ゲーム好きな人こそ「クソゲー」をやるべき!と強く思うという話
皆さんは「クソゲー」を自ら進んで遊んだことがあるだろうか?
まぁほとんどの人が「ない」と言うであろう。
それはそうだ。つまらないとわかっている進んでゲームを買う人なんぞ、そうはいない。
だが私は数多くのゲームを遊ぶようなゲーマーこそ「クソゲー」をやるべきだと思う。
もしメジャーどころや良作と呼ばれているゲームだけしか遊んだことがないという人がいるならば特にだ。
なぜ私がそう思うのか。その理由を説明しよう。
なおこの記事で使われている画像は、全て私がニンテンドースイッチで実際に購入しプレイしたゲームの中で「クソゲー」だと思ったゲームの画像である。参考にどうぞ。
理由1:自分のクソゲーハードルを下げる
まず私は「世の中にはこんなにもひどいゲームがあるのか」ということをもっと知られるべきだと私は思っている。
こういうことを言うと「そこまで言って制作者に申し訳ないと思わないの?」という人がたまにいるが、
こっちとしては「こんな状態でゲームを販売して、お金出して遊んでもらう人に申し訳ないと思わないの?」レベルなので、私は全く思わない。
むしろそんな人にこそ「酷すぎる」レベルのクソゲーを遊んでほしい。
「井の中の蛙大海を知らず」
という言葉があるように、いろんなゲームをやるというゲーマーだからこそクソゲーも知ってみるべきだと思う。
そうすると多少のクソ要素でも「まぁアレよりはましだな・・」と思うことができるだろう。いわば病気に備えて常備薬を買うようなものだ。
それは少なからず今後のゲーム人生にプラスになる要素だ。
理由2:なにがクソなのかを認識する
実際に「クソゲー」に出会ったらぜひ考えてほしいことがある。
それは「そのゲームがどうクソなのか」である。そしてできればそれをTwitterでもnoteでもなんでもいいので、文章で書き出してみてほしい。
なぜ考えてほしいのかというと、自分が嫌だと思うことがわかるからである。「こういうことが私は嫌なんだ」ということを知る機会なんぞ早々ないだろう。
そして逆に言えば「こういう要素があると私は気に入るんだな」ということも知ることができる。これは良いゲームだけ遊んでいるとわからないことだ。ある意味自分探しである。
ちなみに私は「手を抜いているのが容易に見えるゲーム」がすごく嫌である。
特にローカライズが酷いものは容易に手抜きが見えるのでかなりキツイ。直訳過ぎるものや、訳した結果文字数が増えたためにウィンドウサイズに入りきらず、結果見た目が悪化しているものなど「とりあえず翻訳しました」というのはかなりゲンナリする。
これはおそらく私自身も何かしらのクリエイターだからだろう。手抜きなゲームを出して恥ずかしいと思わないのか非常に不思議である。
そして逆に私は「こだわりが見えるゲーム」はかなり気に入ることが多い。
オマージュ元の操作感をだそうと頑張っているものや、複雑ながらもゲームの肝となっている要素などはかなり好きだ。
私がスルメゲーと呼ばれるものにハマることが多いのは、このためかなと思っている。
理由3:今後良いゲームに出会うことができる
理由1でクソゲーのハードルが下がり、理由2で自分の好きなこと嫌いなことが明確化した。するとどうなるか?
自分のゲーム体験の視野が広がるのである。
これまで遊んだことがあるゲームの好きなポイントがよりわかるようになるだろうし、今後遊ぶゲームにたいして
さらに「このゲームいい!」とか「このゲーム酷い!」という感情論な意見ではなく「なにが良いのか」「なにが酷いのか」を明確に説明することができて説得力も増すだろう。
また初見のゲームにたいして「これは自分に合わなさそうだな」という感覚も鍛えることができると思っている。
もっと色々ゲームを遊ぼう!
まぁ正直なところこじつけ気味な理由であるが、私が言いたいことは
「もっと皆いろんなゲームを買って遊ぼうぜ!そして語ろうぜ!」
である。
実際、もっとゲームについて語る人が増えてほしいと思っている。
特に一方はクソだといい、一方は神だという意見の食い違いは見てみたい。
そこには相手をけなすような意図はなく、ただ純粋にそのゲームについて語り合うのをぜひともやってみたい。
いろんな意見をぶつけ合ってみたいものだ。
面白かったゲームで熱く語って、クソなゲームは語って笑いに消化する。
ともに楽しいゲーム人生を送ろうではないか。
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