誤算の好転について

何を隠そう、最近学校が楽しい。2年生になってから、なんだかんだほぼ皆勤賞なんじゃないかってくらい毎日学校に行っている。思うのは、私の興味は結局のところ、人間というものに向かっているのだなということ。音楽のことを勉強したくて入ったけど、その音楽を生み出してるのも聴いてるのも人間なんだもんな。人間だもの(あさを)。

誤算1:フランス語

思い起こせば、入った頃には誤算が数々あって、こんなはずじゃなかった、知りたい学びたいとは思ったけど覚えたい出来るようになりたいとは思ってなかった、覚えて出来るようにならないと卒業できないなら卒業なんて全然しなくていい、と早々に思った。その最大が、語学。

私の現役大学時代は、覚えて出来るようにならないといけないのなんて第二外国語だけで、あとはへ~って聞いてればいい授業だけだったから、芸大もそのイメージで入ったし、そして第二外国語は前の大学の単位が認定されると思ってたから、つまりは全授業へ~って聞いてるだけでいいつもりだった。

けど蓋を開けてみたら、私の第二外国語のロシア語はこっちでは第三外国語扱いで、必修の第二外国語はフランス語かドイツ語かイタリア語で。どれか選ぶならフランス語だけど、私の今後の人生に明らかに全く必要ないから、もう最初から捨てて非卒業コースでもいいかもなと思いながら、とりあえずお試し気分で最初の授業に出てみた。

ら、先生がすんごい良かったんだよね。普通に分かりやすいし、フランス文化の話とかも交えてくれるから面白いし、小テストをうまく取り入れて自然とレベルアップさせてくれるし。フランス人のものの考え方の片鱗が見えたことと、素敵なH先生に出会えたこと、二重の意味で、人間への興味が私をフランス語の授業に向かわせました。

そんなだったからうっかり1年間やっちゃったけど、2年生のフランス語はH先生の担当ではなく、今度こそやめようと思う一方で、2年間やったら最初の1年分くらいは一生残るかもしれないけど、1年間でやったことは2年後にはきれいさっぱり忘れるだろうからもったいない、との思いでまた最初の授業をお試しで受けてみて。

そしたら、今年の先生も二人とも、H先生(♀)とは全く別の意味でいいんだなこれが。一人は確実に私より若くて、もう一人は多分同じくらいかな?二人とも恐らく東大出の、語学じゃなくフランス文学の専門家(♂)。先生としてというより人間として興味深く、フランス語の文法は相変わらずちっとも覚えられないけど、人間観察気分で楽しく授業に行っている、そんな2年目なのだった。

誤算2:ソルフェージュ

基本的に観察型の人間で、大好きな演劇の分野においてさえ、昨今流行りのイマーシブ(参加型)シアターが苦手で避けている私が、参加型の授業なんて好きなはずもないのだが。ソルフェージュって、思いっきり参加型だよね~! 一人一人あてられて歌わされる授業に、初めて出た時から誤算感ハンパなく、すぐ先生に無理ですって言いに行きました。

そしたらこのS先生(♀)も素晴らしくいい人でさ。大丈夫だからやってごらん、分かんないことは何でも聞いていい、みんなも意外と分かってないんだからって言ってくれた上に、次の授業から私があたる時だけ、さり気なく一緒に歌ってくれたんだよ。この人がいなかったら間違いなく、私は初回でソルフェージュを投げ出していたでしょう。

ソルフェージュは週2回だから先生も半期で二人あたるんだけど、1年前期はもう一人のA先生(♀)も明るくて優しい人だったし、クラスメイトもいい子たちばっかりだったから、出来るようにはちっともならなかったけど普通にすごく楽しかった。

だからこそ、後期で先生とクラス替わるのイヤだな、今度こそ行けなくなるかもなと思いながら迎えた後期、またもや先生に恵まれ。T先生(♀)は一見怖いんだけどとにかく教え方がうまくて初めて理解できたことがいっぱいあったし、もう一人のT先生(♂/フランス人)はかなりめんどくさい人ではあったけど音楽の楽しさを教えようとしてくれてるのはよく分かった。

ソルフェージュっていい先生しかいないのかも!というイメージはしかし、2年生になって見事に打ち砕かれ、「アホかお前は」「1年間何をやってきたの」「ひどいね」と真顔で怒鳴ってくるM先生(♀!)に毎週ものすごい勢いでメンタルやられてるわけですが、もし1年生でこの人にあたってたら私、確実に既に中退してたなと思うと再び、何をするにも結局は人なんだなとの思いを強くする。

M先生の授業をあと1ヶ月耐え抜ける自信ないから今度こそ単位落とすかもしれないけど、後期に再びS先生かA先生にあたる奇跡を信じて今はやっている。願わくばクラスメイトも1年前期と一緒がいいな。まあ、まずあり得ないけれど。

誤算3:その他のイマーシブ授業

演習での発表、ってのもまた、現役時代のマンモス大学では避けて通れたけどここではそうはいかないものだった。1年前期にとった演習はなんと、学生たった8人という贅沢さ。1人40分というたっぷりの持ち時間が与えられての発表はこれまた、私を非卒業コースへとかきたてるものでした。

けどなんだかんだ乗り切ってしまったのもまた、先生との出会いの力。発表したくない、単位要らないから私は飛ばしてくれと弱音を吐く私にお若いK先生(♀)は、町田さんが発表しないとそのぶん私が授業しなきゃいけないから、テーマから離れてもいい、なんならミュージカルについて語ってもいいから時間は使ってくださいと。

見るからに優秀なK先生が40分の追加授業を本気でやれないはずはなく、明らかに私を乗せるための方便。年下の先生に気を遣わせてしまった申し訳なさから、やりましたよ発表、しかもちゃんとミュージカルに逃げることもなく。

この先生はレポートについても、論文とは本来は客観的に書くものだけど、町田さんの興味が主観にあるなら、この授業に限ってはそれでもいいと言ってくれた。その言葉に勇気をもらい、私はK先生の授業に限らず、レポートには自分が書きたいこと(まあ、ミュージカル)を書くことにした。結果全部楽しく書けたから、これもまさしく誤算の好転。

さて世の中には、人との出会いで好転する誤算もあれば、そうでない誤算もあります。和声が私には超難しいという誤算は結局、1年目も2年目も後者。1年目は秋まで頑張ってたけど、今年は2回授業出ただけでもう行くのやめました。先生が悪いと言うつもりはもちろんないですよ、ただ私が誤算を乗り越えられる出会いではなかっただけ。それもまた啓示、和声は必修だから、イコール非卒業コースへの。

本日の結論

こうして非卒業コースを歩み出し、卒業に代わる目標として「卒業する同級生と同じ数の単位を取る」と定めた私ですが、最近その目標は便宜上のものではなく、自分の欲望に忠実なものとなりつつあります。それは、音楽を生み出す人間と聴く人間について、興味深い人間たちである先生や同級生と一緒に考えを巡らす場である授業が楽しいし、楽しかった証として単位はほしいなと純粋に思うから。

ま、こういうポジティブな思考は私の場合、すぐ消えてなくなるから今回も長続きしないとは思うけど、現段階の事実として少なくとも、音楽を包括的・体系的に学べる場と見込んで芸大を選んだのは間違いではなかったと思う。

1年生の時は授業名から内容を想像するのが困難、というより不可能だったけど、今年はだいぶできるようになって、自分に合った授業を選ぶことができ、その結果、音楽にまつわるいろんな学問が頭の中でいろんなことが結びついて包括的・体系的になり始めている。この調子で3年、4年と進んでいったら良いのだけど…まあ無理だろうな笑。

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