路上の言語〜ストリート・スケートの起源『棒馬としてのプール』4

棒馬とは、子供が棒を馬に見立てたいわゆるごっこ遊びだ。

目に見える形として棒という姿であらわれているものが子供の抽象の力により馬になった。同じようにサーファーもプールという施設を抽象化した結果、波と把握しそこでスケートボードをした。

そもそも一本の棒が馬になるためには、その形が馬乗りできるものであるとともに、乗ること自体が重要でなければならない。そこには封建時代における騎士道と馬の結びつきにまで遡るような文化的背景がある。
引用:田中純『表象の墓碑銘――ゴンブリッチ「棒馬」考』P28

子供は棒を馬に見立てて乗ろうとしているが、その背景には騎士道があった。同じように、スケートボードを持ったサーファーは都市にあるプールを波に見立ててスケートボードをしようとしているが、その背景にはもちろんサーフィンがあった。偶然にもキドニー型プールの背景にはその象徴とまでいわれた50年代カリフォルニア文化があり、その文化の渦中にはサーファーがいた。どちらも50年代カリフォルニア文化の象徴だったのだ。

19世紀にハワイからカリフォルニアに伝えられたサーフボードは、長いこと非常に重いままだった。その重さは45~90kgもあり、誰もが気軽に始められるようなものではなかった。サーフボードを軽量化しようと幾度となく様々な試みがなされたが、そのほとんどがうまくいかなかった。画期的な進歩を遂げたのは1954年にファイバーグラスと樹脂でコーティングしたポリウレタン・フォームで製作するようになってからだ。そのサーフボードが1956年に大量生産されるようになったおかげで、サーフィンは全世界の人に楽しまれるようになった。

かつては男性だけが楽しんでいたこのローカルなスポーツは、30ポンド(13.6キログラム)の扱いやすいボードが生まれて初めて、全米、ひいては全世界のあらゆる人びとに開かれた趣味となったのである。
引用:『カリフォルニア・デザイン 1930-1965 モダン・リヴィングの起源』図録P189、P190

当時アメリカの文化をけん引する地でもあったカリフォルニアらしいもののひとつとしてサーフィンを挙げることができるが、それを表すものとしてサーフィンを題材にした映画や音楽の流行がある。サーフィンを始めた女の子が男性ばかりのサーファーたちの仲間になっていく過程を描いた映画『夏の日の恋』、60年代にまたぎビーチ・ボーイズのアルバム『サーフィン・サファリ』、『サーフィン・U・S・A』の大流行などだ。

カリフォルニアのビーチ・カルチャーは全米に広がった。引用:『カリフォルニア・デザイン 1930-1965 モダン・リヴィングの起源』図録P190

この時代にカリフォルニアの要素をたっぷり吸いこんだサーファーたちにもキドニー型プールの印象が植え付けられたであろう話として次のようなものがあり、これらはサーフ・スポットのあるロサンゼルスでキドニー型プールがどの程度受け入れられていたかを教えてくれる。

ロサンゼルスは、”フィフティーズ”そのものといっていい都市だ。50年代の典型といえるアンジェルノ(ロサンジェルスっ子)は、伝説によるとロケット・フィン(尾びれ)をつけたツートーンのチェビーに乗込み、未来風の突出した屋根とちらちらするネオンライトのドライヴィン、コーヒーショップのある辺りを流してまわり、あきると、キドニー型のプールに飛び込むのである。
引用:キャラ・グリーンバーグ『ミッド・センチュリー ――50年代の家具』

50年代のサーフィン文化とカリフォルニア文化の蜜月は、1966年にひとつの映画を象徴としてカリフォルニア文化に暗い影を落とす形で終わる。終わらない夏(Endless Summer)が終わったのだ。とはいえサーフィン文化そのものに終わりが来たわけではない。

カリフォルニア文化の象徴とまで言われたキドニー型プールは再びカリフォルニア文化に返り咲こうとしている。最初は単に文化を象徴するもの同士でサーフィンと直接的な結びつきはなかったが、今度は直接サーフィンと縁を持った。ナイトドライブの途中で飽きてキドニー型プールに飛び込むのではなく、手にはスケートボードを持ちリップ(プールのフチ)からドロップインしようとしている。

カリフォルニア文化の象徴であったキドニー型プールはその機能を代え、サーファーに楽しみを与えてくれる象徴である波の代替物になったのだ。

初めてプールを見渡したスケートボードを持ったサーファーの目にはR以外のものは目に映らなかった。庭には植物が植えられ傍らには並べられたテーブルやチェアがあり、またオブジェなどがあったかもしれないが、それらのものはサーファーの目には注意を引く対象として選ばれなかった。キドニー型プールを設計した設計家、デザイナーであればキドニー型プールのデザインに注目するだろうし子供であれば水を張って泳ぎたいと思うだろう。

サーファーが求めるものは波だがスケートボードに乗っているその場は「海」ではなく「都市」だ。「都市」の中で最低限必要な「波」の要素を備えた「サーフィン」の概念的イメージを持ち代替物を求めた。波の代替物となり得る素材のプールという人工物を見つけたとき、それは抽象化され、プールという素材は求めるものに適い波の代替物となった。求めるものに適うには「波(に乗る)」という機能の最小限の要件を越えてまで形の類似性に頼ることはないので、Rさえあればよかった。

サーファーが都市で求めた機能はバンク同様スケートボードに乗ったときに前に推し進めてくれるものだ。Rという滑らかな斜面がありさえすればそれだけで波の代わりになった。自分たちに楽しみを与えてくれる象徴である波と象徴されたものであるプールのRとの共通項は形ではなく機能であり、見た目が波に似ているかどうかという形の類似は関係なく、サーフィンの感覚を与えてくれる機能を求めた。

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