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白い鳥さんシャツ

こんばんは、MARUです。
ついに明日、自問自答ファッション教室に参加です!いえ~!👏

さて、3月の終わりに半袖の白いシャツを購入しました。以前月報で書いたヨウジヤマモトの「白い鳥さんシャツ」です。


・教室受講まで待てなかった

まもなく自問自答ファッション教室に参加するのですから、受講してコンセプトを確定してから服を買うのが本来の流れじゃないかなと思います。今回手に入れた「白い鳥さんシャツ」は一度は売り切れていたわけだし、夏の制服化は来年に持ち越すって手もありました。そもそも私は自問自答ファッションを始めてまだ3か月。開祖の?あきや先生曰く「制服が完成するのに3年はかかりますよ~」って話だったと思うので、1年目に制服が決まらなくても「こんな時期にもう売り切れるのか~」といった学びを来年に活かし、2年目、3年目にお洋服を揃えればOKなのです。

なのにしませんでした!
あれは私に着られるべき服であり、
私は「鳥さん」になりたかったの!←え?

・「自由になりたかった」の自由ってなんだろ

考えたら真っ黒の「燕さんシャツ」を買った時点で、鳥への憧れがあったんだと思います。自由に空を飛びまわって~みたいな。こんな言い方したら一気にチープな感じがしますが💦

私は動きやすいスニーカーを好んで履くし、両手がふさがるハンドバックは所有していません。人との約束は相手も自分も縛るようで苦手だし、仕事も頼まれごとを抱え続けるのがしんどいのでさっさと終わらせます。

しかしながら、自由=旅って連想はあるけれど、自分は旅人かと問われるとそうではない気がします。新しい場所へ冒険するのは好きですが、安心して同じところに定着したいです。スナフキンにはなれません。あ、スナフキンはムーミンたちがいるか。

では、私はどうなりたいと思って自由に憧れているんでしょうか。

・子供時代を取り戻しているだけでは

先日夫にコンセプト作りについて相談しました。エンターテイナーに憧れがあっただの、聖職者→フローリスト→猫ちゃんになりたい→挙句の果てには修行僧がしっくりきただの…(以下のリンクは思考過程です)

これらの過程を伝えると、最終的に夫は「MARUは修行僧ではない」と言いました。端からみて、自分の心地よさを優先するタイプだし、「子供の時にやれなかったことをやり直しているように見える」と。

※ここからは人によってはショッキングな内容を含みます。もし「読むのがキツイかも」と思ったら、最後までトばすと着画があるので見てみてね☆

あと、いつか消すかもしれない💦




・地域が混沌としていた

家庭環境がきつかった話はチラチラしてきましたが、実は私の育った地域はもっと混沌としていました。小学生の頃、校内のトイレットペーパーが船の出立時のごとく校庭に投げ出こまれる事件はザラにあったし(ファンキーですよね)、窓ガラスを割る奴もいれば、廊下ですれ違いざまに一度も話したことのない上級生から「挨拶せえや!」と難癖つけられることもしばしばでした。昼食時にランチルームで一緒になった同級生から「お兄ちゃんの友達にま〇された」と告白されたこともあり、数年後、その子が妊娠してしまって田舎のお祖母ちゃんのところに引っ越したと風の噂で聞いたとき、大人たちに黙っていた自分が物凄く罪深い気がして怖かったです。物がなくなることもザラで、当時流行っていたコンバースの赤い靴は学校の靴箱に入れると即座に盗まれていたようです。まさしく、性と暴力、貧困が渦巻く地域でした。どこもそうなの?💦ニホンオワタ

・学校通うだけでヘトヘト

学校に行くだけで神経をすり減らし、帰ったらとにかく泥のように寝てました。帰宅したらしたで、母親からヒステリックに怒鳴られる日々。布団の中だけが安全地帯でした。だから自分が心惹かれることをする余裕とかありませんでした。それこそ、趣味的なことは修行僧のごとく何かにとりつかれたように打ち込むといった感じであり、心の底から楽しいと思って従事したことがありません。「逃れられないから、いっそ閉じこもる」、そういった心境でしょうか。

・生きてるのに必死だった

ファッションに関して言えば、周りはおろか自分がどんな服を着てたかなんて覚えてません。それどころじゃなかった。私を取り巻く世界は、⓵公営住宅を中心とした複雑な家庭の層と、⓶大企業の社宅住まい…いわゆる中流階級以上の層、③昔から長く住んでる地元の人たちで概ね構成されていました。おそらく社宅層はオシャレが好きそうな子もいましたからブランド服を着てる子だっていたはずでした。対照的に、同じクラスには何日も洗濯されない服を着て臭う子もいたのです。

ちなみに私は3世代前からその土地に住まう地元民の1人であり、食うには困っていませんでしたが社宅層や公営住宅層らの出来上がった人間関係に入ることは非常に難しかったです。さらに今になって思えば発達がグレーゾーンで空気が読めなかったことや愛着障害も加わり、対人面は困難を極めていました💦要するにクラスに馴染めていませんでした。アラマア…

・もし地元をさっさと出られていたら

その中でも、能力が高く親に財力がある子供たちは、中学受験をしてさっさと地域の外に出ていきました。現在はそういったお子さんが増えているかもしれませんね。私の10歳年下の従妹も親が裕福で知的に高く、その子の場合は安定した地域で育ちましたが、中学受験をしてイイ学校に行き、イイ友人と出会い、情緒は安定していて創作意欲も高く芸大を出て、今は企画系のお仕事をして東京に暮らしています。私にはそのような人生はありえませんでした。ウマレモソダチモヒトソレゾレダヨネ

余談ですが、私も中3の成績だけは底辺中学の学年1位をキープし、高校は進学校に逃れました。この地元の進学校は代々母方家系の母校でもあり、「そこに進学できるのが当たり前でしょ」って流れもありました。でも高校に入ってから力尽き、ギリギリの成績で単位を取得。2科目試験の公募推薦<内申点関係なし>で家から通える範囲の私立大に行き、家から通える職場に就職しました←在学中に創作活動をしていて、プロになって上京したいと企んでいましたが成功しませんでした。ザンネンダッタネ

・再び、自由とは

自由とはなんでしょうか?私は従妹のように、やろうと思えばいつだってその地域から抜け出せる可能性が欲しかったです。具体的に~をしたいとか、~に行きたいとかそれ以前の問題なんですね。

中学の時、日々の生活があまりにも苦しく、父方の祖母のところで暮らしたいと親に訴えたことがありました。父方の実家は四国の田舎で農家をしていて、とっても大らかな家でした。でも母親から即座に却下され、願いが祖母に届くことすらありませんでした。ほんとに四国で暮らせなくても「いつでも来ていい」ってことなら、どんなに楽だったか。当時は辛すぎて腕切ったり、同じく不安定な子とつるんで宜しくない行為に及んだり、学校から逃げ出して見ず知らずのトラックの荷台に乗り込んだこともありましたが、未成年の私には根本的にそこから抜け出すチャンスがありませんでした。逃げ場がなかった。だから上記のように頑張ったり力尽きたり頑張ったりを繰り返したけど、成功しなかった。

・白い鳥さんシャツに願うこと

白い鳥さんシャツは、羽があるからいつでも飛べるはずで、真っ白だから何色にも染められるはずで、自由の可能性を秘めています。そう、私が欲しかったのは「自由への可能性」なのです。そして、大人になった私は親や環境に頼らずに自分でそれを叶える責任があると思うんです。

上記のダメダメ話の後日談ですが、社会人をした後にもう一度学生をして、四国で一人暮らしをしてみました(あの日の夢がかなったね)!修了後は資格とって仕事して自活した!ガンバッタネ!でも適応障害で倒れてまた実家戻って…アララ…羽ばたくどころか、ジャンプしては墜落し、またジャンプしては墜落し…の人生であります。ペンギンか?
※今は地元を出て自分の家庭を持ち、元気にライスワークに従事してます。

長々と書きましたが、「自由になりたい」とか言いつつ、大人になった自分はもう既に自由であるという事を理解しています。頭では分かっちゃいるけど…って感じですかね。

・おわりに

めっちゃ個人的なことを語り尽くしました。ここまで読んでくださった方、有難うございました。もうこれ以上は出てこない!出し切った!!!

今は脳疲労でめちゃくちゃ眠いです。今夜はいっぱい寝て、元気いっぱいで当日を迎えたいと思います!→2024.4.6受講しました。

白い鳥さんシャツだよ~!

※タイトリル画はiPadで描きました。

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