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「マニック・ストリート・プリーチャーズ初来日ライブ」の思い出(80~90年代ロック放談その3)

この投稿は、80~90年代の洋楽・邦楽を偏愛する筆者の、極私的音楽体験をつらつらと書き綴る内容です。「架空の対談形式」でお届けします。

●対談するひとたち
ロックさん
推定年齢50歳前後。筆者の分身。音楽文化が栄華を極めた80~90年代に青春時代を過ごした。音楽が彼の人格形成や物事の考え方に多大な影響を及ぼしている。最近、加齢のため記憶が曖昧な事が多い。

ロールくん
推定年齢30歳前後。筆者の空想上の音楽友だち。Apple MusicやSpotifyを使いこなし、洋楽・邦楽・年代を問わず、幅広いジャンルの音楽ファン。80~90年代の音楽への興味が強い。最近レコードの収集に熱意を持ち始めた。

それでは対談スタート。

ロックさん
「ロールくん、前回までオアシスを振り返ったことで、いろいろ30年前の事を思い出してきたよ。
今回は『マニック・ストリート・プリーチャーズ』、の初来日ライブの話をしよう。」

ロールくん
「名前はちらっと聴いたような気はします。
(ここでApple Musicですかさず検索。『ア・デザイン・フォー・ライフ』を再生)
へー、聴きやすいですね。日本人好みな感じ。」

ロックさん
「この曲だけ聴くとそう感じるかもだけど、これは96年の作品なので、いろいろマニックス(マニック・ストリート・プリーチャーズの愛称)に変節があった後の作品だね。
もともとはゴリゴリの反体制感満載の一筋縄ではいかないバンドなのだよ。
まぁいってみればパンク・ロックに分類してもいいかもしれん。」

ロールくん
「パンク? 全然ポップなロックじゃないですか?」

ロックさん
「そもそもデビューの時の話題の作り方がパンクだったんだ。
91年1月にシングル『モータウン・ジャンク』で世に出たんだけど、
歌詞の中に『ジョン・レノンが撃たれた時、俺はあざ笑ってやった』
という一節があり、物議を巻き起こすんだ。」

ロールくん
「のっけから炎上案件ですね。」

ロックさん
「それだけなら、イキったインディーズバンドがやらかした程度の話で済んだんだけど、さらに調子に乗って
『俺たちは30曲入りの2枚組のデビューアルバムを発表し、世界中でナンバーワンにして解散する』
と雑誌のインタヴューで宣言しちゃった。
当然、そんなのは大ボラにしか聞こえないので、インタヴューしていた記者も鼻で笑っていたら、目の前でギタリストのリッチー・ジェームスが「4 REAL (俺たち4人は本気だ)」とカミソリの刃で自らの腕に切り刻み、17針の大怪我を負った。
突然の凶行に、記者もパニックになって泣きわめいたとか。
これがUKロック史に残る4REAL事件ね。ここ、テストに出るから。」

ロールくん
「イッちゃってますね。」

ロックさん
「イッちゃってます。それで、当然センセーショナルな話題になったんだけど、結局この解散宣言を真に受けたのは日本のファンだけだったんだよね。」

ロールくん
「うーん、たしかに冷静に考えればタチの悪い話題作りですよね。」

ロックさん
「日本では当時、影響のあったロッキング・オンが大きく取り上げた事も大きかった。
『彼らは意図的・確信犯的にセックス・ピストルズになろうとしている!』という論調で。
それもあって、デビューアルバムのリリースに向かって、特に日本のUKロックファンの期待が雪だるま式に大きくなっていくんだよね。

ロールくん
「実際デビューアルバムはどうだったんですか?」

ロックさん
「92年2月にデビューアルバム『ジェネレーション・テロリスト』(*注1)が日本盤でも発売されたんだけど、当然、世界中でナンバーワンなんて現象には程遠く、記録上は惨敗以前の結果だよね。
ただ、アルバムに収録された曲そのものは悪くはない。意外とポップで疾走感もあるロックンロールで。

『ジェネレーション・テロリスト』(92年発売)

でも、アレンジが小綺麗にまとまり過ぎていて、売れ線を狙いすぎというのかな、「4 REAL事件」で出来上がった過激なイメージとのギャップがあり過ぎて戸惑ったな。
日本のロック・ファンの間でも賛否両論な反応だったような記憶がある。
『なんか違くね、これ?』みたいな。
で、その混沌な状態のまま、早くも92年5月にクラブチッタ川崎で初来日ライブが実現するわけ。」

ロールくん
「なかなかカオスな展開ですね。盛り上がりました?」

ロックさん
「あのね、これ誇張でなくて、私が過去にたくさん観てきたライブの中でもあれほど『開演前から完全に客が出来上がっていた』状態のライブは、他に無いね。
デビューアルバムは賛否が分かれたけど、それでも
『コイツらなら何かとんでもない事をしてくれそうだ』
という謎の期待感でパンパンに膨れ上がったような状態。
もう客電が消える前から絶叫&怒号の嵐。」

ロールくん
「地下格闘技みたいですね。」

ロックさん
「まさしく。で、いよいよ4人が登場して、たしかアルバムの1曲目と同じ『スラッシュ&バーン』で幕を開けたんどけど、ここから曲を追うごとに微妙な空気になっていくんだよ。」

ロールくん
「微妙な空気?」

ロックさん
「一言でいうと、演奏が下手だったんだよ(笑)。
れっきとしたプロのバンドとしての来日公演なので、機材もきちんと揃っているし、スタッフもしっかり配置されているはずなんだけど、でも下手過ぎた(笑)。
ギターのリッチーもベースのニッキーも、ぴょんぴょん飛び跳ねているだけで弾いているのかどうか不明だし、ドラマーのショーンは放っておくと微妙にテンポが速くなっていくという(笑)。
私は少し後ろから見ていたんだけど、客の頭上に?マークがどんどん浮かんでいくのがハッキリと見えたよ(笑)。」

ロールくん
「別の意味で『とんでもない事をしてくれそうだ』という期待にしっかり応えたと(笑)。」

ロックさん
「だけどね、フォローになっているか分からないけど、最終的には凄くインパクトのあるライブだったんだ。
それは何よりも、ボーカル兼ギタリストのジェームスの頑張りに尽きるね。
そもそも彼は声が素晴らしいんだ。ちょっとフレディ・マーキュリーを彷彿とさせるような声質で。
そのジェームスが一人で歌ってギター弾きまくって、強引に力技で最後まで押し切った感じで、その孤軍奮闘振りに私は泣いたね。」

ロールくん
「なんか感動するポイントが最終的にズレていますけど…」

ボーカル&リード・ギタリストのジェーム・ディーン・ブラッドフィールド

ロックさん
「本当の問題はその後なんだよ。やはりというべきか、彼らは解散を撤回するんだよね。一応、メディアを通じて解散撤回宣言文を発表して。
4人とも地方の労働者階級が出自だけど、詩や文学に詳しく知性も高いので、自分達の欺瞞も認めつつも先を目指していく….みたいな内容だったと記憶しているなぁ。
特に日本のファンに向けては、インタヴューにもきちんと答えたりして、誠実に対応していた記憶がある。でも歯切れは悪かったね。
個人的意見だけど、最初から悪気はなかったんだと思う。
必死だったが故に、口が滑ったというか。
でも、その部分が切り取られて、どんどん既成事実化してしまって。」

解散へ向けて外堀を埋められたマニックス

ロールくん
「お騒がせバンドですね。でも独特の世界観は感じますね。」

ロックさん
「当然、ファンからは『裏切者!騙された!』という反応の方が多かった印象があるね。
でも私は、なぜか彼らが憎めなかったなぁ。
なんでだろう?
あまりにもみっともないし、ダサ過ぎるんだけど、
『そういう事って、オレにも覚えがあるな….』
という親近感かなぁ。

で、この解散撤回が引き金となって、日本での人気も一旦、急降下してしまう。
つまり出オチみたいになってしまった。
ところが、ここから先も『目出し帽事件』(*注2)や『リッチー失踪事件』(*注3)など、いろいろ騒動にまみれつつも、音楽性は着実に進歩ししていって、マニックスは独自の進化を遂げるんだ。

そのあたりはまた別の機会にでも。
ちなみに今年12月にはスウェードと一緒に久しぶりに来日公演が予定されているよ。
マニックスも年齢を重ねて、見た目も雰囲気もだいぶ変わったけど、それもまた、なかなか味わい深いよ。」

ロールくん
「マニック・ストリート・プリーチャーズに興味が湧いてきましたよ。
もうちょっと深堀りしてみようかな。」

現在のマニック・ストリート・プリーチャーズ。だいぶ貫禄が出てきた。

*注1…CDでは2枚組でなく1枚で18曲+ボーナス1曲が収録された。
*注2…英国のテレビ番組「トップ・オブ・ザ・ポップス」出演時、ジェームスがテロリストを想起させる目出し帽覆面姿で演奏し、BBCに苦情が殺到した。
*注3…リッチー・エドワーズは95年2月1日、宿泊先のホテルから突如失踪し、その後も行方不明のまま、13年後の2008年には死亡宣告が出された。


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