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38歳、藝大受験してみた。⑩

センター試験の結果が私に何の啓示も与えてくれなかったため、当日から藝大出願の締め切り日までの約2週間、私は一応は勉強を続けながら、でもこれ絶対間に合わないよねとの思いを強くしながら、ちなみに仕事も結構しながら、何よりなんらかの啓示を待ちながら過ごした。だが啓示は向こうからはやってこず、気付けば締切2日前。とりあえず出願要項を改めて眺めてみることにした私は、高校からの内申書が必要なことにここで初めて気付く。

これ、もう絶対無理じゃん。

今まで気付かなかったことこそ今年はやめておけという啓示かと思いつつ、センター対策に協力してくれたS先生に電話を入れてみる。明日までに用意なんて、できませんよね…?ダメ元で聞いた私に先生からの答えはまさかの、「なんとかします」。20年前の卒業生にそこまでしてくれたS先生、および実際に内申書を書いてくれたI先生に感謝しかなく、そして本当になんとかなったことを、とりあえず受けてみろという啓示として受け取ることにした。

今時は出願も受験票の配布もほぼネットなのねー、便利ねー、などと隔世の感を覚えつつ出願を済ませると、約1ヶ月後、その日はやってきた。楽理科にセンター試験による足切りはなく、2月27日の1次が初の足切り対象試験。だがこれは英語と国語から成る学力試験であり、圧倒的に足りない音楽の力が見られるわけではないため、ここで足切りをされるわけにはいかない。それなりの緊張感をもって、オープンキャンパス以来の藝大に乗り込んだ。

時間割は、午前中英語、午後国語。

英語と現代文についてはここまで対策ゼロで、ここにきても直前に赤本に掲載されていた過去3年分の問題に目を通した程度だったのだが、社会人になってからも唯一日常的に触れてきた分野だったのでまあ、普通にできたのではないかと思う。現代文に関しては実は、赤本を最初に見たときは私の時代と流行が違うと焦ったのだが、3年分見たらやはり変わっておらず、近代以降の過剰な科学化は引き続き現代の大問題なのだなぁと面白く思ったりした。

古文についても、同年に東大を受けて話題となっていたオードリー春日氏に唯一負けてしまったセンター試験よりはよくできた気がする。つまりなんとなく、足切りされることはないという手応えが感じられる1次受験ではあったのだが、想定外のことがひとつだけあった。それは、問題用紙まで回収されたこと…。相変わらず見直しにかける体力がなく、ひととおり解き終わったらひたすら問題用紙の裏に気ままな落書きをしていたので、かなり焦った。

恥ずかしい。見ないでほしい。

絵心ない芸人の私の落書きはほぼ文字によるつぶやきで、なんなら問題に対する文句とかも書き込んでいたので、見られたらそれが理由で落とされていたような気さえする。だが結果は、見られなかったからかどうかは知らないが、無事通過。ちなみに今時は結果も構内掲示のあとネット上に公開される形で、私もPC上で自分の受験番号45番を発見した。さあこれで、いよいよ最難関の2次試験。1週間後の本番に向け、私はラストスパートをかけた。

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