路上の言語〜スケートボード黎明期

スケートボードとは人間が陸地で「板に乗り横向きに滑る」という動作を初めて体験させた乗り物だったのではないだろうか。子供が初めてブランコに乗ったときのように、初めて滑り台を滑った時のように、「横向きに滑る」という体験はとても新鮮で楽しいものだったのだと思う。

以下、スケートボードそのもの、そしてそこに沈殿している言葉にならない「言語」を模索していきたい。

板に乗り横向きに滑ることに人が楽しさを見出している証左として、1960年代から現在に至るまで子供から大人までスケートボードに乗っていること、すなわち年代を問わず楽しんでいる人が世界中にいることが挙げられる。また、子供が滑り台を楽しむことの延長として大人がジェットコースターを楽しんでいることを考えると、人間が楽しさを感じる「動作」とは年齢によって種類が変わるのではなく、それが与える〈刺激の程度〉の問題だ。

スケートボードは「板に乗り横向きに滑る」だけでは終わらず、様々な工夫を凝らし「自由」の名のもとに新しい遊び方を発見させる。スケートボードが多くの人を魅了していくのは、そこに起因する。

スケートボード誕生初期、スケートボードに乗っていたものは大まかに3タイプに分けられる。「サーファー」、「フリースタイル」のトリックやスラロームなどをやるもの、「ただ乗るだけの初心者」だ。「フリースタイル」ではフラットで何回転できるかなどトリックを競い、スラロームではタイムを競っていた。そして「ただ乗るだけの初心者」はその新鮮な体験を全身で感じ、ただ乗ることを純粋に楽しんでいた。その中で唯一、「サーファー」だけは海の中で「横向きに滑る」ことを体験済みであったため、サーフィンとスケートボードを重ね合わせその感覚を「陸地」で再認していた。スケートボードが現在の形になるまでにどのような歴史をたどったのかを探るには、まずサーフィンを軸に考えることが必要である。

それは、サーファーが波乗りの感覚をスケートボードに反映させ発展させてきたことがとても重要だからだ。「フリースタイル」のフラットトリックもスケートボードを発展させた一因ではあるが、それは「サーファー」が発展させてきたスタイルとは異なる。ひとくちにスケートボードといっても、「フリースタイル」とそれ以外の「ストリート」、「R(プール/ランプ/バーチカル)」は大きく違うのだ(ストリートとRを分けて考えることはほぼしないが、ここでは便宜上分ける)。

フリースタイルとそれ以外は大きく違う道を歩んできているが、一度接近し影響を受け発展してきた。このふたつの相違点は、スケートボード「以外」のものと接続したことがあるか否かだ。スケートボードは、他のものと接続することでたくさんのものを得てきた。それはつまり、サーファーがサーフィンをイメージしながらスケートボードに乗るということは、「運動機構」という〈身体の記憶〉と、「想い出-イマージュ」という〈精神の記憶〉の2つの記憶を再認しながら乗っていた、ということだ。

スケートボードが初めて世界中に広まった60年代、サーフィンはそれまで主流であったロングボードからオーストラリアで起爆したショートボードの流行が世界的に広まり流れが変わっていった時期だ。その当時はショートボードなんてものは認めないという風潮もあったようだが、そのような状況を変える勢いであったことが海野弘氏の著書で書かれている。

海野氏のカリフォルニアの身体文化について書かれた著書では「ショートボードの流行がなければスケートボードの誕生はなかったのでは」と一行だけスケートボードについて触れているが、そのように考えたのはショートボードの操作性、回転性によるものだろう。ロングボードではサーフボードを細かくコントロールしトリックをやるというようなことはあまりないようだ。ショートボードをコントロールする感覚が陸地でスケートボードをコントロールする意志を導いたといえるし、あの小さなサイズにも違和感をあまり感じずに受け入れることができたのだろう。

サーファーはいつの頃からかスケートボードというものに乗るようになったのだが、それまで人間が「板に乗り横向きに滑る動作」はサーフィンしか存在しなかったのではないだろうか。その特殊な動作からサーフィンとスケートボードは強く結びつき、サーファーはサーフィンと似た感覚が得られるスケートボードに夢中になった。それは海の中に入らなくても波が立たなくても、たとえ夜でもスケートボードの上に立ちさえすれば波乗りに近い感覚を味あわせてくれた。スケートボードにサーフィンとの反応の同一性を感じたのだ。

サーファーはサーフボードに乗り横向きに滑るという動作を繰り返し体験することで、「板に乗り横向きに動く」という動作を概念化させていた。例えば、ハサミを初めてみる子供は使い方がわからないため穴に何指を通せばよいかわからないが、使い方が概念化されれば穴に通す指は親指と中指であることが考えずとも無意識で使える。「板に乗り横向きに動く 」という動作の概念化を済ませていたので、スケートボードがサーフィンと類似していることをすぐに感じ取りその動作を応用することができた。スケートボードに乗るときはサーフィンをするときに問題になるような、波が無い、海が時化ていて入れない、と状況に左右され我慢を強いられることも少ない。最低限雨が降ってさえいなければいいのだ。

サーファーはサーフィンを終えた後に次はビーチの駐車場でスケートボードに乗るというように、貪欲に滑ることを求めた。

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