ADHDシールの話
2019年の6月頃かな。福岡市内でADHDと表記されたシールが街中に貼られ出した。
「なんやこれ」って感じで追ってみると製作者のインタビューを読むことができたのだが、とても嫌な気分になった。
抜粋すると
なぜADHDと表記したのか。以前、勤めていた会社を辞めて落ち込んでいた時に、友人から「ADHDではないか」と指摘され、確かに、症状が自分にもあてはまると思ったからだという。
「障害を全て悪く考えるのではなく、毎日好きなことをやり、自信を持って楽しく生きたい」。あえてADHDの文字を中心に、かっこいいと考えるデザインを描いた。
そしてこれ
製作者はADHDの診断は受けてないらしい。
「自己診断でグレーなんですが…」ってさ。
簡単な説明になっちゃうけど、ADHDとは不注意(集中力がない)、多動性(じっとしていられない)、衝動性(思いつくと行動してしまう)といった症状が見られる障害のこと。
ちなみにMAKI DA SHIT&maminemさんのこういう曲もあるが、僕は曲と同じ意見っす。
ADHDじゃないのにADHDの代弁者面すんな
ここに強く苛立ちを覚えるのだが、ADHDでもない人が「僕らADHDは〜」ってどういう気持ちなんだろうな。
病気で、障害で、毎日のように苦しんでいるのに、それを関係ない人が「わかる。私もさ〜」なんて言われたら精神的ストレス凄いし、障害に対して本当に失礼すぎる。
障害者権利条約の合言葉は「私たちの事を私たち抜きで決めないで」なんだぞ。
「僕は自分で判断した結果グレーだから君たちと同じだね!」
って事でしょ?
せめて診察してくれ。
All Day Happy Daysという茶化しは世間の目に変わる
All Day Happy Daysという言葉に「障害を全て悪く考えるのではなく、毎日好きなことをやり、自信を持って楽しく生きたい」なんて答えてたが、これこそ製作者の理解が足りなすぎる。
辛く苦しい思いをして生活してるのに、無関係の人から「ADHDはAll Day Happy Daysさ!」なんて言われてごらんよ。
しかもそれを他者にまで浸透させようとしているのは悪質極まりない。
無理解な他者は「そうなんだ」と鵜呑みししてしまうよ。
そうなると、ADHDの方と関わる時に「ADHDはAll Day Happy Daysさ!」って言っちゃうよ。
どれだけ傷付くか想像したのかよ。
そんなのセカンドレイプと変わらないよ。
自称ADHDが多すぎる
こうなった背景を考えると、ADHDは利用されやすいからだと感じる。
注意力がない、うっかりミスをしてしまう、面倒くさがり。
などADHDの症状はみんなに当てはまりそうなんだよ。
多かれ少なかれ「人間のダメな部分」ってのは誰でも持っていて、本来はそのダメな部分と上手く付き合って生活していかなきゃなんだけど、ADHDの方はそれが本当に大変で「頑張るぞ!」なんて精神論じゃ無理だから症状で障害なんだよ。
それを「私も当てはまるからADHDだ」なんて診察も受けずに公言し、だらしない事を「ADHDだから」って勝手なレッテルと私利私欲のための免罪符に変換させるなんて、マジで性格が悪すぎるだろ。
ただの怠け者をADHDとは呼ばない。
カウンセラーの本を読んだのだが、診察を受けると結構な人数が「違います」と言われるし、なぜかその大半がショックそうな顔になるらしいよ。
「障害じゃないよ」と言われても食い下がるんだって。
ADHDのせいにしたいけど、診察受けて違ったらレッテル剥がさなきゃいけないもんね。
架空の障害を自堕落の肯定に利用すんな。
発達障害の彼女がいた
僕には発達障害の彼女がいた。
辛そうだったし、周りで僕がどれくらい支えられたかわからないけど、お互い疲弊した部分はあったもん。
支える側もストレス感じる瞬間あるんだ
「一生付き合ってくもの」と感じる本人は、もっともっと大変だよ。
私たちの事を私たち抜きで決めないで
この言葉に尽きるんだと思う。
製作者が本来どういう意味で起こした活動なのか、実際どれくらい理解があるのかなんてどうでもいい。
シールを見たADHDの方々が不快感と「疎外感」を感じてしまったことが作品のゴールになってしまった。
これはADHDシールだけの話じゃない。
ビジネスや趣味やコミュニティでも同じで、参入するならそのシーンに理解とリスペクトを持って関わって欲しいな。
スーツ着た見知らぬ都会の金持ちが「地元民を装って」田舎の山を勝手に土地開発しだしたら嫌がるのは昔から同じだろ。
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