加藤典洋先生の訃報に際し、思ったこと

加藤典洋先生がお亡くなりになられた。

2011年に311があり、2015年の安保関連法の強行採決があり、この国がまずいと思い、何とかできないかと模索する日々。また、憲法問題があった。安倍首相が唱える改憲に対し、護憲派の他、立憲的改憲、護憲的改憲など、色々な説が飛び出した。

私は、自分なりに憲法について本や講義などから学び、自分なりの考えを持つに至った。〇〇先生がこう言っていたというものではなく(そういう態度はとりたくない)、ひっかかるポイントとか、それぞれの断片などを、自分なりに統合した結果のものだ。例え拙くても、構わない。自分で感じて考えることが大切だから。

ある時、信頼する友人から加藤典洋という名前を聞いて、興味を持っており、たまたま手に入った加藤先生のご著書を読んだ(『日の沈む国から』)。

そこで、生意気を承知で言うと、憲法の問題について、やっと自分の考えと同じ人がいたと思った。同じというか、近い。とにかく、一番問題とするところが一緒だった。

それから日が経ち、先日、学生時代のゼミの友人より、加藤先生の訃報が伝えられた。そこで、初めて、この加藤典洋というお名前を、学生時代に既に知っていたことに気付いたのだった。初めて、自分の中でリンクした(あの、もじゃもじゃ頭の先生か!)。憲法問題で、やっと納得する見識を見つけたと思ったら、それは母校で教鞭をとっていた先生のものだったのだ。

私は、私の背骨に入っていたんだ、と思った。先生の講義を聞いたかももう定かではないのだけれども(学生時の記憶が、どうも友人と比べるとだいぶ薄い)、その精神の何かを受けとったのだと思いたい(当時、先生は言語表現法という授業を担当されていた)。

血肉となる、という表現がある。例えば、まさに私に命、身体を与え、日々、育んでくれた両親は、その血肉の方の大部分を担ってくれたと思う。それは、命や、生活に関することなんかがぴったりくる感じがする。

でも、背骨は、また、別のものだ。例えば、大学という学びの場。私は国際学部というところにいた。気楽ではあるけれども、多感な時期だ。ここで、私は知らず知らずのうちに、たくさんのものを受け取っていたに違いない。それは、知に関すること(知そのもの、知に対する姿勢など)、そして必ずしも日常的ではない、理論や理想など、そこに集う先生たちが醸し出す、何か醸成されたものが確かにあったという気がする。

私の背骨には、確かにそれらが入っているのだと思う。

背筋を伸びさせるものが。

NHKの番組の「サラメシ」という番組があって、そこで、亡くなった著名人のお気に入りの昼食を紹介するコーナーがある。

私はそのコーナーで必ず流れる音楽を聴くたびに、ぞっとして、骨から凍るような気持ちがする。「死」んでしまった後に行く、「あちら側」からその音楽が聞こえてくる様な気がするのだ。

「死」とは何かと言えば、「絶対」と言えるのではないか。

「絶対」という言葉は無いというが、「死」だけは、絶対的なものだ。もう、絶対に会うことも適わない。

「人は死ぬと、別の形で生きはじめる。」と加藤先生は、高橋源一郎先生との対談集のあとがきに書いている。

私たちは、必ず死ぬし、でも、生きている人たちは、死んだ人たちの欠片をあちこちに貼り付けて、生きているのだと思う。重要なものや筋の通ったものは、背骨にも入るだろう。忘れていても、何らかのきっかけで思い出すこともあるだろうし、あるいは忘れたままかもしれない。けれども、確かにそれらは、私という人間の一部となっている。

そういう意味で、死んだ人は、別の形で生きるのだと言える。

このプレゼントは、なんと豊かに、私たちを生かしてくれるのだろうか。

私はこの背骨を持って、生きていく。なんという、誇らしいことだろう。

加藤先生のご冥福をお祈り申し上げます。


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