ころがるえんぴつ/某コピーライターの独立とかの話_13

■第13話/地を這う営業に翼は要らぬ。か。

 時間軸で言えば2008年序盤。独立して半年くらい経った頃だろうか。早くもRockakuは手詰まりになりかけていた。独立と同時に数本のWEBや会社案内の案件を得たものの、こんな無名以下のコピーライターにポンポン仕事がくるわけもなく、かつ、最初に受注した仕事の入金など遙か先の話であるという事実が目の前に立ちはだかっていた。

 広告やWEB制作におけるワークフローの中でコピーライターが稼働するパートは主に初期の企画、コンセプトメイク、構成とライティングであり、仕事が一段落しても、その先のデザインやコーディングの工程を待ってからの納品となるわけで、貯金のない僕の資金はあっという間に尽きかけた。やる事が無いので、実家のばあちゃんにお金を無心しに行ったりもした。

 が、そうしていてもらちがあかない。待っていても仕事はこない。それだけは理解できた。そこで僕がまずとった行動はフィールドワークである。

 とりあえず、ポートフォリオをカバンに詰め込んで、新宿から麻布十番まで歩いてみたのだ。代々木から千駄ヶ谷、青山くらいにかけてはアパレル会社のオフィス兼ショップみたいなところがけっこうあって、平日の昼間はけっこう暇そうだったりしている。そこにふらっと入っては名刺交換して、あわよくばポートフォリオを拡げ、自己紹介をしながらもその場に置いてあるカタログやツールを盗み見ては「この世界に、俺の仕事はあるのか?鼻っ面をねじ込む隙はあるのか?」というリサーチに明け暮れた。その結果、「なにか前向きに取り組んだ気」にはなれたが、あんまり隙間は見つからなかった。いや、ほぼ成果は得られなかった。

 で、次に手をつけたのは意外にも飛び込み営業だった。因みに営業職の経験は全くないし、それが飛び込み営業であると言うことに気づいたのも随分後だったが、あの一連の地を這うような日々は、紛れもなく飛び込み営業だった。アポのメールは送っているけれど。

 とりあえず与件から話そう。前職での経験や、あちこち歩き回る中でなんとなくわかってきたのだが、コピーライターは絶対数が少ない。デザイン会社の職種人口構成比で言うと、デザイナー10人に対して2人いればいい方で、これがWEB系の会社になれば0人であることはザラなのだ。人口が少ない=需要が少ないという絶望的な事実に気づかない程度には若かったし、目を反らしていた節もあったわけだけれど、「ライバルが少ない!チャンスだ!!」くらいのポジティブな気分にならないとやってられなかったというのが正味の話だ。(これって約10年前の視点で書いている話なんだけど、2016年現在もあんまり変わってないね・・・・・・はぁ)

 で、どうしたものか思案しているウチに、僕はあることに気づいた。いや、気づいてしまった。今思えばこれが、地獄のはじまりだったし、でもまあ、後に続く地味な飛躍のきっかけでもあったのだろう。

 デザイン会社や規模が小さい広告代理店のリクルートページには、よく「外部スタッフ募集」とか「外部ブレーン募集」という欄があって、希にコピーライターを探しているケースがあるのだ。そこで僕はワラにもすがる思いで、検索を繰り返した。「コピーライター 外部スタッフ 募集」「コピーライター 外部ブレーン」「コピーライター アウトソーシング」みたいな感じで延々と。今となっては記憶と推測でしかないのだけれど、延べで200件くらいはメールを送ったと思う。メールはベースになる内容は用意するけども、その会社のサイトを読み解きながら、求められるスキルや立ち回りをイメージして毎回アレンジした。

 返事が来るのは20件に1件くらいだっただろうか。それでも、返事が来ればすぐにアポを取り、実績をまとめたファイルを持って駆けつけて、自分がやってきたこと、自分ができることをプレゼンし続けた。もちろんそれであっさり仕事が増えるほど世の中は甘くない。本当にちょこっとした案件が発生する割合はたぶん2〜5%程度。リピーターになることなんてほとんどなかった。でも、僕は立ち止まらなかった。半ば意地だった。そして、ほんの少しだけ、この報われない営業活動が面白くなっていたことも理由のひとつだった。

 まず、リアルにデザイン会社や広告代理店のオフィスを、けっこうな数見ることができる。これは弱小プロダクションのサラリーマンだったらできない経験だ。会社の大きさはどれくらいか。社員の数や年齢構成はどんなものか。本棚にはどんな本があるのか。どんな家具を使っているのか。現場レベルでの課題はなんなのか・・・・・・もう、後半は社会科見学みたいな感じだったが、その後約1年間は「月イチで1社は知らない会社を訪問する」をノルマに、僕は地を這うような営業活動を執拗に続けた。

 余談だけど、この状況をいま振り返ると、僕は地味に飛躍したようにも思う。だって、今は月3〜5件ペースでいろいろな企業や団体や個人から「お仕事の相談がしたい」「講演をお願いしたい」「お会いしたい」と、オファーが舞い込むようになったのだから。

 さて、この営業活動には、「社会科見学」とは別に、いくつかの成果を生み始めていた。ひとつめは、プレゼン能力の向上である。月平均2回くらいは登壇するようになった「2016年の僕」に言わせれば、喋ること、伝えることはけっこうフィジカルなスキルだったりする。つまり、練習しないと上手くならないのだ。200通もメールを出し、月1ペースで新規開拓のために自分の仕事の説明をしに歩き回る。そして仕事は増えない。これはもう、ちょっとした修行か罰ゲームだ。しかし、その結果、僕は「コピーライター」という仕事がいかにふわっとしか世の中に理解されていないかを知り、それを具体的に説明していく術を身につけていった(と思う。たぶん・・・・・・)。これは、営業経験皆無の僕にとっては、今日の社長業にも通じる、ものすごく貴重な経験だったように思う。

 そしてもうひとつの成果。それは「営業活動でジタバタすると、関係ない筋から仕事が舞い込んでくる」という謎のジンクスの確立だった。だから、その後もしばらくは、暇になる度に営業をかけるようにしていた。そうすると、営業をかけた会社ではなく、随分前に知り合った社長から連絡があったりする。で、仕事が生まれた。あれは、なんだろう。営業という踊りを商売の神様に奉納するような、ちょっとよくわからない行動だったけれど、この軽い地獄の期間を過ごしていくウチに、Rockakuはいつの間にかじり貧の時期をくぐり抜けていた。結局、あの頃の営業活動で儲かったかと問われれば、答えはノーだ。
 でも、これだけは確信を持って言える。あそこで何もしなかったら、Rockakuはとっくに消滅していただろう。と。

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