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トーキョーまで0.8光年 【にょろにょろ島根編】序の4

[2017/01/29以降無料公開予定 400字原稿換算約10枚]

     *

 そうではない、そうではない。

 勝利は目指すべきモノであれど、その目的は支配などではない。

 何故ソレが判らぬのか。戦い殺し合い、討ち取った骸を食すことに意味があるのだ。

 横臥して口を開けて餌が転がり込むのを待つだけとは、なんとも浅ましい姿か。

 そうじゃ、それではまさに餌じゃ。そのような腑抜けどもに何故私が従わねばならぬ。

 加賀の和香(やすか)がそう主張し、巣の中で孤立したのはいつの頃だっただろうか。

 浅ましい、腑抜けと罵ったモノどもが和香より力をつけ、彼女は巣を追放された。

 構うものかと粋がっていたが、彼らの縄張り意識は強い。

 獲物である人と戦うより、同族との争いに明け暮れる日々となった。

 鹿や熊はいくらでもいて、彼女の腹を満たしてくれたが、彼女の舌を満足させる人を狩ろうとすると同族の邪魔が入る。

 同族の争いなので、手痛い怪我負っても命の危険はなかったが、多勢に無勢、結局獲物は横取りされ腹が減るだけの不毛の戦いになった。

 ある朝、同族ではなく呪師(のろんじ)が、彼女の前に立ちふさがった。

 彼女は狂喜した。殺し合いを楽しみ、打ち勝ち、赤い血と青黒い大黒札を撒き散らして死んだ、その骸を丸呑みにする。

 呪師を雇い、生き残ることに最後の希望を賭けた人々は逃げることさえ諦め和香の食事を見つめるしかかなった。

 愉悦。

 人々は直接戦ったわけではない。だが、呪師を使い抗おうとした。

 もはや無抵抗ではあるが、最初から無抵抗の餌とはわけが違う。

 抵抗の意気を挫いたのは自分である。彼らは食すに値する。

 絶望に沈む人々を食らおうとした、まさにその時、またしても同族が彼女の前に現れた。

 

 泳がされていただけなのだ。

 面倒な呪師潰しをやらされただけだ。それはまあいい。ならば呪師を喰らう前、呪師の息の根を止めた時点で現れればいいではないか。

 しばらく人を食ってないのであろう。ならば呪師の骸ぐらい恵んでやろうという嘲りが透けて見える。

 加賀の和香は激昂し、同族を一匹殺した。

 他の同族も激昂し、和香は辛うじて逃げ出した。

 不思議と同族を殺した後悔はなかったが、もうこの地に居ることはできない。

 彼女は、あらずの川を渡る決心をした。

 あらずの川。地と地と分ける八百万(やおよろず)の川。黄金であり、深紅、銀白色であり無色である水の流れる川。すべての海を合わせたよりも遙かに多くの水をたたえ、山などに源流を持たぬ有り得ぬ川。

 東の志都(しず)川を渡るのは危険だった。渡るなら、西の浮布(うきぬ)川だ。

 そして和香は、あらずの川に浸かった。

 ゆっくりと、夕焼けの赤を写す水面を彼女は行く。対岸の見えるような川ではない。

 その身をくゆらせ泳ぐ。水温がどこまでも体温に近いので普通の川を泳ぐのとはまったく異質な感触だった。

 やがて天から太陽は消え、月も消えたが光はあった。時間の感覚はとうに消えていた。

 だが、それでも、あらずの川は川であった。

 浅瀬があり、水草があり、魚が泳ぐ。

 和香がどれほど進んだか、やがて彼女の目に対岸が映った。

 遙か彼方、視界が届くよりも遙か遠くに見えるという矛盾があったが、今更驚きはしない。

 対岸には一件の古い民家があった。時折人のつがいも見える。

 ついに見いだした目的地に彼女は喜ぶ。

 どこまでも対岸は遠かったが、彼女の執念深さの前では意味をなさない。彼女は泳ぎ続ける。

 ある時、彼女はあらずの川を流れるモノを見た。

 川の上流から小さな黒いモノがやってくる。

 それがカラスであると判り、彼女は興味を失いかけた。

 カラスの死体が流れてきた、それだけのことだ。

 ところがそうではなかった。カラスは動いている。カラスは生きている。

 あろうことかカラスは泳いでいたのだ。

 バカバカしさに彼女は大声を上げて笑い、川の中州に登る。

 泳ぐカラスを見物するのも一興だ。

 泳ぐカラスはやがて和香の前に辿り着く。

「こんな所でお目にかかるとは珍しいですね、お嬢さん」

 鳥は鳥である。水鳥の真似事の泳ぎ方ならまだ判った。

 だがカラスは人が泳ぐように、水面からヒョイと頭だけを出している。しかも礼儀正しいようだ。

「泳ぐカラスなど初めて見たわい」

「泳いでるところを見られたのは初めてですよ」

 そう言ってカラスは口をつぐんだ。

 和香はカラスの表情など読めない。沈黙の意味を考えたが答えはでない。

 カラスは口を開く。

「あぁ、そういうことですか。ならばこれも何かの縁でございましょう」

 どういう意味か? 疑問に思う和香の表情をカラスは読めるようであった。

「いえ、なに。深い意味はありません。よろしければ贈り物をしたいと考えますが。御着物などでよろしいでしょうか」

 和香は笑う。

「蛇に着物を着せてどうしようというのじゃ」

「蛇? 私の目にはあなたは渡影(とかげ)に見えますが」

 カラスに言われて、始めて和香は自分に手と足が生えていることに気がついた。蛇に手足が付けばトカゲと言うしかない。

「これはいったい!」

「なあに、ここはあらずの川です。些細な変化ですよ」

 さほど困ることでないのは確かである。使い方に戸惑うかと思ったが、カラスに指摘されて手足に気がついたぐらいだ。無意識のうちにちゃんと使えている。

「御着物と言いましても浴衣みたいなものですが」

 そう言い、カラスはチャポンと音を立てて水の中に潜った。

 少し間を置き、水面に姿を現したカラスのくちばしには布がくわえられていた。

 布を引きずりながらカラスも中州に上がり、着物を広げる。

 白地に赤い花をあしらった図柄だが、和香にはなんの花か判らなかった。

 しかし悪い感じはしない。彼女は身をくねらせ、器用に着物の袖に手を通す。

 帯も何もなく浴衣を羽織っただけだ。

「人の真似をして何が面白いかと思ったが、これはこれで」

「喜んでいただけて幸いです。では先を急ぎますので失礼いたします。御武運を」

 言い残し、カラスは再び泳ぎ出す。

 ぐるぐる回りながら着心地を確かめていた和香は、カラスの挨拶など気にもとめなかった。

 着物の珍しさにも慣れ、和香も再び、あらずの川に身を浸す。

 浴衣を羽織った白いトカゲは泳ぎだした。

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