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ロコたろうと雪

 寒波、襲来中ですね・・・。少しピークは過ぎたのでしょうか? 
 北陸にある私の実家からも、うっすら積もった様子と、次の日には○cmと計測できるぐらいには積もっている様子が送られてきました。また今回は、私のきょうだいが住んでいるところも結構積もったとかで、こちらからも動画が(ここまで、クリスマス時点)。
 
 私が住まうところはチラついた程度で終わりました。それでも「きゃ~、雪が降ってる~!」と大はしゃぎしてしまうぐらい、雪慣れしていない場所です。

雪国生まれ

雪は友達

 冒頭の通り、私の実家は北陸です。実家の所在地のとおり、私は雪国での生活経験があります。といっても・・・、小学生のうちまで。早朝から屋根の雪下ろしが大変だ、ガレージ前の雪かきが大変だ、というのは、ごめんなさい、よくわかっていません。母がママさんダンプで雪かきしている横で、プラスチックの雪かき用スコップで、手伝いと言うのか、遊んでいたのか、というぐらい。
 そこそこ大きな道であれば消雪装置が働いていたので、雪かきの必要はあまりなく(ただし、大量の水が流れることになり、雪でなくても防水の長靴が必須ではありました)。
 また、たまたま、「積もってもそんなにたくさん積もることがなかった」ため、徒歩での通学もそんなに苦労することはなかったです。たぶん、いちばん積もったときでも、一段高くなった歩道上に除雪された雪(以下、雪壁とします)が、今の私の身長ぐらい。
 
 え? これでも多いですか? 雪国だと、私の身長が仮に150cmぐらいとしても、少ないほうです。歩道上にはあっても車道上には雪がなかったり、あっても少なかったりだったので、通学の時は車道を歩くよう指導されていました。
 まあそう言われても、雪壁の上を歩くのが、子どもってもんです。行きは集団でなので歩道上は歩けなかったけれど、帰りは雪壁の上を歩いて。いけないと思いつつも前に誰かが通ったんだろう、わだちができていて、しっかり踏み固められているので、それを伝っていけば雪に埋もれることなくさくさく歩けました。
 危ない理由としては、雪壁で新雪の部分を踏み抜いてしまったときに埋もれてしまう、あるいは踏み抜いた先に何があるかわからない、というものがあるでしょうか。
 雪に埋もれてしまったら、抜けられないんですよ。よく、体全部が埋まるまではいかないけれど、片脚が膝ぐらいまで埋まってしまう、ということがありました。一生懸命自力で脚を引っ張って抜こうとするのだけど、びくとも動かない。本当に動かない。だから、仕方なく長靴だけを残して脚を抜き、手で雪をかきわけて残った長靴を引き抜く。この間、先に抜いた片方の足は靴下の状態で雪面につくしかなく(片脚立ちで耐えられないぐらいの時間がかかるため)、雪を素手で、そうでなく手袋越しでもびしょびしょになって真っ赤にかじかむ。手も足もびしょびしょで、ジンジンとしびれるように冷たい。という、大変な事態を招くことになります。
 それでも、また、雪壁の上を歩くのですけどね(汗)。

途中のパーキングエリア。除雪車スタンバイは、当たり前のように見かけてた。

雪は友達・2

 前後しますが、もっと小さいころには、公式に名前が残っていないものも含めて、後々に豪雪として名前がつくぐらい雪がたくさん降った年もありました。
 そうすると、屋根の上に積もった雪が、傾斜のついた屋根を伝って、屋根の下に落ちる。その落ちた雪が積もりに積もって雪壁をつくる、ということもあります。だから、雪の多い地域では、木や屋根の真下にいるのは、非常に危険です。自分に雪が落ちてきて、さらに上記のように雪に抜けられなくなる、という経緯がありますのでね。

 ただ、この雪も、利用しようと思えば利用できるもの。
 雪が小止みになったときを狙って、屋根の雪をあらかじめすべて落としておき、雪壁をきれいに斜めにならして、周りもしっかり踏み固めたり階段をつくって、父がすべり台を作ってくれたり。
 また、雪かきの過程で山になるよう積み上げて固め、雪像や小さなカマクラをつくってもらったり。もちろん、雪だるま、雪合戦も。
 寒い中なのに、父が汗だくになっていました。
 大人の立場としては大変だったのだろうとは思います。が、私にはこういった楽しい思い出のほうが強いので、だから、「雪は友達」としか思えないのです。

今私が住まうところだと大雪。北陸では「こんなの積もったうちに入らん」

雪は友達・3

 もうひとつ、「雪は友達」と言える理由があります。小学校のころにスキーを覚えたことでした。小学校でスキー授業があるため、板からウエアから小道具にいたるまで、すべて一揃い持っていました。それまでやったことがあるスキーは、プラスチックの小さな板で、長靴に直接くくりつけるもの。それが、足はスキーブーツで固定され、歩くのもままならない。自分の身長よりも長い板を操るのも面倒で、直滑降ですべってみたはいいものの、止まれなくて新雪部分に突っ込む。
 周囲はスイスイと、スッスッとかっこよくすべっている人。こんなののどこが楽しいんだと思う自分。
 回数を重ねるごとにコツをつかみ、とりあえず、プルークボーゲン(板をカタカナのハにして自在に曲がることができる)までは、覚えることができました。
 
 スキーは、運動全般が苦手な私にとって、唯一「得意」と言えるスポーツでした。ボーゲン程度じゃ得意とは言えないよ、という指摘もあるかと思いますが、何かと運動ができない私にマウントを取ってくるクラスメイトがいて、実際その子は市の陸上大会でも入賞するぐらいの運動神経はあったんですが、スキーだけは、クラスわけのときにはいつもその子よりも上のクラスだったので・・・。もう8年ぐらい? 行っていないので過信はいけませんが、今でも「初心者向けゲレンデであれば、いきなりゲレンデに落とされてもひとりでリフトに乗ってすべりおりてくるぐらい」は、できると思います。そのうえで、調子がよければシュテムターンにも挑戦しているぐらいです。

冬支度・景色のひとつ「菰巻き」。
雪つりも含めて、雪国の風景を知らずに育ってきた相方、「これ、何?」

雪国を離れて○年

雪が友達じゃなくなった

 とりあえずシュテムターンを覚え始めたところで、私の雪国生活は終わり。父の転勤で、冬にはあまり雪が降らない地域へ引っ越しました。冬に晴れていることが(最初は)新鮮だった生活にもすっかり慣れてしまい、今はたくさん雪が積もっているのは、スキーに行ったときか、雪の多い地域の様子をテレビや実家から送られてくる画像等で知るしか方法がなくなりました。しょっちゅう行っていたスキーも、1年に1回、泊まりがけで行ければいいぐらい。それまでの毎週のように日帰りで行っていたのから大幅に変わってしまい、ウエアや板も、今はそのつどレンタルしています。
 雪が友達でなくなってからしばらくは、それでもまだ「雪が降らないなりには降る」地域に住んでいたので、シーズン1回ぐらい積雪が翌日に残ることもありました。とはいえ、雪が毎日あるのが当たり前ではなく、降ったら降ったで、翌日幹線道路で大渋滞しているのを横目に、「あ~あ、雪慣れしてないからぁ」と思いながら、いつもは自転車で向かう駅までの道を歩いていたり。ニュースで、途中ブレーキが利かずに止まりきれない車の様子を見ては、「ほ~ら、ノーマルタイヤなんかでいるからぁ」と言ってみたり・・・。そのぐらいの余裕(という名の、マウントですね、今思えば)はありました。
 
 さらに引越しを重ね、今では雪が降るほうが珍しい、積雪なんかもっと珍しい場所に住まうようになり、雪国生活も、人生の1/3・・・、ん? ぐらいになりました。実家に帰ったときに、子ども相手に信号が縦長な理由だったり、道路の中心付近の丸いところを指差して、「さて、これは何でしょう?」尋ねて答える、ぐらいはできますが(答えは消雪装置)、雪のある中で生活をしろ、となると、「友達だったときの記憶」が勝っているので・・・。

荒れ狂う日本海。冬あるある。

でも、雪には触れたい・触れさせたい

なかなかない貴重な体験

 雪が関係してくるため、帰省時は電車での移動が主な我が家は、冬(年末年始)は、元から私の実家への帰省は避け、相方実家への帰省をメインにしていました。
 一度仕事の関係で、また相方も日程の都合上無理で、当時1歳半だった上の子を連れて、12月半ばに実家に帰省したことがあります。ところがそのとき運悪く冬型の気圧配置とぶつかり、そうなると、北陸方面の特急がルート変更のため遅延。乗り継ぎ予定の電車にうまく乗り継げず、いつもよりも大幅に時間がかかってしまいました。今はそのとき1歳半だった子も、ある程度聞き分けはできる年齢になりましたが、あのときにはいなかった子が、もう1人。こちらはまだ、聞き分けうんぬんはちょっと大変そう。あのときはルート変更してまだたどり着いてくれたからよかったものの、途中で運転打ち切りなんていうことも、もしかしたらあるかもしれません。そうなったときには? と考えると、北陸への冬の帰省は、もう少し自分で余裕がもてるようになってから、下の子がもうちょっと聞き分けができる年齢になってからかな、と考えています。 
 
 考えているものの結局は行かなかった、というパターンだけは避けたくて。
 何より、関西(の瀬戸内側)では体験しにくい、「雪」という天然資源が、北陸にはあります。親のエゴかもしれませんが、かつての私が「雪は友達」と思っていたように、子どもにも、雪遊びを体験させたいなと思うためです。
 子どもには、雪がつもったらほぼ確実に送られてくる母からの画像を見せていますが、やはり画像で見るのと実際に触れるのとでは、印象がまったく異なるでしょう。日本は世界基準で見たら小さな国だけど、その小さな中でもこんなに気候が変わるんだということの体感にもなります。口で伝え聞いたり資料を読んだりするよりも、体感することのほうが、何倍も記憶に残ることでしょう。
 そう思うと、リスクは大きいですが、そう遠くないうちに、冬の北陸への帰省もしたいなと、考えています。
 そのときには、今のように「新型ウィルスが・・・」と言わず、何のためらいもなく旅行できるようになっていれば、さらにいいですね☆

荒れ狂う海を眺める、当時の私。
寒さの質も雪のないところとあるところとでは異なる。あれだけ嫌いだった「雪国の芯からジンジン冷える寒さ」が、今ではとても懐かしい。

補則

 今回使用した写真は、○年前、まだ挙式前に相方とともに珍しく冬に北陸に行ったときのものです。両親が今の実家に移ってすぐぐらいかなぁ・・・。このときも仕事を兼ねての帰省でした。

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