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ころがるえんぴつ/某コピーライターの独立とかの話_03

第3話/2007年4月中旬:覚醒したような、してないような。


 明け方、犬養が重い腰を上げて妻の待つ家に帰ると、再びやることが無くなった。仕方がないので、部屋の掃除をはじめ、やりかけで眠くなって、眠気に逆らう理由もないので、素直に眠った。目を覚ますと14時過ぎていて、日差しは残酷なほど心地よく、どうやら残念なことに春も半ばを過ぎていることがよくわかった。仕方がないので、さしたる意味もなく、400ccのバイクにまたがって麻布邸を出た。

 辿り着いたのは渋谷の区役所前。バイク用の駐輪場に空きがあったので、何となく停めて歩き始めた。
 失業3日目。無目的な外出自体が、なんだかすごく新鮮に感じられた。平日昼下がりの宇田川。ヒップホップ少年も、ピンクがちなギャルも、言いしれぬストレスを抱えていそうなフレッシャー風の青年も、誰一人歩みを停めることなく、大きな流れの一部であるかのようにどこかへと移動していく。自分の思考停止状態とは全く関係なく、世の中が動いていることが、空虚に笑えた。

「こういうのはアレだな。精神衛生上、それなりに好ましくはないよな」
 自嘲気味に笑いながら、松屋で豚定を食べて家路に就いた。自分が社会との間に空けた距離を測りたかったのだと言うことに気が付いて、少し泣きたくなった。そんなもの、測ってみてどうするつもりだったのか。それがわからなくなってしまった。

 余談だけど、後に、キャッシュフローがキツくなると、松屋の店外に貼り出されているバイト募集と時給を見てしまう。そうなっているときが「一番ヤバイ状態」というステータスが確立することになるのだけれど、それはまあ、もう少し先、フリーランスとしてきちんと立ち上がってからの話となる。


「森田です。よろしくお願いします」
 名刺はおろか、何の肩書きも持たず、ただ、自分の名前を名乗った。情けないほどに所在なく、心細い瞬間だった。青山の古びたマンションの中にあるオフィスの一角。隣にはK氏。目の前にはそのオフィスの代表と、アシスタントが2名、こちらを見ている。「ああ、なんでこんな所にいるんだっけ」そんな思いが去来し、頭を搔いた。

 話は約24時間前の麻布邸に遡る。

「お金無いでしょ?」
 K氏が突然2階から下りてきて、うれしそうに話しかけてきた。
 こちとら計画性ゼロで絶賛失業中である。蓄えなんてあるわけは無い。否定出来ないまま、「あー」とか「うー」とか唸っていると、K氏は返事を待たずに言葉をかぶせる。

「無理に復帰しろって話じゃなくてさ、単純にバイトしない?10万出すよ」
 またもや「あー」とか「うー」とかいっているうちに話は進んでいく。
「FLASHで映像教材をつくるんだけど、その台本というか、構成を書いて欲しいんだ。こういう仕事はライターに頼まないと難しくて」
 もはや自分がライターなのかもよくわからないわけだが、結局、明確な態度を示せないまま、ミーティングに参加することになったのだ。

 連れて行かれた会社は、人間の運動を映像から解析するソフトを開発しているらしかった。ソフトの機能や特徴を語る代表はなんというか、熱い人だった。そして僕の隣にいるK氏も、家でマンガを読みふけるオッサンではなく、プロとして、プロらしい態度と発言を繰り返している。

 対して、自分は、そこにいることが自分の意志ですらない、極めて空虚な存在だった。そこには激しい温度差があった。自分という人間には、まるで温度というものがないような気がしてきた。とてつもなく心細い気分で、心細さに煮詰められて、僕の身体はカラカラに乾いて、縮んでいくのだ。とか、詩的な表現に逃げ込みたいほどにしゅんとなっていた。

 とにかく、早く帰りたかった。が、そう言うわけにも行かないのが現実だ。
「どう思われます?森田さん?」
 内心は大変残念な状態に陥っていたものの、それなりに緊張もしていたし、話を聞いていなかったわけではないので、思うところを答えた。もっと言うと、無心で「いい格好をすること」に振り切ったのだ。

 「このサイトを見て、ソフトを導入するかどうか決めるのは、企業や教育機関の決済者ですよね。つまりは、責任があり、自分より上の人間に、導入に足る理由を説明する必要がある。だから、重要なことは細かなスペックや数値じゃないはずです。その数値がもたらす価値を、端的に、感触として伝える表現が圧倒的に不足している……と思います」

 自分の口から思いもよらない勢いで言葉が走り出していったことに驚き、最後は口ごもってしまった。場が「しん」となり、社長以下全員が深く頷いたり、メモをとったりしていた。

 なんだろうか。この感触は。精神状態が不気味なほど静かで、視界がどこまでもクリアになっていた。とにかく、相手の話がよく聞こえる。矛盾点や説明不足、具体性の欠如した部分がセンサーのようなものに引っかかる。そこを突いていき、修正を加え、穴を埋める。すると、答えは出る。こんな感覚は会社勤めしているときには体験したことがなかった。

 この感覚の気持ち悪さは、一切の力強さはなく、根拠のわからない切れ味だけを帯びていたことだった。そしてその刃は、どの鞘から抜いたのかも、どの鞘に収めたらいいのかも、全くわからないまま、空中に霧散していった。

 今にして思えば、当時の僕がどこまでのポテンシャルが実現できていたのかよくわからない。というのが正直な感想だ。ただ、幸いにして、クライアントである代表と、K氏に納得してもらうことができた。正式に原稿の依頼を受けることになり、その日のミーティングは無事に終わった。

「やればできるじゃんか」とK氏は満足げだった。思えばお互い、「仕事の現場」でバッティングしたのは初めてのことだったのだ。
 しかしながら、どうほめられたって、僕の気分はあまりいいものじゃなかった。未練がましい?いや、それ以前の問題だ。未練すらなく、これ以上続ける気のない仕事なのに、自分でも源がよくわからない力を使って切り抜けてしまったのだ。

 自分はどこに流されていくのだろう。いい知れない不安にさらされながら、いそいそと家路に就いた。

つづく

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