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がん発覚→手術までのメンタル変遷 ①ショック期【甲状腺乳頭がん】

2023年10月に甲状腺乳頭がんを告知された私。2024年1月の手術までをどう過ごしたか、まずメンタル面の変遷について書いていきたいと思う。

▼自身の簡単なプロフィールも含めた、がん告知の初回記事はこちら

手術までのメンタル面は、大きく分けると4つあったように思う。

①突然がんと告知された【ショック期】
(10/18告知~10月末:約10日)

②自分にできることを【がんばる期】
(11月いっぱい:約1カ月)

③治療法に納得して備える【前向き期】
(12月前半:約半月)

④年末の風邪、焦る【直前の不安期】
(12月後半~手術まで:約1カ月)

この記事では、①【ショック期】で頭に浮かんだことを書いていく。もちろん私の主観なので、医学的・倫理的に正しくないこともある旨をご了解いただきたい。


たった1日で「がん患者」爆誕

がんと言われて、めちゃくちゃ落ち込んだ。落ち込んだのだが、別に自覚症状はない。
 
私はがん患者。昨日までは、まったくなかった事実。でも昨日だって、体の中にはがんがあったんよね。
 
なんかこの、昨日と今日、もっと言えばさっきと今で、自分は何も変わらないのに、自分を取り巻く状況がこんなにも変わってしまったことに感覚の不確かさというか、めまいのようなものを覚えた。
 
「がん患者」なんて、たった1日で爆誕してしまうのだ。

「がん」という2文字の呪縛

がんを告げられた診察室で、私が医師から受けた病気の特徴や治療スケジュールは、以下の記事を参照してほしい。

どうやら、今回のがんで命が危機に瀕することはなさそうだ。それはまず一安心。ただ、自分が「がん」であるということの衝撃は思った以上だった。告知後2日ほどは、ずっとおなかが痛く、食欲もなかった。

いまや「がんは2人に1人が罹患する」時代であることは、知識として知っている。

若年女性のリスクである乳がん・子宮がんの健診を毎年受け、血液検査の異常もない。特別がん家系というわけでもないので、自分ががんになるとしたら、60歳前後かなと思っていた。

それが、40代前半でがんとわかるなんて。

前の記事にも書いたとおり、きわめて進行の遅い甲状腺乳頭がんは、命に関わることはほとんどない。

がんでなくても、もっと怖い病気がたくさんあることは頭ではわかっているけれど、「がん」という2文字はものすごいパワーワードだ。ショックの淵に引きずり込まれた。

しかし不思議なことに、がんが発覚した人がよく言う「何かの間違いではないか」とは思わなかった。なぜか、自分ががんであることを普通に信じられた(受け入れられたわけじゃないけど)。

寿命が短くなるかもしれない

先生の口ぶりからも、今回の甲状腺がんの摘出手術はうまくいくような気がした。

ただすぐに気になったのは、私は結局、がんができやすい体質ではないかということ。

だから甲状腺がんは切除できても、また10年後などに別の場所にがんができて、そっちでは「5年生存率が50%」とか言われるのかも。

なんとなく80年くらいは生きるかな、と漠然と考えていた寿命が、55年や60年になってしまうかもしれないな、と思った。

その後、いろいろ調べたところによると、がんができるのは体質よりも偶発性によるもののほうが大きいらしく、現代の医学では「がんになりやすい体質」というのが明確にあるわけではないそうだ。

ただ「西洋科学で証明されていないこと=無いこと、間違い」でもないので、その可能性も踏まえて生きなければとは思う。

私ってかわいそう

初回記事に書いたが、私は自律神経失調により、一般の同世代の人たちより疲れやすい体質だ。

そのため、正社員として月~金のフルタイム勤務が難しく、どうしても収入が少なくなる。仕事の受注量も多くなり過ぎないようにしているため、恥ずかしながら年収は300万円を下回る。

生活はいつもカツカツ。職業=ライターでなく、サイクルショップです!と言おうかと思うくらい(自転車操業、って意味ねw)。

そして、これは完全に私自身の問題だが、結婚して子どもを持ちたいのに、今のところ人生のパートナーを見つけられていない。

つまり「男なし」「子なし」「金なし」の三重苦である。いや「体力なし」の四重苦か(笑)。

ここで「今の時代、結婚しなくても」とか言ってくれる人もいるが、社会の価値観ではなくて、私自身が結婚や出産を望んでいて達成できていないという意味で、スペック的には残念である。

そんな私だが、今の友人や仕事関係者には恵まれており、とても幸せを感じている。

今の仕事につながったご縁もなかなかミラクルだったりして、「私は他の人にはない何かを持っている」という自負もあり、自己肯定感はけっこう高い。

でもその幸せは「ないものを見ずに、今ある小さな幸せを愛でる」ように、長年かけて自分を変えてきたからだ。10代、20代のころは自分の体調や、周りと同じように動けないことににいら立ち、嘆き、泣きまくっていた。

同世代の大半の人が経験している結婚・子育てができていなくて、本当は寂しいけれど、ちょっと無理して我慢して、笑顔を心がけて小さな幸せに目を向けてるのに、

同世代の大半の人がまだ経験していない「がん罹患」を、なんで私が経験するわけ?四重苦なぶん、ほかで楽させてくれてもええやんか!

あ、ここで「生まれたときから障害が」とか「難病で」と、もっと大変な状況にある人のことを持ち出さないでね、「ごく普通」を生きたい私の主観の問題なので。

私ってかわいそう。
これが、偽らざる気持ちである。

でも、私は持っている

その一方で「やっぱり私、持ってるわ」とも思った。
初回記事に書いたように、自覚症状がなかったのに、他の検査から偶然がんが見つかったからだ。

しかも、脳のMRI検査結果で私が先生に食い下がらなければ、絶対に見つからなかった。

それが見つかったのは、やっぱり「私が持ってるからや」と素直に思ったし、「持ってるわ」と「ショック」が波のように、交互に顔を出したり引っ込んだりしていた。

3カ月進行しないって、ほんま?

あと「進行が遅いから手術まで3カ月空いても大丈夫」というのも不安だった。先生の説明を疑っているわけではない。一般的にはそうなのだろう。

でも、何事も100%はあり得ないし、がんを告知されて頭がパニクってる状態では「私は特殊な、進行するパターンかもしれない」と思ってしまうのだ。

それに、もとからちょっとした変化で体調を崩しやすい私のこと。がん由来の不調はなくても、自分ががんだとわかったショックとストレスにより、体調を崩す可能性が高いなと思った。

ありがたかった取引先

とにかく、がんを告知されて初めの10日ほどは、ショックで平静を保つのが難しかった。外向きには保っていたが、厳しかった。

具体的には、仕事をしてるときや、誰かと話しているときは大丈夫だが、1人になったとき……たとえば洗面所にいるときなどに、自分の命について、あまり良くないことが頭に浮かんでしまっていた。

レギュラーの取引先には告知1週間後に会議室で面と向かって伝えたが、やはり泣いてしまった。

取引先にも恵まれており、フリーランスなのに「切る」ではなく当然のように「休む」前提で話を進めてくれた。

しかも上記のように「人としゃべってると大丈夫だが、1人になるとつらい」と話すと、「うちの仕事は気分転換やと思ってくれたらいいから」とまで言ってくれた。

つらいときは、人の優しさも感じやすいときなのだ。

母より先に死ねない

私自身の「気の持ちよう」には、まったく自信がなかった。でも「親より先に死にたくない!絶対に見送る!」という気持ちだけは、固く持つことができた。
 
わが家は両親、私と弟の4人家族だが、父は10年以上前に他界している。そして私だけでなく弟も独身のため、「親に結婚式や孫の顔を見せる」という、別にそんなに高望みだとも思わない親孝行さえできていない。
 
そのうえ娘に先立たれたら、母親がかわいそうすぎる。だから母のために、絶対に生きるぞ!と思う。

いや、死なないんやけどね。
いくら客観的データで死なないと言われても、がんと言われた直後は死を連想してしまう。

調べるのは【ショック期】を過ぎてから

この単なる自分語りの記事が、誰かの役に立つかもしれないとしたらこの部分しかない。

ショックに打ちひしがれた日々であったが、次にやるべきことは、意外とはっきり見えていた。

まずは病気について調べ、知識をつけることだ。

さすがに甲状腺がんになるとは思っていなかったが、乳がん・子宮頸がんに罹患する可能性はじゅうぶんあると思っていたので、若年層のがん経験者の記事には、ときどき目を通していた。

その当事者の誰もが、主体的に治療法を選択している姿が印象的だった。

とくに、日本テレビ記者で社会人3年目に乳がんが発覚した鈴木美穂さんは、自分が乳がんと診断されたときは「セカンドオピニオンならぬセブンス(7th)オピニオンまで取った」とのこと。

今はもう「何もかもお医者さんの言う通り」の時代じゃない。お医者さんガチャの犠牲になるのもいや。

だから私も漠然と、自分ががんになったら、ちゃんと病気のことを調べて納得して治療に取り組みたい。セカンドオピニオンも取りたいと思っていた。

だから、まずは甲状腺乳頭がんについて勉強しなきゃ。

でも、がんの情報は玉石混交。よかれと思って発信された情報が、医学的に信頼性が低かった、なんてものも多い。

また調べた結果、先生から聞いたよりも予後(病気にかかってからの経過と結果)が良くないという情報を見たら、さらに混乱してしまうだろう。

今はまだ自分がパニクってるから、情報収集は落ち着いてからにしよう。そう思って、初めは落ち込むことに専念した。

病気のこと、いろいろ調べたりネット検索するのは、自分の状態が落ち着くまでガマン。ここ、テスト出るで!!

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▼前回の記事はこちら


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