『路上の言語』Skateboarding is not a Sport6

スケートボードで空を飛ぶというような、困難に立ち向かい成功させる原動力がルドゥスだ。

ルドゥス
ルドゥスはパイディアの補足であり、教育である。つまり、パイディアをしつけ、豊かにするものだ。それは訓練の機会をあたえ、ふつうは、特定の技を身につけさせ、特殊技能を獲得させることになる。~略~これはアゴンとは次の点で異なる。ルドゥスでは、遊戯者の精神の緊張と才能とが、競争とか対抗の明確な意識とは無縁のところで発揮されるという点である。すなわち、ルドゥスにおいては、戦う相手は障害物であって、一ないし数人の競争者ではないのだ。
引用:ロジェ・カイヨワ『遊びと人間』P71

ただ板に乗るだけのことから、試しに前輪/後輪を浮かせてみる(マニュアルと呼ばれるトリック)、デッキだけ180°回転させてみる(ショービット)というように、なにかやってみようというところから様々なトリックが想像の世界の中で生まれ現実のものとなってきた。自分との勝負なのか相手と戦うのか、という点でルドゥスはアゴンとは違うのだ。スケーターはスケートボードの上では常に平等でありアゴンのように他人と競争するものではないし、勝負ではないので勝者と敗者にはわかれない。メイクできたかできなかったか、勝負しているのは自分自身だ。

スケーターは自分から困難なことをやろうとする節がある。例えばカーブからアウトするとき、マニュアルからアウトするとき、身体の回転の流れに反した方向にアウトしようとする。難しいことをやったやつこそすごい、という価値観が根底にあるのだ。

アウトする話については、以下のことを想像してもらうとわかるだろう。その場で時計回りに360°回転するためにジャンプをする。着地した後すぐにまた時計回りに360°ジャンプする。この場合、一度目と二度目のジャンプは回転する方向が同じなので一度目の回転の力を殺さないようにすれば二度目の回転は無理なくできる。では二度目のジャンプを反時計回りにしたらどうだろう。着地後すぐに逆回転するのは無理が生じるので回転が足りなくなることがある。これを回避するために一度目のジャンプをする際、上半身だけを先行して回転させておき下半身は後からついてくるようにし上半身が惰性で開店するのを防ぐようにすると、二度目のジャンプをする際に一度目のジャンプの影響が少なく回転が不足する可能性は低くなる。half cab tailマニュアルのfront side 180 outなど、身体の回転の動きに無理が生じるトリックだ。

手先の器用さという面では、剣玉(※本文中は「拳玉」となっているが、誤植と思われる)、ディアボロ、ヨーヨーのたぐいの遊びを例に挙げる。これらの単純な道具は、初歩的な自然法則をよく利用する。たとえば、ヨーヨーの場合は、重力と回転運動の法則だ。つまり、直線的往復運動を連続回転運動に変えることが問題なのである。
引用:ロジェ・カイヨワ『遊びと人間』P71

ルドゥスとは前回述べたまだ名前のついていない遊びの段階から特徴を持った遊びになった次の段階でなされる、

故意に作りだされ恣意的に限定された困難――つまり、それをやりとげたからといって、解決しえたという内面的満足以外のいかなる利益ももたらさないような困難――を解決して味わう楽しみが、遊びの中に登場してくる。

この原動力となるものが、まさにルドゥスなのだ。
引用:ロジェ・カイヨワ『遊びと人間』P71

スケートボードとはここでいわれているような「内面的満足以外のいかなる利益ももたらさないような困難」を解決することで発展してきたわけだが、これはすべての遊びが辿る経緯であり、先ほど述べた回転の話もそうだ。オーリーが誕生しその後フラットでも飛べるようになったことで遊び方が格段に広がったわけだが、まっすぐ上に飛ぶだけでなく、回転して飛ぶ(180°)、後ろ向きに進みながら飛ぶ(フェイキー)、蹴り足/すり足を逆にして飛ぶ(スイッチ。右利きの人が左手でやってみるようなこと)などオーリーひとつとってもいろいろなバリエーションがある。オリンピックの種目に選ばれるほどにテクニカルで競技としてみることができるような「一つの側面」が成り立った背景には、「利益をもたらさないような困難」を克服してきた数多くの歴史がある。

また、パイディアと呼ばれる直接的で衝動的で「即興と歓喜とのこうした原初的な力」をうまいこと社会の中でやっていけるようにすることがルドゥスの役目でもある。

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