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トーキョーまで0.8光年 【にょろにょろ島根編】序の2

[2017/01/15以降無料公開予定 400字原稿換算約9枚]

   *

 環(たまき)が舞う田んぼの側には古い民家があった。

 その民家の縁側に座り、環の舞を見物する二人の若い夫婦がいた。環へ今回の仕事を依頼したのは彼らだ。

 妻の方は愛想よく、環の舞を見ているが、夫の方はむっすりとした表情だった。

 旦那の愛想が悪いのは元かららしく、別に怒っているのではないと何回も説明されている。

 妻がにこにこ笑いながら言った。

「あら、いくら巫女さんとはいえ若すぎるんじゃないかと思ったけど、たまちゃん、なかなか上手に舞ってくれてるじゃない」

 縁側に座るのはこの二人。あとは環のリュックと、同じく彼女の私物である赤いミリタリーキャップが置かれている。

 キャップのフロントにはプレートが付いていて何かの文字が書かれているが、よくは見えない。

「当然ですよ、たまき様は巫女じゃありません。倉狩(くらがり)の姫様にして倉狩流呪師(のろんじ)の達人であらしぇられます」

 早口で舌っ足らずの返事は、赤いキャップの下から聞こえた。

 妻は身も蓋もないことを言った。

「正直、かなりぼったくられて、騙されてるんじゃないかと思ってたのよ」

 憤慨したのかキャップの下のモノが動き、キャップも揺れる。

「ぼったくりなんてとんでもない! これでもかなり格安に請け負ってるんですよ!」

「前の巫女さんが居なくなって、五年ぶりの踏歌(ふみうた)でしょ。毎年踏歌代は貯めてたんだけど、それでも高いじゃない」

「ですから! これは踏歌代だけじゃなくて、化け物討伐料金も含まれていると!」

 夫が口を開く。

「化け物が本当に居るのか?」

「はい、たまき様の調査じゃ確実に居ると」

 続けて夫が言う。

「特に悪さをしているわけでもないモノを化け物というだけで討伐するってのがどうもな」

「あらまあ、旦那様。岩みたいな顔して結構お優しいんですね。討伐とはいえ、『あらずの川』のこちら側ですからねえ、ぶっ殺したように見えても追い払うだけです」

「どういうことだ?」

「えー、私が説明するんですか? 先ほど、悪さはしてないとおっしゃりゃれましたよね。つまりこちら側に関与していない、化け物はこちらの田んぼに潜んでいるが、ギリギリあらずの川を越えてないわけです」

「あらずの川?」

「あらずの川、すなわち領域、テリトリー、縄張りですかね」

「よく判らんが、そのあらずの川を境にして人の世界と化け物の世界があるとでも?」

「説明が難しいですねぇ、そういうことにしても特に問題はないんですが正確じゃありません。

 あらずの川は、何も一本だけではなく無数にあります。別の、あらずの川から見ればここも化け物の世界と言えますし」

 普段は無口な男であったが、疑問を解消するためには饒舌になる。

「なんだと? それじゃ俺たちも別の川向こうから見れば妖怪化け物の類いだと?」

 キャップの下の声は明らかに迷っていた。

「そうじゃありません。人間様は人間様です。たとえば、旦那様は妖怪や化け物の存在を信じてますよね?」

「信じるも何も、実際に見たことも触れたこともある」

「そうでしょうそうでしょう。ここらでは化け物はちょっとした珍しい動物程度の扱いで、実在を否定するような人は居ますまい。

 ところが、化け物の存在が否定されるような場所もあるのです。誰も見たことがない、存在している証拠がない、と。そういう人たちから見れば、充分ここも化け物の世界となるわけです。

 腑に落ちないでしょうが、なぁに気にする必要はありません、たまき様のような生業をしているのでもない限り関係のない話ですから」

「判らん」

「じゃあ、さっきの『化け物の世界とこちらの世界をへだてる、あらずの川を越えて化け物がやってこようとしてる』と考えちゃってください。

 しばらく踏歌(ふみうた)をしてないようなので、境界線が曖昧になってアレがこちらに寄ってきた、このままだと『悪さ』するのは時間の問題です。悪さをすれば境界を越えたことになりますからね」

「つまり、悪さをすれば本当に倒すことになる?」

「簡単に言えばそうです。複雑に言えば、あらずの川のこちら側に関与した途端、あらずの川のこちら側はあらずの川の向こう側に浸食されるわけですよ。嵐の後に川の流れが変わるように。どうです? 複雑で判りにくいでしょ!

 好奇心旺盛で、ちょっとこちら側を見に来た程度のモノなら、踏歌を見れば帰って行きますです。その時は討伐代は払い戻しで」

 妻がアクビをした。

「本当に、この人はたまにどうでもいいことにこだわるのよね、岩みたいな顔して」

 夫はギロリと妻をにらんだが、素知らぬ顔だった。

「あ、見て見て! たまちゃんの髪が凄いことになってる。風も、たまちゃんの舞に協力してるみたい。神がかってる」

 赤いミリタリーキャップがピョンピョン跳ねた。キャップの下のモノが飛び跳ねたからだ。

「違いますよ、奥方様。素人には風が吹いてるように見えるでしょうが、そうじゃありません!」

 素人には違いないが素人扱いされて妻はムッとした。

「風じゃなきゃ、なんだっての?」

 誇らしげな声で返事が戻る。

「あれは歌でございます。謡いであり旋律、トリル、物語なのであります」

 確かに風が吹いたように見えたのは、環が歌い出してからだった。

 この距離で聞こえるのだから声量の凄さは判る。

「物語? あー歌詞があるってことか。ここからじゃ音程ぐらいしか聞こえないけど。確かに風じゃ、あんな髪の動きにはならないか。でもなんか滅多に見られない物を見ている感は凄いね」

「そうですとも! 舞踊の方が目立ちますが、舞踊はオマケ。舞など、歌に比べれば月の衛星でございます!」

「……そこは衛星でいいじゃない。歌が主で舞が副ってことでしょ」

「違います! 勘違いしてはいけません。歌がなくてはどうにもなりませんが、歌も副であります。舞は副である歌の、さらに補佐でして」

 じゃあ何が主だと妻が口を開く前に、夫が別の質問をした。

「どんな物語なんだ?」

 私が話してるんだから割り込んでこないでよと妻が文句を言う。キャップの下のモノはどうしたものかと考えたが、さっさと旦那への返事を済ませてしまうことにした。

「えぇ、恐ろしいまでに美しい顔をした、赤い髪の娘の物語です。で、奥方様も何かおっしゃりたいことが?」

「踊りも副、歌も副ならなにが主なの?」

「あぁ、それは見ていただいた方が早いかと」

 ドタバタと動き回るキャップを見ながら妻は言った。

「カドモンちゃん。そんなに寒い? 居間から火鉢を持ってくるんで、帽子の下から出てきたら? 小さいけど暖かいよ」

 カドモンと呼ばれたソレは、キャップの隙間から尖った鼻先を少しだけ出す。

 そして鼻先をヒクヒクさせて答える。

「お気遣いなく奥方様。別に寒いんじゃなくて狭いところが好きなだけなんです! あ! 始まりましたよ!」

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