路上の言語〜ストリート・スケートの起源『棒馬としてのプール』5

棒を馬とみる子供の視点には騎士道という背景があった。同じように、スケートボードを持ったサーファーのRを波と見る視点の背景にはサーフィンがあった。そのような都市で波を求めるサーファーの行為は、海で波乗りをするという様相の模倣であった。

住宅街の中にある、地面を掘ってつくられた屋外のプールを見たとき誰が波を連想することができるだろうか。プールとは泳ぐ施設であり、水を蓄えている姿こそがプールの本来あるべき姿だ。サーファーが求める「理想」の波はバンクのような多少の斜度がついた地形ではなく、チューブができるようなRがある波だ。サーファーが都市に波を求めているなかで、バンクを発見し次にプールのRを発見したことは、都市においてもより理想の波に近づいたといえる。プールという素材を見たときそれが求めるものの代替物となるか対話をし、抽象の力が発揮された瞬間「理想」の波とプールのRを結びつけることができた。

都市の中でサーフィンの概念を発揮させ波を求めているからこそプールと波を結びつけることができたのであり、海で培った概念が都市というまったく別の場所で発揮されたことが、抽象化する際に役立った。概念に紐づく場所とは違う場所でその概念が発揮されたとき、見慣れたものを違ったものに感じさせるのだろうか。

見ているものが普段とは違ったものに見えるようになるのは違うものを求めるようになったからだ。50年代の人々はキドニー型プールの背景に華やかなカリフォルニア文化を見たことで、プールを手に入れればその華やかさを享受できると思い象徴であるプールを求めた。キドニー型プールとは、そういうものとして存在し人々にそのような求められかたをしていた。時がたち、まだカリフォルニア文化が終焉を迎える前の1963年から65年の間にキドニー型プールを発見したスケートボードに乗ったサーファーも、初めは同じようにカリフォルニア文化の華やかさを求めていたのかもしれないが、彼らにとっては華やかさよりも大事なものはサーフィンの象徴である波だった。波を求め彷徨わせた視点がキドニー型プールに向かったとき、それはカリフォルニア文化を現すものではなく波を現すものになった。サーファーの視点はカリフォルニア文化よりも波を求めていたからだ。

スケートボードに乗ったサーファーにとって一番重要なのは、陸地でサーフィンのように滑れるかどうかだ。そのためキドニー型プールのある家に忍び込んだとき、庭の芝生は目に入らない。目に入るのは最低限舗装された面だ。その舗装された面を見たとき、サーフィンの波の記憶が甦りキドニー型プール内壁のRの部分が抽象化されチューブを描くような波に感じられた。

さて、ゴンブリッチは最低限のイメージに適うギリギリのラインがどのようなものかを説明するために動物を使った例を挙げている。ひな鳥はえさを与えてくれる親鳥をみればクチバシを開くが、頭と身体を表す大小二つの円形をつなげた

最も「一般化した」形で「表現された」鳥の頭と胴の輪郭を見せられても同じようにくちばしを開くだろう。
引用:E.H.ゴンブリッチ『棒馬 あるいは芸術形式の根源についての考察』P18

と述べている。

例に出したのは動物だが人間もその例にもれず、ある特定の一般化した形で表現されたものに対して敏感に反応する傾向がある。ある特定のものとは人の顔だが、描かれた絵を上下逆さまにしても顔に見えるトリックアートがその典型だ。逆さまにしたときの顔は少々歪んでいたりバランスの悪い顔になるが、人から言われずとも顔だと認識することができる。

こうした生物学的な意味での「イメージ」はものの外形の模倣ではなく、ある限定された、その場に適した様相の模倣である。~略~われわれの世界は構造化した世界であり、その力の主要な線はやはりわれわれの生物的、心理的必要性によって方向づけられ、型どられている――ただ、それらが多分に文化的影響の表層におおわれているということはあるだろう。
引用:E.H.ゴンブリッチ『棒馬 あるいは芸術形式の根源についての考察』P18

サーフィンという文化的影響におおわれているため、庭にあるプールを見たとき壁面のRに波を感じることができた。プールはRという曲面で構成されている壁面のRを抽象化して初めて波として把握される。サーファーは海ではなく都市に適した形で、サーフボードではなくスケートボードで波乗りをしようとした。それはサーフィンの様相の模倣であり、文化的影響が強ければ強いほど、その文化特有の概念でものをみようとする。社会一般的な日常生活の概念をもとに都市に生きているが、サーフィンを強く求めサーフィンの概念がそれらをおおったとき、都市に存在する人工物はいつもと違う顔を見せ始める。

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