栗原啓輔『路上の言語』

スケートボード研究者。スケート歴20年(1992年~)。抽象概念、哲学、文化人類学等を…

栗原啓輔『路上の言語』

スケートボード研究者。スケート歴20年(1992年~)。抽象概念、哲学、文化人類学等を援用し「スケーターはなぜバンクやプールを発見し、ストリートで滑ることができたのか」を研究しています。... 障害ふたつ持ちで労務不能、生活保護につき、サポート宜しくお願い申し上げます。

最近の記事

note株式会社 運営事務局に裏切られ、サポートして頂いた御厚意が無駄になった話。

「運営事務局に裏切られ」というのは、note株式会社の『ミッション・ビジョン・バリュー』(いわゆる経営方針、従業員の行動指針)にある以下の言葉に対してです。 証拠としてすべてのメールを最後に添付します。 私は1月10日の時点で「生活保護を受給中で月8,000円を超えた金額は翌月分の保護費から差し引かれてしまう。そのため、6月分と11月分の売上を月をまたいで分割で支払いして欲しい」とお願いしました。 この説明の後、note運営事務局から「登録した口座を削除すればアマゾンギフ

    • スポーツメディアによるスケートボードのたくさんの誤解

      記事を書いた沼澤典史様@numazawa_n、「迷惑系スケーター」という勝手な造語、カテゴリ分類は非常に迷惑であり、且つ間違いが多すぎです。 スケートボード研究者として以下の記事を批判します。 「近隣住民からのクレームで」完成したのにスケボーパークが一度も使えず…《日本ではスケボーをやる場所がない》問題https://number.bunshun.jp/articles/-/849978 以下、迷惑系スケーターとは  ・ストリートで滑るスケーター を指していると理解し意見

      • Consider the relationship between skateboarding and destruction in terms of "common sense of behavior".

        The common question is what is common sense? Some of the things that are used in everyday life and become skate spots are benches, stairs, and handrails. A bench is a place to sit on, and the central part of the body for movement is the le

        • スケートボードと破壊の関係を「動作の常識」から考察する

          常識とはなんだろうかというよくある問い。 日常生活で使われるものでスケート・スポットになるのはベンチ、階段、手すりなどがある。ベンチは腰かけるもので動作の中心となる身体の部位は足腰だ。背もたれのないベンチであれば上半身に焦点が当てられることはあまりない。階段は脚が中心となり手すりはもちろん腕と手だ。これらの道具には、休息するためや昇り降りするためなどの「つくられる目的」となる行為があり、その行為を遂行する際に中心となる身体の部位に合わせ発展した。ベンチがなく地べたに座るとき

        note株式会社 運営事務局に裏切られ、サポートして頂いた御厚意が無駄になった話。

          Language on the streets - the dawn of skateboarding 3 The memory of the body and the memory of the mind

          Surfers are sensitive to the sensations in the soles of their feet. In order to control the surfboard in the ever-changing and unstable waves, you have to respond to the wave movements transmitted through the surfboard. If the inclination o

          Language on the streets - the dawn of skateboarding 3 The memory of the body and the memory of the mind

          Language of the streets - the dawn of skateboarding 2 "The kinetic mechanism of surfing"

          When a surfer rides a skateboard, he has an image of the waves in his mind, and he wanted his skateboard to have the feeling of surfing, and that was reflected in his body language. The foundation of skateboarding for a surfer was surfing.

          Language of the streets - the dawn of skateboarding 2 "The kinetic mechanism of surfing"

          Language of the streets - the dawn of skateboarding

          Skateboards were probably the first vehicles that allowed humans to experience the action of "riding a board and sliding sideways" on land. I think the experience of "sliding sideways" was so refreshing and fun, like the first time a child

          Language of the streets - the dawn of skateboarding

          『路上の言語』Skateboarding is not a Sport14

          スポーツとはどのような概念と定義されているのだろうか。坂上康博氏の『スポーツ文化の価値と可能性:1960~70年代の国際的な宣言・検証を中心に』によると、 ユネスコ事務局のフランシス氏が強調したように、〈スポーツ宣言〉はその前文で、 1 スポーツとは、プレイの性格をもち、かつ自己あるいは他者とのたたかい、または自然の構成要素との対決を含む身体活動である。 2 この活動が競争をともなう場合には、つねにスポーツマンシップにもとづいて遂行されなければならない。フェアプレーの観念な

          『路上の言語』Skateboarding is not a Sport14

          アルヴァ・アアルトがつくった世界初のもの

          国立新美術館『カリフォルニア・デザイン 1930-1965 -モダン・リヴィングの起源-』展で、初のキドニー型プールはカリフォルニアでトーマス・ドリバー・チャーチが手がけたと述べられていたが、そうではなかった。 世界初のキドニー型プールはアルヴァ・アアルトが1939年フィンランドに手掛けたMairea邸にあった。形はチャーチがデザインしたものと酷似している。 チャーチはカリフォルニアの温暖な気候にマッチする有機的なデザインをテーマとしていたため環境に合わせることを考えてい

          アルヴァ・アアルトがつくった世界初のもの

          『路上の言語』Skateboarding is not a Sport13

          周縁のものが使うHEROという言葉には、音楽の世界では『WORKING CLASS HERO』がある。抑圧されている状態に不満を感じ反体制の意志を持つものは行動を起こす。反体制的行動を起こす集団は集団の類像としてのHEROを求める。Anti Heroは、抑圧されている周縁のものが中心に対して行動を起こしHEROを求め表れるというような、求める集団と表れるHEROという構造に対してAntiだという意思のもとに名付けられている。彼らを含めスケーター自身は政治や社会に対して具体的な

          『路上の言語』Skateboarding is not a Sport13

          『路上の言語』Skateboarding is not a Sport12

          スケーターのモラトリアムを示唆するものは写真だけでなく、名付けの感覚にも表れている。 20年ほど前、『THE GREATEST 30 CLUB』というチームがあった。スケーターといえば子供の遊びで滑り続けても20代のうちに辞めてしまうものが多かった時代に、30歳を過ぎても滑り続けている人たちがつくったチームだ。この時代はスケートボードと仕事にうまいこと折り合いをつけ両立させている人は少なく、家庭を持つような年齢になるとスケートボードを辞めるか、それともスケートボードにどっぷ

          『路上の言語』Skateboarding is not a Sport12

          『路上の言語』Skateboarding is not a Sport11

          社会を表すものをシニカルに取り入れた表現が生まれるようになったのは80年代後半から90年代初期に該当する。その時代は都市で滑るストリートスケートが隆盛し街中にスケーターが増えた時期であり、それに応じ社会から器物破損や歩道から道路への飛び出し、道路での走行など、スケーターに対する批判の声も大きくなっていった時代だ。 それ以前のプールやランプはスケートボードの世界の中心にあり、それらはストリートと違って社会と直接交わることはない。そのような区切られた空間の中で滑っていた時代の社

          『路上の言語』Skateboarding is not a Sport11

          『路上の言語』Skateboarding is not a Sport10

          スケートボードの文化ととそうでない異なる文化は、スケートスポットである建築物を媒介として交わる。社会の中で互いに異なる文化に所属するもの同士が建築物の使い方についてせめぎ合うとき、ふたつの文化は交わるのだ。 スケートボードとそうでない二つの文化が交わるとき、どういったことが起こるのだろうか。 社会の秩序のもとにつくられた建築物の持つ「意味」を無視し新たに意味付けをするという行為、つまりスケートボードで盲人用スロープを使い障害物を飛び超える、縁石を削るというような行為だが、

          『路上の言語』Skateboarding is not a Sport10

          『路上の言語』Skateboarding is not a Sport9

          破壊と楽しみが結びつくことに関してはイリンクスで述べたような 突然人をとらえる忘我の激情がそれだ。この眩暈は、ふだんは抑制されている混乱と破壊の好みに容易に結びつく。それは、自己主張の粗野で乱暴な諸形態なのである。 引用:ロジェ・カイヨワ『遊びと人間』P62-63 スケーターがスケートボードをする中で破壊に注目することはスパイク・ジョーンズだけでなく一般的にみられる傾向である。滑る際に結果的に破壊してしまうことから滑る楽しさと破壊が結びつくのだが、破壊をすることや見ること

          『路上の言語』Skateboarding is not a Sport9

          『路上の言語』Skateboarding is not a Sport8

          海を越え都市に出たサーファーはやがてオーリーを誕生させスケーターになり、様々な場所で滑った。スケーターは路上をところかまわず走り、階段を飛び降り、ベンチのフチにグラインドをかけ壁をはいあがり、盲人用スロープを使って柵を飛び越え、ハンドレールを滑った。地形や建築物に与えられた意味を読み替え自由に滑った。 スポイルスポート すべての建築物にはそこで生活や仕事などをするためという意味を持ってつくられる。建築物の要素である階段や手すりには、上下のフロアを行き来するため、階段で転ばな

          『路上の言語』Skateboarding is not a Sport8

          コピーライターの使う言葉の変化

          わたしはコピーライターではないしそういう業界の人間ではないので詳細はわかりませんが、受け手側から見た意見として変化していると感じた点を述べます。 変化したと感じているのは根本的な「誰の視点からその言葉が生まれたか」という部分で、発話者が変わったと私は感じています。 20年ほど前のコピーで思い出せるものとしては、「NYの空は高く、心はいつも自由だった」という映画『バスキア』のコピーがあります(映画監督ジュリアン・シュナーベルの作品)。80年代のNYでグラフィティを描き芸術家

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          コピーライターの使う言葉の変化