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勝手に妄想してみる「もし尾崎豊が生き続けていたら(前編)」

私はとにかく洋楽・邦楽問わないロック好きなので、アーティストを使って「もし〇〇が××だったら」という妄想遊びをしたりする。

え?暗いですか?
ええ、暗いんです。

前回、尾崎豊についての個人的エピソードを書いた。

もし、運命の歯車が微妙にずれて、尾崎豊が亡くならずに生き続けていたら、どんなアーティスト活動を送っていたのだろう?と妄想してみる。

とはいっても、尾崎豊といえば亡くなった時点ですでに東京ドーム単独公演も成功させていた程の、影響力の大きい存在。

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なので、尾崎豊が生き続けていたとしたら、その後の邦楽ロック・シーンの歴史も少なからず彼の活動から影響を受け、私達がすでに知っている歴史とは少し違っていた可能性はある。

でも、これはあくまで遊びなので、厳密な前提は設けずに妄想してみたい。

さて、それでは尾崎豊は90年代の邦楽ロックシーンとどう向き合っていったのだろうか?

92年4月頃の尾崎豊の活動

尾崎豊が亡くなったのは92年だが、その年のヒット曲は以下の通り。

君がいるだけで 米米クラブ
悲しみは雪のように 浜田省吾
それが大事 大事MANブラザーズバンド
涙のキッス サザンオールスターズ
ガラガラヘビがやってくる  とんねるず
もう恋なんてしない 槇原敬之
部屋とYシャツと私 平松愛理

バブルの残り香というか、TVドラマの主題歌が多い印象である。

一時期同じ事務所に所属していて、尾崎豊も尊敬していた浜田省吾がチャートインしているのは心強いが、これはドラマ主題歌として採用された事によるメガヒット。浜田省吾の歴史の中ではイレギュラーな出来事であり、邦楽シーンのトレンドに影響を与えるようなものではなかった。

92年に尾崎豊はアルバム『放熱への証』を発表している。92年4月25日に尾崎豊は亡くなっているので、これが最後の作品となった。この作品は、原点回帰というよりは過去の焼き直し的なサウンドで、しかも初期のようなストレートな歌詞ではなく、内省的で陰鬱で、決して馴染みやすいタイプの作品ではなかった。

『放熱への証』

実際、亡くなる直前の90~92年頃の明るくポップな邦楽シーンの中では、尾崎豊は徐々に浮いた存在になりつつあった。

【妄想】92年5月~95年の尾崎豊の活動

もし、尾崎豊が92年4月に死なずに済んでいたとしても、頭の良い彼の事だから『放熱への証』の後、しばらく充電期間と称して一旦シーンと距離を置いたのではないか….

と言いたいところだが、実際にはその当時、自らが社長となり自分の事務所を立ち上げたものの、人間関係が悪化し猜疑心が強くなり、事務所運営に相当苦労していたという話もある。

呑気に活動休止などしていられる状況ではなかったような気もする。

元々が器用に立ち回れるタイプではない。となると、あまり良くない妄想だが、本業の創作活動に集中できず、どんどんと疲弊し、その悪影響で作品の質が低下し徐々にセールスが低迷していった、と考えるのが自然かもしれない。

【妄想】92~95年の尾崎豊の活動


93年~95年の主なヒット曲は

TRUE LOVE 藤井 フミヤ
YAH YAH YAH CHAGE and ASKA
負けないで ZARD
ロード THE 虎舞竜
ズルい女 シャ乱Q
ロマンスの神様 広瀬香美
LOVE LOVE LOVE DREAMS COME TRUE
LOVE PHANTOM B’z

等である。

より一層、分かりやすくてベタなポップソングがチャートを席巻している。
尾崎豊のような、頑固で熱量過多な音楽の居場所は、あまり無かった。

しかも、94年にはMr.Childrenが「innocent world」でオリコンシングルウィークリーチャート初登場1位を獲得し、「若者のもやもやした気持ち」をポップに表現してくれる新時代の旗手として、シーンのど真ん中に躍り出ている。

Mr.Children「innocent world」

桜井和寿と尾崎豊は5歳しか離れていないのだが、邦楽史的には尾崎豊はどちらかというとひとつ上の世代に括られる。

そのため、おそらくこのタイミングで世代交代が鮮明になり、過剰な言葉数と垢抜け無いアメリカンロック風味の尾崎豊は、「ちょっと古臭い側のロック・シンガー」というラベリングをされて、その影響力は低下していったのではないだろうか。

実際、海外の話だけれども、尾崎豊にも大きな影響を与えたブルース・スプリングスティーンが92年に5年振りのアルバムを発表したものの、評論家からはかつて彼がシーンに登場した際に賞賛された「ロックの未来を見た」というフレーズをもじって「ロックの過去を見た」と、揶揄されたりもしている。

つまり、尾崎豊も一気に時代遅れ的なポジションに追いやられていた可能性がある。

(後編へつづく)


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