったと思うし、何よりも、何かに「許された」感じがした。何かというか、まあ、将来の妻にだけれど。

 とまあ、おおかた取り越し苦労と独り相撲で、僕のカミングアウトの戦いは幕を閉じたのだった。しかしながら、ものすごく気を使った。でもたぶん、家族たちも、気を使ってくれたのだろう。おそらくは、海より深い自愛で以て「薄いリアクション」に徹してくれていたのだろうなあ。天然である節はぬぐえないけど、ぬぐっておくことこそが人の道であると思うことにしている。

つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?