『路上の言語』Skateboarding is not a Sport7

スケートボードはスポーツではないので、明確に区切られた滑る場所を持っていない。

遊びの空間について
遊びは本質的に生活の他の部分から分離され、注意深く絶縁された活動であり、それはふつう、時間と場所の明確な限界の中で完成される。遊びの空間というものがある。マレルの方陣、チェス・ボード、碁盤、スタジアム、トラック、運動場、リング、舞台、円形闘技場などがそれである。この概念的境界外で行われることは計算にはいらない。
引用:ロジェ・カイヨワ『遊びと人間』P35

ここで述べられている「遊びの空間」とはサッカー場や野球場、将棋盤などのように、「遊び」をする際の場所や台のことだ。場所などの限られた空間があるということは「遊び」と遊び以外のものが区切られることである。区切るものがあることによって、その場所に足を踏み入れることやその台を前にすることで「遊び」をするというスイッチが入り頭のなかが「遊び」に備えられる。遊びには遊びの秩序があるが社会一般的な秩序から遊び固有の秩序の世界に足を踏み入れることで、概念が社会一般的な生活をするための概念から「遊び」の概念に切り替わるのだ。

サッカー場に入るとサッカーとは関係ないある特定のこと――例えば、のこぎりを使うときに足で板を踏みつけて押さえる感覚など大工仕事を思い出す、などという人はいないだろう。サッカー場ではサッカーの概念が主役になるので、板を切るときの概念は自分から求めない限り顔を出さない。サッカーをやるときには自然と「サッカーをすること」に意識の焦点が当てられる。それは台所に行けば細かな包丁の使い方や炒め物をするときの火加減のコントロールの仕方という料理の概念が自然と表れてくることと同じであり概念の切り替えが行われている。

例示したサッカーや野球場のように、実際の物理的な境界がある場合は具体的な境界の作用によりその場所に入ることで自然と概念が切り替わるが、スケートボードの「遊びの空間」は都市そのものであり生活の場と一致する。スケートボードという「遊び」の概念的「境界」とはどのような境界なのだろうか。スケートボードの概念的境界とは棒馬の章で述べた、ものをこのように使用したい(スケート・スポットとして使いたい)という欲求が所属する「文化の概念(スケートボードの概念)」とそれ以外の文化の境界であり、スケートボードをする概念と社会一般的な生活の概念との境界だ。

サッカーではボールを使用し陸上競技で棒や砲丸を使用するように、スケーターも道具を使用するがそれは都市に存在する建築物だ。スケーターはスケートボードをするとき日常生活で使用する建築物と違いを求めない。

おもしろい/つまらないという差はあるが、厳密に「この建築物」でなければ滑れないということはない。建築物を構成する要素であるエントランスの階段、壁、車いす用のスロープ、手すりなど、備えている機能に多少の違いはあっても構わず、滑れる機能を持っている建築物であればなんでも構わない。壁でもあればそれだけで滑ることはできる。

スケーターは建築物の概念の境界をまたぎ、与えられた使い方の枠を破壊する。対象となる建築物は目の前にある一棟の建築物だけではなく、存在するすべての建築物の概念の境界をまたごうとしている。それはつまり都市そのものをスケートボードの概念で見ているということだ。

スケーターにとって都市との関係は、スケートボードの概念か社会一般的な概念か、優先する概念の違いでスケート・スポットか生活の場に変わる。それはサッカーや野球のように具体的な区切られた場所を持つ「遊び」にはない表裏一体の特殊な関係であるため、自分の意思一つで都市はスケート・スポットになるし、元の与えられた意味をまとった日常生活を送る都市に戻る。

スケートボードの歴史の中でこの概念の境界を越えることができたのはミミクリの遊びを求めたことによる。それは何度も述べているサーファーがスケートボードを使用し都市でサーフィンをしようとした模倣の世界だ。都市でサーフィンの模倣をするために波を求めバンクやプールを抽象化し都市の中に海という想像の世界をつくりあげたが、このときに概念の境界を越えたのだ。これはサーフィンが海を越えて都市に進出した瞬間であり、「場所」の制限を破壊した瞬間だ。海野弘は『ビーチと肉体 ―浜辺の文化史(カリフォルニア・オデッセイ)』の中で

サーフィン文化は、ビーチで生まれた。それは<へり>の文化である。

「ビーチは、無人の地であり、境界の地であり、砂漠、荒野である。地と海がそこで出会うところであるだけでなく、法や秩序が巧みに構成されたカオスに出会うところだ。サーフ・カルチャーはアナーキーであるが、それ自身のコードを持っている。」(ドル―・カンピオン、ブルース・ブラウン『ストークド』)
引用:海野弘『ビーチと肉体 ―浜辺の文化史(カリフォルニア・オデッセイ)』P218

と述べているが、スケートボードを手にしたサーファーはその<へり>をまたいだのだ。

それはつまり

サーフィンはカリフォルニアにおいて、六十年代のヒッピー、七十年代のニューエイジなどの文化に乗っていた
引用:海野弘『ビーチと肉体 ―浜辺の文化史(カリフォルニア・オデッセイ)』P219

一方で、スケートボードに出会った一部のサーファーは六十年代に都市の文化に乗り始めていたことを意味する。

「境界の地」であり、「法や秩序が巧みに構成されたカオスに出会うところ」であるビーチをまたぎ都市に出たサーファーは、場所という概念的境界をまたぎやがてスケーターという独立した存在になり、ものの使い方の概念もまたいだ。サーファーがサーフィンの象徴である波を求めるようにスケーターはスケート・スポットの象徴である建築物を求める。<へり>である波打ち際が象徴の存在する世界とそうでない世界を分けサーファーにサーフィン以外のものを出会わせサーフィン文化ができ上がったように、スケートボードも象徴の存在する世界とそうでない世界との分け目でほかのものと出会い文化ができ上がった。世界の分け目は与えられたとおりの使い方をするかその意味を読み替えるか(スケート・スポットとして使うか)、その概念が所属する世界の違いだが、ものの使い方の分け目でスケーターは社会と交わる。社会は自分たちとは違う使い方をするスケーターの存在を知り使い方を正そうと声を上げ、間違った使い方の証拠としてベンチや花壇の削れたフチを指さす。その声を聞いたスケーターがアクションを起こしたことで、プール以降のストリート・スケーターと社会が交わり都市でスケートボードの文化ができ上がっていくことになる。

スケート・スポットを大きく二つの形状に分類すると面とフチに分けることができるが、面はバンクやRがあり、フチはベンチや花壇、ハンドレールなどがある。これら二つの形状はどのようなものを求めてそれがスケート・スポットとして発見されたかという動機が分類の結果につながっている。面はサーファーが都市の中で波の代替物を求め発見したもので、フチはスケーターがプールのリップの代替物を都市に求めて発見したものだ。スケーターはフチも面も使うが、フチは純粋にスケーターがスケートボードをするために探し発見したスケート・スポットであり、スケート・スポットとして成立するためには概念の境界である<フチ>をまたぐ意味の読み替えがなされて初めて成立する。そして概念の境界の<フチ>による制限を受けないという点がスケートボードの文化の根幹をなすことから、スケートボードは都市で生まれた<フチ>の文化であるということができる。都市の文化に乗ったサーファーはいつしかスケーターと呼ばれるようになったが、それと同時に<へり>の文化は<フチ>の文化に変化を遂げた。スケートボードの世界と日常の世界はフチで交差する。

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